空飛ぶちびまる (自由気ままに)

おひとり様女子のエッセイ

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VUCAの時代に必要な能力を備え逞しく生きる

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画像:photoAC かずなり777さん

 

VUCAとは?

 

「VUCAの時代」に求められる能力とは?PHP人材開発のサイトにて、わかりやすく説明されています。

 

V: Volatility(変動)

U: Uncertainty(不確実)

C: Complexity(複雑)

A: Ambiguity(曖昧)

 

の頭文字を取った造語で、90'年代に米国で軍事用語として使われ始めた用語のようですが、最近は、ビジネス用語としても使われるようになったようです。

 

VUCAとは「予測不可能で先行き不透明な時代」と解釈しました。

 

VUCAという用語をいつ、どこで知ったかというと、、、

 

最近、わたしがすっかりお世話になっている、クロマッキーさんの下記Youtube動画。

 

www.youtube.com

 

"世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?【VUCA時代の必読書】"

byクロマッキー大学Youbueタイトル引用

 

VUCA、何それ^o^?

 

知りたい。

 

ということで、早速、15分の動画でさくっとお勉強させていただきました。

 

これからの時代、ビジネスパーソンにとって、論理的思考だけではなく、差別化を図っていくには、豊かな美意識、想像力、そして柔軟性が大事ということと理解しました。

 

どんな業種であっても必要とされる資質というのは、なんとなく理解はしていたものの、かくかくしかじか理論的に説明されると「なるほど」と思うのです。

 

その中で、出てきたVUCA。

 

え?GAFAじゃなくて、VUCA^^;?

 

お恥ずかしながら、はじめて認識した言葉でした。

 

論理的思考+αのアート的思考

 

論理的なアプローチ(市場調査結果や分析等)だけで事業戦略を推し進めていくことは、多様化が進む現代においては、優位性を出しづらく、もはやそれだけでは市場競争で生き残っていくのは難しいのかもしれません。

 

わたし自身、MBAを学んだものの、机上で導きだされた仮説等には限界があり、また、そういった仮説は、現実と大きく乖離していることもあります。

 

また、数字を分析したところで、他と比べて大きな優位性を見出せるかというのと、なかなか現実はそうもいかず、厳しいものがあります。

 

また優位性を出せる戦略を立てられるか否かという問題については、論理的アプローチ自体が問題なのではなく、論理的アプローチ上に必要とされる、個人の創造力と想像力の差だとわたしは思っています。

 

クロマッキーさんの動画説明によると、数字やデータで考える論理的なアプローチ=「サイエンス重視の考え」らしいのですが、これはこれで、今も未来も必要とされるアプローチなのではと、わたし個人的には思っています。

 

確かにデータ収集と分析にはそれなりの時間も必要としますが、ある程度の傾向を観るには、論理的なアプローチは必須だと思いますし、それが不要になる時代が来るとは考えづらいです。

 

どちらかというと、VUCAの時代において、論理的思考プラスα、数値化しづらい人の感覚も加味した上で、事業戦略を柔軟に考え、スピーディに変化への対応をする力が必要ということなのかなと理解しました。

 

論理的アプローチ、プラスα美意識、想像力、創造力などが豊かになれば、同じ数字や事実を見ても、∞の選択や可能性が生み出されるということだと思います。

  

また、論理的なアプローチと一言でいっても、仮にフレームワークを使って分析しても、結果(アウトプット)は、分析する人の能力に大きく依存するわけで、同じ方向性の結論に向かうとは限らない。

 

むしろ、同じテーマを与えられて、同じようにフレームワークを使い分析をしても、同じ結論になるほうが稀だと思います。

 

MBAを学んでいる時に、Real Time Case Studyという訓練を100ケース以上行いましたが、クラスメートの結論と見比べてみても、その結論は千差万別であることは明らかでした。

 

きっとそれは、個々人の論理的思考プラスα、千差万別の創造力と想像力があり、ものの見方考え方、感じ方が異なるからだと思います。

 

すなわち、事実情報をそれぞれの感性で処理するからこそ、結論は千差万別になるのではと。

  

また、情報収集ひとつにしても、能力に大きな差が出ますので、その結果も大きく異なります。

 

例えばアンケート。

 

アンケート結果の集計データは、事業戦略(もしくはマーケティング戦略)において、サイエンス重視の論理的な思考アプローチによる導き出される重要な指標です。

 

アンケート結果の良し悪し(使えるデータかどうか)は、アンケートの構成と質問内容、そして回答形式、誰を対象にアンケート調査を行ったか等にも大きく依存します。

 

アンケートの質問は、アウトプットされる結果を集計し、導きさされた数字やグラフで、どんな仮説が導きだせるのかなど、考えて作る必要があります。

 

アンケート作成には、緻密な「想像力」と「構想力」が必要とされいます。

 

アンケートの結果にて、仮説通りとなるのか、もしくは想定外の結果となるのかを確認するには、集計をきちんとできる質問内容と回答形式である必要があります。

 

また、ターゲット層の行動パターンや嗜好なども考慮しながら、アンケートの調査方法なども考慮する必要があるため、

 

アンケート調査は、口で言うほど簡単ではありませんし、論理的思考プラス想像力の豊かさなども必要とされます。

 

VUCAの時代に必要な美意識

 

クロマッキーさんの動画においては、主にC to Cビジネスをメインに考えたお話であったと思うのですが、個人消費者向けの商材ビジネスの場合、

 

マズローの5段階欲求の最上級レベルの欲求「自己実現欲」を演出するための道具である必要があるのかなと理解しました。

 

「理想の自分のイメージ(自己実現欲を満たすイメージ)」を演出するために必要な道具、そして消費者がCool(かっこいいと思える)もしくは、

 

Cute (かわいい)と思えるようなアート的感性が備わったものやサービスが、消費者の購買欲をくすぐるのかなと。

 

分かりやすい例としてApple社の商材。

 

芸術的な見栄えに加え、ユーザビリティもピカイチなApple社製品は、「Coolなグッズをわたしは持っていて、日常で使いこなせる」というイメージを

 

商品に乗せて、ブランディング、そしてマーケティング活動を通じて売っている(演出している)という。

 

ひとはモノやサービスを自身が主演のドラマ(思い描くシーン)を通じて買う。

 

個人消費者をターゲットとするB to Cビジネスの場合は、こういったイメージが顕著に現れるのかもしれないですね。

 

B to Bの場合はどうだろうか。

 

わたしが扱う商材はライフバイオサイエンス業界の研究に使われる試薬。

 

どのようなところに美意識やアート性が必要とされるのだろうか。

 

おそらく、個々人のドラマというよりは、使い勝手や正確性(間違いない品質)がメインではないかと。

 

もしくは、憧れているサイエンティストが使っているブランドだからとか、大多数の論文に採用されているから、という安心材料で買うのかなと。

 

ユーザー(研究者)自身が気がついていない使い勝手の良さを実現できれば、感動が生まれ、そこには追及を極めた先の「美意識」として認められるのかもしれない。

 

また、カスタマーサービスや技術サポート一つにしても、一歩、二歩、いや三歩先を見越して、

 

ユーザーの背中のかゆいところに手が届くようなサービスを「えっ!?いつの間に?」という早さで実現するには、

 

それ相応の創造力と想像力が必要とされると思います。

 

芸術品を自由な発想で眺め、想像し、そして自分なりのレンズを通してみる景色を自由に表現すること。

 

その表現の中に、ヒトは、きっと、感動や美しさを感じ取るのかもしれない。

 

他の誰かが感じたことではなく、唯一無二の自分が感じたことを、言葉やもの、サービスを通じて表現していくこと、

 

それこそがアート的な感性であり、世の中の人々を感動させられる表現ができる美意識を養えば、∞の価値を生み出せる可能性が広がるのかなと。

 

VUCAの時代に生き残る

 

仕事に限らず、これからの世の中は、ますます多様化が進み、個々人のそれぞれのニーズに対して、より精度高くカスタマイズされた商品やサービスが必要とされるのではと思います。

 

日本人は比較的、集団主義的な傾向を持つ傾向にあると思いますが、これからは、欧米諸国のように個人主義的な傾向を持つ人々が増えていくのではと、私自身は感じています。

 

「わたしは、わたし。これでいいのだ、いや、こっちがいい。」と我が道を行くことがもっともっと許される社会になれば、ライフスタイルがますます多様化し、

 

学び方、家族の形や、働き方、仕事の内容、暮らし自体が多様化し複雑化していく=自由度も増していくのではと思います。

 

自由度が増していく社会=

自分の意志を明確に持ち、生きていかなければならない社会。

 

会社に属して仕事をしていると、「言われたことだけをやるほうが楽」という人が多いことに驚きます。

 

わたし自身は、自分が感じたこと、考えていることなどを自由に発言し、アイディアを具現化していくことが好きなので、

 

自分のタスクは自分で考えるほうが楽しいですが、そういうことを考えること自体が苦痛という人が圧倒的に多いことに驚きます。

 

自分で考えるのがメンドクサイ、という人が結構多いなぁーと感じています。

 

自分で考えることを放棄してしまったら、退化していくだけ。

 

会社なんて、いつどこで、どうなるかなんてわからないし、いつまで今の仕事を続けていけるかなんて、誰にもわからない。

 

ある日突然、会社がなくなるってことも、現実にはあるでしょうから。

 

突然自分が放り投げられた時に、自分がどこに向かって生きていきたいのか、どんなことに時間を費やして、どんな風に生きていきたいのか、

 

自分の欲求や価値観を感じ取るアンテナを持っていないと、足元がおぼつかなく、不安になるのではないでしょうか。

 

自分で考える癖、自分で考えて自身の意見を述べ、その意見に責任を持つ癖をしっかりつけつつ、ものごとを自分の経験値だけで測らず、今まで信じていたことを捨てる勇気を持ちながら、自由に考えられる論理的かつアート的思考を高いレベルで身に着けられれば逞しく生きられるのではと考えています。

 

竹のようにしなやかに、ゆらゆらと強く逞しく生きていきたい。

 

それでは、みなさま、VUCAの時代を楽しく、たくましく生きられますように!

 

わたしも精進します!

 

by ちびまる

 

誰でも理解できるプレゼンの工夫を考える

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画像:photoACacworksさん 

 

ひとりよがりのプレゼン

 

仕事をしていると、なにかとプレゼンをする機会が多いもの。

 

〇社内向け

〇取引先向け

〇顧客向け

 

年齢、性別、経歴、性格など、伝える相手のバックグラウンドは多種多様。

 

伝えてるつもりが、まったく相手に響かず・・・てなこと、ありませんか^^?

 

わたしはしょっちゅうあります。

 

伝える側って、どうしても、伝えたいことが満載になっちゃって、情報過多、専門的な話になり過ぎたり、、、あれもこれもと、欲張り過ぎて、独りよがりになりがち。

 

特に、相手が素人なのに、マニアック過ぎる話や、専門用語を連発しがちな内容は要注意です。

 

わたしの仕事はライフバイオサイエンスの領域なので、それこそ、完全にマニアックかつ専門的な話になりがちで、いかに簡単な言葉で、短く伝えられるかと、いつも頭を悩ましています。

 

文字より画像や動画

 

今は、文字よりも画像や動画検索で、ネットでさくっと情報収集し、理解度を深められ時代。

 

情報過多&便利な時代になったからこそ、人は情報の渦に巻かれやすく、情報検索ひとつにしても、ひとはなるべく、楽なほう、楽なほうと、流れていく生きもの。

 

文字で読み込むのは、時間もかかるし、何より能動的な動作であり、結構なエネルギーを要します。

 

一方で画像や動画は、嫌でも情報が目や耳に飛び込んでくるので、すんなり短時間で情報が頭にはいって来やすく、何より楽。

 

まずは、視覚で理解して、それから文字で詳細理解、といった感じ、わたしは画像、動画、テキストコンテンツを無意識に使い分けて使っているように思います。

 

自分で動画を作るのは大変

 

テキストより、画像や動画のほうがインプットしやすいということで、私自身、大多数にプレゼンをする際には、なるべく画像と動画イメージで伝える努力をしています。

 

が、しかし!

 

Coolで洒落てる動画を作るというのは、素人にはなかなか難儀^^;

 

動画編集の知識をゼロから、、、となると、それなりに時間も労力もかかります。

 

なので、わたしは、自分の能力とプレゼンの目的を考えて、パワーポイントで、画像メインのスライドを作り、アニメーション、そして、ナレーションを入れることで、まずはやってみました。

 

プレゼンは、相手が外国人なので、もちろん英語で。

 

正直、動画のクオリティとしては、最低限、といった感じでしょうか。

 

でも、テキストを読んで理解をするという、一言でいうとメンドクサイ作業を相手はする必要はなく、「10 分ぐらい動画を見るだけ」で情報をインプットできるので、その点については、喜ばれています。

 

完璧を求めずに、まずは、できることを1歩ずつ!

 

これが大事かと。

 

動画作成の数をこなしていくうちに、いろいろ見えてくるものもあるだろうし、また、違ったアイディアも浮かんでくるかもしれない。

 

なので、まずは、やってみるべし!

 

ストーリーとメッセージを明確に

 

企業プレゼンでよくありがちなのが、とりあえず、自分たちが知っている情報をバラバラと詰め込むこと。

 

例えば商品説明ひとつにしても、ユーザーが使う視点や、ユーザーがどんな素晴らしい体験ができるのか、ということよりも、商品の性能や特徴を事細かに説明するケースが散見されます。

 

そういったプレゼンを聴かされる側は、一言でいうと、つまらないです。

 

聴く側にとっては、自分がその商品を使うことで、どんな素晴らしいことがあるのか、それを聴きたいもの。

 

プレゼンの構成をする際には、

 

〇聴き手は誰か

〇どんなストーリーを伝えるのか

〇Keyメッセージは何か

 

を明確に考えて構成しなければなりません。

 

そして、最終的に、聴き手にどんなアクションを起こしてほしいのか。

 

ここが大事になってくるのですが、ひとつ注意!

 

欲張り過ぎないこと。

 

どうしても、あれも、これも、こんなことも理解してほしい、こっちを向いてほしいと、力説しがちですが、伝えるメッセージは1つに絞るのが大事と思います。

 

聴き手に優しいコンテンツ

 

わたしが一番嫌いなタイプのプレゼンは、

 

〇とにかく長い

〇文字が細かい(見えない)

〇話がくどい

〇流れがない

〇要点がわからない

 

プレゼンは長くても30分

 

動画プレゼンに限らず、通常のプレゼンにおいても、長くても30分が限度。

 

30分を超えてくると、集中力が切れてきます。

 

動画の場合、サクッと要点だけであれば、3分以内、もう少し詳細が聞きたい場合でも10分以内で終わるのがベストと思います。

 

参考にしたい例として、クロマッキー大学。

 

www.youtube.com

 

さまざまな書籍を要約して、「10分でわかる〇〇」を謳い文句に、図解でわかりやすく要点だけを教えてくれる動画です。

 

もちろん、動画の内容はクロマッキーさん主観でまとめられていると思うのですが、それでも、まとめ方がとても上手で、とにかく理解しやすいプレゼン構成となっています。

 

さくっと見れちゃうので、わたしもすっかりクロマッキーさんの動画ファンです。

 

なるべく画像で、文字は最小限に

 

わたしが一番イラっとしてしまうプレゼンパターンは、とにかく文字が小さく、びっしりと長々と説明文がスライドに書いてあるのを、そのまま読むというもの。

 

社内のプレゼンで見るパターンなのですが、、、

 

まず、文字がぜんぜん見えない。

 

そして、エクセルで膨大なデータをスクリーンで見せようとするパターン。

 

ぜーんぜん、、、文字が見えない!!!

 

もう、勘弁してほしい・・・と心の奥でいつも叫んでいるわたしです。

 

プレゼンに使う文字は最低でも24ポイントにしてほしい。

 

そして、長くても、言いたいことを3行ぐらいでまとめてほしい。

 

それ以外は、トークかナレーションで説明をお願いしたいものです。

 

同じ話を繰り返さない

 

何度も、何度も、同じ話をぐるぐるまわっちゃうパターンのプレゼン。。。

 

テレビショッピング形式と言いますか、何度も、何度も畳みかけてくるやつ。

 

もう、それはわかったから・・・と思わず言ってしまいたくなる。

 

強調は、最初と最後にビジュアルでバシッといきたいものです。

 

話(スライド)の流れが大事

 

起承転結、と言いたいところだけれども、わたしは、「結Conclusion」から聞きたい。

 

内容にもよるけれど、

 

〇結論:こうである

〇理由:なぜなら、XXX

〇根拠:データで示す

〇強調:だから、XXX

 

そして、具体的アクションについて、尋ねるなど。

 

結論から先に言ってもらえると、その先の話をもっと注意深く「なんで、どうして、そうなった?」と聞くことができるし、また、最初に要点を掴むことができます。

 

結構ありがちなのが、根拠データの説明からプレゼンに入るパターン。

 

まずは、何の話なのか、どこに向かって話しているプレゼンなのかを聴き手に明確に伝えるとういことも大事かと思います。

 

頭でわかっていても・・・

 

わたしは、とっても、せっかちなので、人の話をじ~~~~~~っと長い時間聞いているのが苦手なほうなので、プレゼンには結構うるさいほうです。

 

がしかし、、、

 

わたし自身、プレゼンが上手いわけでもなく、どちらかというと、言いたいことがたくさんあるわたしは、話が長くなりがち(このブログもそう!!!)。

 

頭ではわかっているけど、なかなか、難しいものですが、上手な人のプレゼンにたくさん触れて、まずは真似してみることからやってみようかと思います。

 

では、みなさま、have a nice day

 

by ちびまる

わたしにとってのブログ。ブログ運営の意味と価値を考える。

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画像:photoACnmさん

 

ブログ運営の危機

 

ブログをはじめたのが2017年。

 

ブログ歴は3年目。

 

ブログ開始当初の目的は、資産形成。

 

まずは

Google Adsenseの審査に通すこと。そして、

1円を生み出すこと。

 

ブログをはじめた当初はそれが目標でした。

 

それはなんとかできた。

 

そして、年に1~1.5万円ぐらいをGoogle Adsense で生み出せるようにはなりました。

 

でも、ブログサイト維持費を差っ引くと、利益は実質ゼロ円に近い。

 

PV数は多い時で400/日ぐらいあったものの、突然激減の嵐で、その下がり具合は止められず、今となっては、ブログを始めた当初のPV数(100以下)となってしまいました。

 

ほとんど人目に触れぬわたしのブログですが、

 

ありがたいことに、読者登録数は40人ぐらいご登録頂きまして、たまに★をペタッとつけてくださる方がおられます。

 

また、時折、心が通った本音のコメントをくださる方もおられて、通りすがりで出会った方々ではありますが、そういった血の通った出来事に触れると、

 

ブログでの資産形成という意味においては、ぜんぜん上手くいってませんが、「少なくとも、誰かの心に何かをお届けできてはいるのではないか」と勝手ながら思ってしまうところがあり、なんとか細々と続けられています。

 

9割以上の人が、なかなか思うようにブログを読んでもらえない、資産形成に至らなず、3年以内にブログをやめてしまうという気持ちは、わからなくもないです。

 

今、私自身、その9割に入ってしまいそうなモチベーションレベルではなりますがまず、自分にとって、ブログの位置づけを考えてみることにしました。

 

わたしにとってのブログ

 

わたしにとって、ブログとはなんだろうか。

 

そして、どんな意味(価値)があるのだろうか。

 

ここ3年やってきて、「ブログで成功するには」とか、「ブログで収入を得るには」など、成功されている方のノウハウに触れる機会を少なからず持ってきました。

 

成功されている方々の共通点としては、しっかりと、読み手にとって価値のある情報そして文章をSEO的に戦略的に、そして緻密に計算して記事作成をされているということでしょうか。

 

とてもプロフェッショナルな考え、姿勢、そして情報収集や分析、そして文章執筆に結構な時間と労力を投資しており、ブログへのコミットメントのレベルが異なります。

 

逆を返せば、わたしは彼らのようなプロ意識を持ってブログ運営の創意工夫、そしてコミットメントが足りないということになります。

 

頭でわかっているなら、やりなよ、と自分にツッコミを入れてはいるものの、どうしても自分の中で優先順位が上がらないということは、「ブログで資産形成したい」という気持ちが薄れてしまった、ということなのだと思います。

 

資産形成ができる記事の発信=自分を抑制(言いたいことを書けるのではない)、と心のどこかで思っていて、「それはわたしにとって価値があることなのか」と考えると、わからなくなってきた、というのが本音です。

 

わたしにとって、大事なのは時間。

 

日々の時間をどう過ごすかが大事。

 

できることなら、やりたくないことは、やりたくない。

 

やりたいことだけ、やりたい。

 

自分が楽しいと思うこと、夢中になることだけに、時間を使いたい。

 

そう考えると、わたしがブログを続けていくのなら、楽しくなければいけない。

 

そして、自分が表現したいことを書きたい。

 

自分を表現するツール=ブログという位置づけであれば、もっと気楽に楽しめるかもしれない。

 

わたしのブログは、言ってみれば、街角の古びた骨董品やにありそうな、見つけにこないと出会えないようなものと位置づけにすればよいのかもしれない。

 

たいていの場合は、日の目を見ず、奥の方に、いろんなものに混ざって、ちょこんと置かれていて、偶然目にした人、触れた人が、「おもしろいかも」とか、数人にでも、何か感じてもらえるような存在と考えれば、だいぶ気は楽になる。

 

あまり、堅苦しく考えずに、好きなことを書いてこう。

 

エッセイ?それとも随筆?

 

わたしのブログは、完全に雑記型で、わたし自身の心のうち(価値観)を表現する、もしくは、自身が体験した出来事に対して、好き勝手感じていることを書いている、という内容が多い。

 

わたしのブログは、

 

〇エッセイ

〇随筆

 

で構成されているように思います。

 

エッセイとは、「出来事の描写ではなく、書き手のパーソナルな心の様子を描いたもの、告白的なものである」

 

そして

 

随筆とは、「本当にあった出来事の見聞や感想を、自由に描いたもの」

 

あまり難しいことを考えずに、エッセイそして随筆を綴ったブログと考えよう。

 

世の中的には価値はゼロに等しいわたしのブログですが、わたしが生きた証としてのブログであれば、自分にとっては、何かあとで役立つことが出てくるかもしれない。

 

よし、とりあえず、わたしのブログはそういう位置づけにしておこう。

 

それでは、みなさま、have a nice day!

 

by ちびまる

キャリア(ライフ)を見直す。今の自分が立っている場所、そして向かう場所を考えてみる

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写真:photoAC: photoACぐっとぴさん

 

キャリアプランとは何か

 

キャリアプランとは何か。

 

〇将来の夢

〇将来自分がなりたい姿

〇成功へのロードマップ

 

自分が将来なりたい夢を叶えるために、もしくは、なりたい自分になるために、今から未来に向かって、自分は何を具体的にすべきか、計画を立てること。

 

ライフプランとは何か

 

〇人生設計

〇仕事

〇結婚

〇夢

〇生き甲斐

〇生き方

〇資産構築

 

など、キャリアプランもひっくるめて、人生全部のプラン。

 

わたしがなりたかった自分

 

将来自分がなりた姿。

 

このテーマ、久しぶりに、考えているわたし。

 

10代の頃は、将来の夢とか、なりたい自分とかが、よくわからなくて、学校での成績は良いほうだったけど、身になる学びはほとんどなく、恋愛に夢中になっていた日々。

 

20代~30代は、わたしの人生の中で、一番進化した時期で、

 

〇英語がしゃべれるようになりたい

〇海外に行ってみたい、住んでみたい

〇海外で活躍できる仕事に就きたい

 

という、単純な外国への憧れだけが、わたしを突き進めるエネルギーとなり、半ば強引に、何かといろいろ推し進めて、必死でいきていた時代。

 

キャリアプラン、ライフプラン、、、その時、立てていただろうか。。。

 

特にこれといった、プランを立てた記憶はなく、ただひたすら、「〇〇したい」という欲望だけを胸に、鼻を効かせて生きてきたように思います。

 

そして40代(現在)

 

〇海外生活も経験した

〇英語も習得した

〇国際的に仕事もしてきた

 

TOEICにチャレンジしたり、MBAにチャレンジしたり、その時、その時の自分がやってみようと思ったことを全てやってきて、ある程度の役職にも就いた今、久しぶりに足を止めて考えてます。

 

 

今のわたしは、20代や30代の頃のわたしがなりたかった自分になれているのだろうか。

 

当時、わたしがなりたかった自分は、海外を飛び回り、役職にも就いて、責任ある立場で仕事をしている姿、だったと思う。

 

きっと、それは、ここ数年で、中身はどうであれ、形的には成し遂げられたと思う。

 

20~30代の自分は、たくさんの国に行ってみたかった。

 

そして、たくさんの国の人たちと仕事をしてみたかった。

 

スーツケース片手に、あちこち世界を飛び回りながら仕事をする自分。

 

きっと、その夢は、現実になったのだと思う。

 

でも、いざ、20~30代の自分が目指していた、夢に描いていた地点に立ってみると、その景色は一瞬だけぱっと華やいで、花火のように散っていく感じで、夢は続かない。

 

夢が現実になる瞬間は、最高に嬉しいけど、夢が夢ではなくなったのだから、寂しい。

 

もともと、わたしは、あまり夢を描ける子供ではなかったし、なんとなく、漠然とした憧れみたいなものは抱くとしても、いざ、その時点に達してみると、夢が現実となり、その熱は冷めていく。

 

「なりたい自分の姿=夢」というのは、大きく美化してしまうというか、神聖化してみてしまうところがあって、大恋愛に近いものがあると思います。

 

例えば、瀬戸内寂聴さんの昭和の問題小説「花芯」の主人公、園子さんがずーっと恋焦がれていた相手とついに結ばれたーっというその夜に、感情も欲望も何もかもがピークに達し、一気に夢から覚めてしまった、というのとちょっと似ているかも・・・。

 

いずれにしても、20~30代の頃のわたしが思い描いていた夢から覚め、今のわたしは、その頃に感じていた、こうなりたいという欲望があまり持てないという自分を自覚しています。

 

くだらない比較で苦しんだ40代前半

 

20~30代の頃の自分が成し遂げったことをやり遂げた40代前半。

 

そこまではよかったのですが、下手にMBAなど経験したものだから、ヘッドハンティングなど、エージェントから声がかかるようになって、自分の市場価値を見誤ったというか、くだらない他人(市場相場)との比較をするようになってしまって、苦しんだ時期がありました。

 

でも、いざ、エージェントといろいろ話をしてみると、高給取りにはなれるけど、自分がやりたいことと、市場から必要とされるポジションに大きなギャップがあり、また、ニーズのほとんどが都心部勤務だったため、

 

〇やりたくない仕事

〇物価が高い都心へ引っ越し

〇忙殺される日々

〇クビになるリスク

〇健康の懸念

 

などを考えると、たとえ今より倍以上の給与だったとしても、わたしにとっては価値がないオファーだったので、現職に留まる選択をして現在にいたります。

 

今のわたしが欲しい姿(ゴール)は?

 

転職を考えたということは、少なからず、何かしら、現状に満足していない自分がいることは確か。

 

 

今のわたしがなりたい姿とは、ゴールとは何だろう。

 

正直なところ、まだ、あまりよく見えていません。

 

でも、自分にとって、大事な事柄のキーワードは、なんとなくわかってきました。

 

〇健やかな精神と肉体(これ、No1)

〇実のある温かい人間関係

〇味わいのある暮らし

〇シンプル&バランスと調和

〇たくましく生きる

〇楽しく生きる

 

 

以前は、「成功者になりたい」、「お金持ちになりたい」など、単純に考えて、そういったステータスに憧れを持ったりもしたけれど、さすがに50代に差しかかろうとしている今、成金のようなステータスに単純に憧れることはなくなりました。

 

お金は、あればあるだけ使うのだろうし、なけりゃないで、それなりに生きていけるものだろうから、そこそこの暮らしが営める程度の経済力を身に着けていられれば、それでよいかもしれない、と思うところがあります。

 

今の仕事では、海外出張でいろんな国にも行けるし、隙間時間でその都市を味わえたりもするから、わざわざ休暇で海外に行きたいとも思わず、どちらかというと、時間がある時は、自宅でのんびりしたい。

 

今の暮らしに特に不満はないし、特にこれといって、欲しいものもないので、実は、お金を使うこともあんまりない。

 

じゃぁ、わたしは、今、何が欲しいのか、どんな自分になりたいのか、何を成し遂げたいのだろうか。

 

飢餓感がない自分に危機感

 

今のわたしは、一言でいうと、飢餓感がないのです。

 

たぶん、満たされ過ぎて、平和で幸せな毎日過ぎて、心地よ過ぎる場所にたどりついてしまったのだと思います。

 

それは、精神と肉体的には、安堵できる素晴らしい場所であり空間なのだけれども、その快適さに甘んじて、何も考えなくなったら終わり、老いていくだけ。

 

年を取ると、いろんなことに億劫になるってよく聞いてはいたけど、自分もそれがわかる年になってきたというのは、本当に、気をつけないと、ただただ老いていってしまいそうで、今の自分に危機感を感じる日々です。

 

ひとは、怠惰になろうと思えば、いくらでも怠惰になれる生きものですから。。。

 

今のわたしには、飢餓感、そう、アドレナリンが出る状態が、もっと必要なのでしょう。

 

わたしには、師とする人がいません。

 

きっと、師とする、自身が見本としたい人物を見出すことができれば、その人物像を追いつくことを求めて、自身を磨くことに専念し、キャリアプランやライフプランなんぞ、考えている暇などないのでしょうね。

 

もしかしたら、その答えは、自身がどんな個性の個人でありたいか、ということかもしれません。

 

日々、目の前にある仕事をこなしていくだけで精一杯で、あっという間に1週間が過ぎ去ってしまうので、1週間に数時間でも自分を見つめる時間を設けて、今後、自分がどのようなIDを持って生きていきたいのかを考えてみよう^^

 

まずは、モデルになる人物像を見出さないとすね。

 

それでは、みなさま、have a nice day

 

by ちびまる

 

コロナ禍で、どのように海外営業アプローチしていくかが課題

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画像:photoACfujiwaraさん
 

各国で続くロックダウン

 

どの国もまだロックダウンが続いて、お客さんも自宅から出られないという状況なので、実質的には各地での営業活動は、まだまだ再開の目処が立っていない感じです。

 

わたしが扱う商材は、研究者が使う商材なので、主な顧客は、大学病院や研究機関、製薬メーカー、検査センターなのですが、、、

 

〇コロナ対応で忙しい

〇ロックダウンで自宅勤務

〇ラボで研究ができない

 

といった感じて、顧客側が通常の研究活動ができない(できても最低限)という状況が続いているので、なかなか厳しい状況です。

 

各国の現状

 

ニュースでも各国の状況が報道されていますが、現地代理店にヒアリングしてみたところ、いろいろと状況がわかってきました。

 

USA

州によって、ロックダウンの規制はだいぶ異なるようですが、コロナで大変というよりは、今は先日の黒人男性が白人警察官により虐待(差別)を受け亡くなられた事件による暴動やデモ抗議のほうが深刻化が増しているとのこと。

 

もちろん、コロナによる経済活動の抑制にて、ビジネスに大きな打撃を受けているというのは事実ですが、国民のストレスレベルがいろんな問題にて沸点に達し、爆発してしまったと、現地米国人も感じているようです。

 

営業活動という観点からは、もともと、USAは国土の広さから、訪問営業というのは稀で、どちらかというとネット上でのマーケティング(SEO対策など)や営業活動が主。

 

不特定多数の大人数が集まる国際学会などは全て中止で、バーチャル展示会に変更になっていますが、USAでは、バーチャル展示会も他国に比べて進んでいるので、あまり抵抗なく、すんなり切替ができそうです。

 

欧州

もともとのんびりな欧州ですが、USAより営業活動に比べ、より一層スローな滑り出しで、だいぶ停滞気味💦

 

まだまだ自宅勤務が継続中で、ドイツの取引先では、1つの部屋に1名のみで仕事するなら出勤可というルールがあるようで、シフト制も導入し、密にならないよう仕事をしているようです。

 

また、日本同様に、外出時はマスク着用は必須で、1.5mほど距離を取って、レストランもオープン、お店などでは、敷地面積の広さで営業再開の可否が決まるというところもあるようです。

 

欧州は、日本でいう他県にお出かけするのと同じ感覚で、隣国にお出かけできるのですが、まだ、各国の国境をまたいで訪問するのは、国によっては禁止しているところもあるようです。

 

顧客を訪問できるようになるには、まだまだ時間がかかりそうです。

 

中国

 

中国はコロナ終息宣言が一番早かったこともあり、5月中旬ぐらいから、大学も、製薬メーカーなどの一般企業も、ほぼ通常に戻りつつあるようです。

 

また、中国国内の移動は比較的自由にできるようで、アポイントをとって営業活動も再開しているようです。

 

また学会展示などの大勢集まる集会も7月に開催される見込みで、他国に比べて、ずいぶん早い段階で大規模集会の学会開催が許可されている様子です。

 

その他、韓国、台湾、香港、シンガポールあたりは、日本とさほど状況は変わらず、、、といったところです。

  

リモート海外営業

  

海外展示会でのプロモーション、海外代理店まわりなど、物理的に各地に出向いて海外営業活動ができなくなった今、具体的に、どうやって、売上げを上げていく活動をしていけば良いのか。

 

今すぐ、思いつくことでは、

 

〇遠隔テレビ会議のフル活用

〇Webinarの活用

〇バーチャル展示会への出展

 

とありきたりのリモートアプローチ(;^ω^)

 

幸い、海外営業は国内営業とは違って、コロナ禍以前から、基本的にはメールやスカイプなどを通じての遠隔営業が主流であったため、それほど、大きな働き方の変革を求められることはありません。

 

ただし、年に10回程度でも、各地に出向いて、各代理店営業と顔を合わせて話をして、一緒に顧客まわりをすることができないので、代理店との関係性が希薄になりがち。

 

直接彼らの土地に出向いて、長い時間一緒に過ごして、ご飯を食べたり、お酒やお茶を飲んだり、街を散歩したり、冗談や雑談をいって一緒に笑ったりすることで築かれる関係性は、なかなかリモート営業では埋められないものです。

 

 

深掘りをする良い機会と考える

 

わたしの仕事は、海外各地で、うちの商材を販売してくれる人たちに、

 

〇わたしを身近に感じてもらう

〇わたしに興味をもってもらう

〇わたしを通じて会社を信頼してもらう

〇わたしを通じて商材に興味を持ってもらう

〇そして、商材を販売してもらう

 

ということ。

 

星の数ほどある商材の中から、わたしが関係する商材を覚えていてもらって、それを、ターゲットとなる顧客に出会うチャンスが訪れた際に、しっかり紹介してもらうこと。

 

わたしが勤める会社は、他には類を見ない画期的な発明品の開発や、カリスマ性のあるマーケティングができる会社とは違い、これといって、一番になれる商品はなく、また、ブランディングやマーケティングにも長けていません。

 

うちの会社は「これだけは負けない!」というものがあれば良いのですが、それもない、残念ながら・・・。

 

「これだけはどこにも負けない!」という商材を 持っている企業のほうが稀だと思いますが、世の中には、そこそこのどこにでもあるような商材を、ちょっとした工夫で光らせて、爆発的なヒットを生み出せる能力が高い方々もいます。

 

わたしもそういった方々の仲間に入れるように、日々努力し精進しなければならない身であり、売れない理由を商材や、会社のせい、ましてやコロナのせいにしてはならないと肝に銘じて日々精進中です(;'∀')

 

そんなわけで、業績が低迷する中、お金もかけられないので、大掛かりな変革はできないけれど、今やっている目の前のことを見直し、丁寧なアプローチ、そして深掘りをすることにより、創造できる営業&マーケティングをやっていこうと思っています。

 

何を見なおし、深掘りするか

 

今まで、長距離出張、そして長期間家を空ける期間も多過ぎて、なかなか、ゆっくり、じっくり自身の営業&マーケティング活動を見直す余裕を持てなかったわたし。

 

せっかく、各国に出向いて、たくさんの人々と出会って、たくさんの情報を収集してきたのに、、、

 

課題を持ち帰ったはいいけれど、宿題はそこそこ「対処」だけ、出会ってきた人々との関係構築についても、よく考えると、それほど努力してこなかったように思います。

 

帰国の際に、「その節は、どうもありがとう」といった、挨拶メールを1本打っただけで、それっきり、ビジネス関係を育てるまでに至っていない人たちがたくさん💦

 

マネジメントや関係部署に報告するだけで、投げっぱなし、やりっぱなし、放置していた事柄が多くあることに気がつきました。

 

課題として持ち帰ったテーマを深掘りする時間も余裕もなく、問題提議をしただけにとどまっている案件もちらほら💦

 

それらの課題のほとんどが一筋縄ではいかず、お金をかけるか、時間をかけるかの2択になるような課題ばかり。

 

その多くがマーケティングに関わることでしたので、まずは、無料で活用できるリソースを使って、深掘りしてみることにしました。

 

LinkedInで情報拡散

 

どうすれば、たくさんの人たちに、たくさんの情報を届け、多くの情報を目にしてもらえる機会を増やせるのか。

 

どこの会社でも同様の課題を常に抱えていると思います。

 

うちの場合は、人的リソースも少ないので(1.5人ほど)、1 vs 大多数というアプローチをしないと数が打てない。

 

そうなると、SNSの活用が頭に浮かびますが、どのSNSを使い、自身の時間と労力を投資するか、マンパワーがない場合、選択と集中が重要になってきます。

 

国によって、ビジネスユースで、よく使われるSNSは異なります。

 

〇欧米はLinkedInかWatsAPP

〇中国はWeChat

〇台湾・香港・シンガポールもWeChat

〇韓国Kakao

 

一番に注力したい市場がUSA、次いで中国なのですが、中国は中国語でないと、なかなか活動が難儀であるため、欧米の方が多くビジネスユースしていて、パソコンでも活用可能なLinkedInを選びました。

 

使用目的や使用頻度は人それぞれですが、少なくとも、

 

〇ビジネスに特化(よりプロフェッショナル)

〇欧米代理店のほとんどがビジネス活用

 

 

というプラットフォームなので、数あるSNSからLinkedInを選びました。

 

 Youtubeで動画配信

 

わたしにとって、世界中の代理店営業マンを味方につけて、彼らがわたしの代わりに営業活動をしてくれるように仕向けることが何より大事。

 

そんなわけで、わたしにとっての一番のお客様は、各国の代理店営業そしてマーケティングチームの方々であるので、彼らになんとか、当社の商材に興味を持ってもらう働きかけをしなくてはなりません。

 

ただし、わたしが扱う商材は、

 

〇B to B商材

〇学術的

〇ニッチ商材

 

であるため、めっちゃ学術的で言葉も難しく、それぞれの領域の研究者でないと言葉の意味さえもわからないという難解な業界の商材💦

 

各代理店営業は、ライフバイオサイエンスのバックグラウンドを持っているものの、到底すべての疾患領域の詳細な研究内容なんて知る由もなく、、、

 

それも、数百万点ある多くの試薬のひとつひとつの特徴を学んだり、覚えたりするなんて、これまた無理な話であって、

 

なかなか覚えてもらえない、研究者に紹介できる知識レベルに達しない、という課題があります。

 

今までは、学術的な論文をそのまま代理店各位で送ったり、かくかくしかじか、タンパク質の構造など、難儀な言葉で説明するパワーポイントのスライドを送ったりしていましたが、

 

一向に読んでくれません。

 

なぜなら、たくさん難儀な字面を読むのは面倒、そんな時間ない、興味ない、というのが本音でしょう。

 

でも、逆の立場で考えてみたら、

一向に面白くない、つまらない資料。

 

なので、なるべく、彼らが

 

〇すんなり聞ける

〇イメージできる

〇記憶に残る

 

ような動画を作ってメッセージを伝える方式を選択しました。

 

できれば5分以内、長くても10分程度の動画を作り、代理店営業向けに配信をはじめました。

 

読み物って、能動的に、自分から読みにいかないと頭に入ってこないため、結構なエネルギーが要りますよね。

 

でも、動画であれば、耳と目から情報が入ってくる(受動的)ので、情報を受取る側としては、ポチっとクリックして聞くだけなので、楽なんですよね。

 

でも、いくら聞くだけ、見るだけといっても、

 

〇馴染みがない内容

〇説明がやたら長い

〇要点が得られない

 

となると、まったく記憶に残りませんので、意味のない資料になってしまいます。

 

子供でもわかる内容に

 

難しいことを、簡単な言葉で、子供でもわかるように説明するのは容易ではありませんが、ここに努力を惜しんではいけないと考えています。

 

 

短く、重要メッセージを、ストーリにのせて伝える、その努力をしないといけないと思っています。

 

自分で英語の論文など情報を読み込んで、咀嚼して、ストーリーを作って、、、という作業をやるので、1つの動画作るのに、1~2週間かかりますが、

 

代理店からの食いつきがわかりやすいので、費用対効果は良さそうです。

 

 

できることを、ひとつずつ

 

なかなか結果がでず、焦る気持ちを押さえて、今は、できることを、ひとつずつ、地道に積み重ねることが大事と思っています。

 

また、今までのやり方にこだわらずに、新しいことを取り入れて、トライ&エラーで繰り返しみて、失敗の中からヒントを得て、創意工夫を重ねるのみです。

 

自宅勤務でリモート営業は、結構孤独な作業となりますが、めげずに、凹まず、一歩でも前に進むことを考えて、今日も一日できることを、ひとつずつ!

 

それでは、みなさま、have a nice day

 

by ちびまる

 

車事故から学ぶ。過失割合を折衝する前に確認すること

 

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画像:photoACハイシィさん

 

車の事故は突然に

 

突然後ろから、ガチャーンと。

 

車の事故は人生で2回目。

 

1回目はわたしの完全なる前方不注意で、信号待ちの軽トラックの荷台に突っ込み、100 vs 0で完全にわたしに過失。

 

その経験を踏まえて、わたしは運転があまり得意ではないという認識をしっかりもち、どちらかというと、自分の運転能力を疑うほうなので、安全第一で運転には気をつけています。

 

がしかし、このたび事故に遭遇しました。

 

現場はコンビニ駐車場内

 

幸い両者に怪我はなく、対物事故のみでしたので、よかったです。

 

事故を起こしたら、まずやること

 

〇110番で警察を呼ぶ

〇現場の写真撮影(双方の損傷個所、車両の位置関係)

〇なるべく車両は動かさないで待機

〇保険会社に連絡

〇相手の連絡先を聞く

〇相手の保険会社を聞く

〇相手に衝突までの動作を聞く

 

冷静な時は、当たり前のようにやるべきことは頭に浮かびますが、事故直後というのは、「ん?!何が起きた?」と、気が動転して、呆然としてしまうものです。

 

110番で警察を呼ぶ

 

警察を呼ぶ理由は、事故証明を取ること

 

事故証明書は要望がなければ当事者ではなく、保険会社に送られます。

 

有料ですが、自分自身に事故証明書を送付する手配も可能です。 

 

車両同士の対物事故の場合で、特にけが人も出ない場合は、あっさり現場検証は終了します。

 

現場の写真撮影

ドライブレコーダーをつけていない場合、保険会社同士での折衝は、手元にある画像をもとに行われますので、

 

〇自身の車両(損傷個所)

〇相手の車両(損傷個所)

〇両者の車両位置

 

現場の写真は位置関係がよくわかるように、建物や道路なども入るような遠目でも、撮って置くと保険会社に説明する際に役に立ちます。

 

車両を動かさないで待機

交差点など他の通行者の迷惑になる場合は、動かさざるを得ませんが、現場の状況的に、車両を動かさなくても警察の現場検証を待てるのであれば、それがベストです。

 

保険会社に連絡

事故の状況によっては、レッカー車などいろいろ保険会社にお世話にならなければならない状況もあるかと思いますので、まずは事故の第一報を。

 

携帯電話には、保険会社の連絡先(フリーダイヤル)を登録しておくと便利です。

 

また、車の中には車検証など控えをダッシュボードに入れておくと、すぐ対応できます。

 

相手の連絡先を確認

手元にペンと紙がない場合、スマホのメモ機能、そして録音機能を使うと便利。

 

すぐにスマホの電話帳に電話番号を登録するのも良いかと思います。

 

わたしがやってしまった失敗としては、住所まで交換してしまったこと

 

相手が住所までメモに書いてきたので、ついつい同じ情報を書いて渡してしまいましたが、考えてみれば、住所を教える必要性はないし、仮に後々トラブった際に、トラブった相手が自身の住所を知っているというのは心配です。。。

 

相手の連絡先は、保険会社に伝える以外、直接連絡を取り合う必要もないですので、最小限の情報のやり取りが好ましいと思います。

 

相手の保険会社を確認

相手の保険会社(会社名だけでも)聞いておくと、保険会社通しでの話し合いがスムーズに進みます。

 

仮に、直接相手に先方の保険会社を伺うことを忘れたとしても、自身の保険会社が相手方当事者に連絡をし確認をするので問題はありません。

  

相手に衝突までの動作を聞く

事故を起こした当事者というのは、間違いなくお互いバイアス(勝手な思い込み)が入るものですが、一応、相手の見解と事故(衝突)時と衝突までの動作について話を伺うと良いかと思います。

 

事故は一瞬の出来事なので、お互い「〇〇のはず」と、自身の都合の良い解釈にて、後で確認のしようがない、自身の動作をもとに事故状況について説明しがちです。

 

相手に限らず、自分自身も、もちろんそういった側面があるということを忘れてはならないです。

 

衝突までの相手の状況(動作、確認)と自身の状況を記憶が鮮明なうちに、文字に落しておくというのは大事です。

 

過失割合を争う前に

 

両当事者の対物過失割合によって、双方の損害に対する負担額が決まってきますので、過失割合でもめることは日常茶飯事

 

当事者の車の保険加入状況にもより、負担額というのは異なってきますが、相手方と過失割合を争う前に、自身のポケットに降りかかる損害額の仮説立てをしておくと、無駄に不毛な争いをせずに済みます。

 

〇対物保険支払い条件

〇車両保険加入の有無と条件

〇過失割合と等級落ちの影響

〇移行3年間の保険料差額

〇自腹vs保険使用の仮説

〇修理費立替え払いの可否(期間)

〇過失割合の定説

 

これらの情報を自身の保険会社より集め、過失割合の度合い vs ポケットマネー損失を事前に確認しておくと良いと思います。

 

大手保険会社の場合、保険会社窓口担当とのコミュニケーションボートなるものがあり、また、事故処理の状況を時系列で記録されるので、事故処理の状況を明確に把握することができます。

 

わたしの事故事例

 

車両と車両の接触だけで、幸い人身事故ではなく大事には至らなかったのですが、双方にて数十万円の修理代が発生しました。

 

わたしとしては、後ろから追突されたという認識でしたので、まぁ、わたしの車両も停車していたわけではなかったし、1(わたし):9(相手)の過失割合は免れないのだろうと思っていたのですが、、、

 

思いのほか先方の認識が大きく異なり、数か月にわたり、それも弁護士を使って折衝することになりました。

 

数か月粘って折衝したのですが、結果的には、「0(当方)vs 100(先方)でない限り、わたし自身のポケットマネーへの影響は大差なし」ということがわかり、あっさり示談としました。

 

車保険に関する理解不足のため、数か月も長引かせてしまいましたが、大変勉強になったので、いくつか知り得たことをシェアします。

 

弁護士特約を使う

 

この度、弁護士特約(上限300万円)に入っていたので、使わせていただきました。

 

弁護士特約の保険を使っても、翌年度の等級には影響がでません。

 

また、仮に事故鑑定会社のサービスを使う場合も、保険会社にもよりますが、弁護士特約にてカバーすることが可能です。

 

事故鑑定会社のサービスにより、車両の重量や損傷度合いなどから、さまざまな検証を論理的に行い鑑定書をもとに、裁判で折衝することも可能です。

 

弁護士の選定は、自身が指定する弁護士でもOKでしたが、わたしの場合は、弁護士に知り合いがいないことから、保険会社の取引弁護士を通じて折衝をしていただきました。

 

弁護士を使うメリット

 

まずは、相手方に当方の本気度を見せることができ、裁判になれば裁判所に出向かなければならないこともあります。

 

そうなると会社を休まなければならなかったり、「そこまでするぐらいなら・・・」と主張を取り下げ、要求に応じるケースもあります。

 

また、仮に弁護士を立てたほうが裁判をするとなれば、相手方の保険会社が弁護士費用を負担し、裁判に応じなければならないこともあり、相手方の保険会社が当事者の説得に当たるケースもあるようです。

 

ただし、相手方当事者にとっては、裁判にかかる費用を負担する必要はないので、裁判に応じるということもあるでしょう。

 

弁護士特約への加入はそれほど高くないので、大きな事故(特に自身の過失が大きい時)には、加入をしておいたほうがリスク回避になります。

 

弁護士を使っても、大きな変化は望めない

 

弁護士の質にもよるかもしれませんが、弁護士を挟んでも、保険会社同士で折衝する場合とそれほど変わりはありません。

 

相手方の保険会社も経験をベースに、一般的な事故過失割合の定説に則り折衝してきます。

 

また、弁護士も、定説をベースに話を進める感があるので、例えば、「科学的な鑑定書をもとに立証」という方向にはなかなかいきません。

 

裁判を起こしても・・・

 

仮に裁判を起こしたとしても、裁判所も、定説(例えば、駐車場内の事故の場合は7:3)などに基づき、判定を下す傾向にあり、なかなかロジカルにはいかないと、弁護士からは話がありました。

 

たとえ、第三者機関の鑑定サービス会社が出した鑑定書に基づき主張したとしても、双方の主張が異なれば、あまり優位に働くケースも少ないと、弁護士からは伺いました。

 

わたしの場合、1:9に持ち込むために裁判を考えていましたが、結局0:10でない限り、あまり意味がないのと、あまりロジカルには物事は進まないという状況を受け、裁判する前に示談に持っていきました。

 

事故鑑定サービス(30万円+)

 

ドライブレコーダーが双方の車両についておらず、衝突の瞬間の確固たる証拠がない場合、なかなか事実ベースでの折衝ができないものです。

 

そういった場合に、損傷状況や車両の大きさや重さから、事故鑑定をするサービスを利用することもひとつの手です。

 

弁護士特約にはいっていれば、保険でカバーできる場合が多い事故鑑定サービスですが、少なくとも30万円ほどはかかるので、保険会社にまずは相談するのが良いと思います。

 

わたしのケースでは、保険会社も弁護士も、事故鑑定サービスの利用については懐疑的であり、果たしてどれだけ有利に働く鑑定書が手に入るのか、高額なだけで、さほど効果がないのではないか、という意見が強かったです。

 

防犯カメラへアクセスできない

 

今回、コンビニ駐車場内での事故でしたので、保険会社から、そして弁護士を通じて、コンビニオーナーに防犯カメラの開示を願いでたのですが、きっぱり断られました。

 

それも、「迷惑なので、もう連絡してこないでほしい」とまで言われたそうです・・・

 

コンビニのオーナーさんにもよるかもしれませんが、個人情報保護の問題もありますし、まず防犯カメラの映像開示はしてもらえないと考えたほうが無難です。

 

弁護士さん曰く、対人事故であれば、警察は刑事事件として扱うため、警察の協力を仰ぐことも可能だが、対物の場合、警察も忙しいし、事故報告も簡易だし、そうそう付き合ってはくれない、というのが相場らしいです。

 

よって、ドライブレコーダーをつける以外、事故当時の状況を確認する術はないことを知りました。

 

 

過失割合は等級落ちに影響なし

 

まずはじめに、わたしが初めて今回知ったことのひとつとして、過失割合が、1:9であろうと、2:8であろうと、なんであろうと等級落ちには影響がないということです。

 

この度、わたしは保険を使わない場合の等級維持と、保険を使った場合の等級落ちの差が、2,000円ぐらいしか変わらなかったので、保険を使いました。

 

等級落ち=保険料が高くなる

 

わたしの保険等級は12等級で、保険を使うのならば、過失割合に関係なく3等級落ちでした。

 

自腹で払うか、保険を使うかの損得は、以降3年で考えるようです。

 

例えば、現時点の12等級をベースに考えると、

 

15等級42,000円

14等級43,000円

13等級44,000円

12等級45,000円

11等級59,000円

10等級61,000円

9等級63,000円

 

保険を使わなければ、次年度以降の保険料は、

1年目 (13等級)44,000円

2年目 (14等級)43,000円

3年目 (15等級)42,000円

(A) 合計:129,000円

 

保険を使う場合、3等級落ちるので、次年度以降の保険料は、

1年目 (9等級)63,000円

2年目 (10等級)61,000円

3年目 (11等級)59,000円

(B) 合計:183,000円

 

(A)-(B) = 差額54,000円

 

ですので、保険を使った場合、わたしのポケットマネーに関わってくる損失額は、54,000円となります。

 

車両保険加入している場合

 

自身の車両が車両事故により損傷を受けた場合、

 

〇全額保証

〇免責あり

〇保証上限額

 

で保険を使うかどうか考える必要があります。

 

わたしの場合は、免責が5万円で、保証上限額が40万円でした。

 

わたしの車の修理費は20万円でしたので、車両保険を使う場合は、40-5=35万円が自身の車両保険より支払われます。

 

免責分の5万円は、過失割合が仮に1 (自分): 9 (相手)の場合、相手がわたしの車修理代に支払う上限額は、20 x 90% = 18万円となりますが、わたしの自己負担額は免責の5万円だけなので、先方の保険会社が支払う額は5万円です。

 

そして、この5万円は、先方の保険会社から直接自分の口座に振り込まれます。

 

過失割合と自己負担額

 

相手車両への損害の支払は、保険を使う場合は、自身の対物保険にて支払われます。

車両保険加入を加味する場合、自己負担額は下記の通りです。

 

例えば、

 

〇自身の修理代:20万円

〇相手の修理代:40万円

 

の場合、

 

過失割合

自分1(4万円):相手9(18万円)

相殺額:14万円

自身の修理費20万円-14万円=自己負担額:6万円

 

自分2(8万円):相手8(16万円)

相殺額:8万円

自身の修理費20万円-8万円=自己負担額:12万円

 

自分3(12万円):相手7(14万円)

相殺額:2万円

自身の修理費20万円-2万円=自己負担額:18万円

 

これらの自己負担額を保険で払うえば、次年度からの保険料は3等級落ちで54,000円の損失ですので、仮に1:9であったとしても、保険を使ったほうが良いという結論になります。

 

車両保険に入っていない場合は、単純に過失額を自身で支払うか、保険で支払うか、そして自身の車修理代を相手方の対物保険でカバーできない場合は、それも自腹となります。

 

わたしの場合は、軽自動車でしたので、修理費は20万円ほどですみましたが、相手方の車両修理代は倍の40万円なので、仮に過失割合が低かったとしても、相手の修理代が高いので、保険を使わざるを得ないとなると思います。

 

仮に、ベンツやフェラーリなど、高級車と接触した際には、間違いなく対物保険を使わざるを得ないでしょうね。。。

 

対物対人保険は無制限でないと怖いですね。

 

保険はいざという時にある

 

車の保険は事故った時に使うもの。

 

今回、わたしの保険料は3年間で54,000円の損失となりますが、実質持ち出しゼロでしたので、保険に入っていてよかった、それも車両保険に入っていてよかったと思いました。

 

事故からの教訓

 

まず、軽微な事故で大事に至らず本当に良かったと思いますし、この事故によって、より運転に気をつけようという気持ちになったので、良かったと思っています。

 

今回の事故の教訓。

 

1.運転に気をつけよう

2.しっかり保険に入ろう

3.車両保険と弁護士特約も入ろう

4.相手に不要な情報を渡さない

5.相手と直接連絡を取り合わない

6.過失割合で無駄に争わない

7.しっかり損失のシミュレーションを

8.過失割合は理屈より定説が優先される

9.保険の等級落ちは過失割合で変わらない

10.裁判起こされる当事者は弁護士費用負担はない

11.防犯カメラの映像は開示請求は困難

12.ドライブレコーダーをつけるべし

 

みなさんも、交通事故には気をつけてくださいね。

 

それでは、have a nice day

 

byちびまる

 

※本記事の内容は、本記事執筆当事者(わたし)の個人的な1事案であり見解ですので、正確性については100%保証するものではありません。あくまでも1つの事例としてご参考までにお読みください。保険会社および個々人の事故状況によっても異なるかと思いますので、必ずご自身の加入されている保険会社にご確認の上、ご本人のご判断と責任にて事故対応をされてくださいますようお願いいたします。

禅(ZEN)の思想に学ぶシンプルな生き方に共感

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画像:photoACRate1003さん

 

禅(ZEN)の思想に学ぶ

 

禅とは何か。

 

いろいろ調べてみると、これといった解はなく、キーワードは「無」

 

わたし自身、これまで座禅をやったこともないし、今まで特別に興味を示したこともないのですが、「自身の生き方」を考えたときに、わたしが支持している思想って、どこか結びつくような教えや宗派ってあるのだろうかと、なんとなく思っていたところがありました。

 

多くの人は、それぞれ信じる神や神の教えを生きていく支えや指針となるものとしていて、わたしのまわりにも、カソリック教徒、イスラム教徒、仏教徒、プロテスタントなどおりますが、わたし自身、特別にこれといって信仰している宗派はありません。

 

シドニーで生活していた頃、警察の要請で裁判所に証人として出頭を命じられたことがあって、宣誓する際に、「あなたは神を信じますか」と裁判官に聞かれ、「いいえ、信じていません」と正直に回答したところ、裁判の会場がどよめいたのを思い出します(;^ω^)

 

そんなわたしなのですが、先日、何気なくググっていた際に、下記のサイトを見つけて、「おぉぉーーーっ!、わたしが支持する生き方は禅(ZEN)の思想に似ている!!!」と大きな発見をしたわけです。

 

禅(ZEN)を深く学んだわけでもなく、ただ単に下記のサイトに共感しただけではあるのですが、わたしが心地よく感じていた生き方は、こういうことだったのだと改めて実感させられました。

 

kinarino.jp

 

本来の自分に立ち返る

 

禅とは信仰ではなく修行。

 

本来の自分を見つめる修行。

 

そのために無になる必要があり、無になるための修行が座禅。

 

なるほど。

 

本来の自分。

 

「自分でも本来の自分って、どんなだろう?」と、わからないですが、無になる修行をすることで何か感じられるものがあるのかもしれませんね。

 

今が大切。日々の暮らしを丁寧に。

 

“今ここにいる自分”に意識を向けて、日々の所作を丁寧に行う。”

”目の前のことに集中する”

引用元:キナリノ:きっと心が軽くなるよ♪“禅(ZEN)”の思想から学ぶ「シンプルな生き方」

 

わたしにとって、過去や未来よりも、今が一番大切。

 

今この時の自分が考えてること、感じていることを大切にして、自分に与えられた時間という資源を大切に使っていきたいと考えています。

 

今この時を、自分の意思で自分で責任を持って物事を決めて、すべての選択を自分で行っていくことで、仮にその選択により嫌なことが起きたとしても、その事象を受け入れ向き合うことができるし、悔やむこともない。

 

今自分が持っている精一杯の力を総動員して考えて、決めたことであれば、後悔はしない。

 

自分に集中する

 

便利なネット社会で生きる私たちは、常に情報の渦にさらされます。

 

ネット上では、誰しもが、いろんなことをそれぞれ発言する自由があり、その人々の言葉は、時に人を励まし勇気を与え、時には人を苦しめ悲してしまうこともあります。

 

わたしも匿名にて本ブログで、自分が思ったこと、感じたことを文字にして発信しているわけなのですが、基本的にわたしは「自分」を軸にした発信をするように心がけています。

 

「あの人が」ではなく、

 

〇自分はどう思うのか

〇自分は何を選ぶのか

〇自分はどう生きるのか

 

と、全て自分を軸にして、自分自身の言動について考え発信することは、あくまで主語が「わたし」なので、どこかの誰かの生き方をどうこう言うことはありません。

 

だって、唯一自分だけが、自分の意思で変えられるわけで、また、他の誰かの言動について、わたしが何か変えることはできないのだから。

 

だけれども、一般的に、ひとというものは、相対的に物事を考えてしまう傾向があり、周りよりも優位に立ちたいという欲求が少なからずあるもの。

 

わたしも例外なく・・・

 

だから、他の誰かと比べて、わたしは・・・

 

〇上手くできているのか

〇輝いているのか

〇認められているのか

 

など、考えても仕方のないことを考えてしまって、一喜一憂してしまう。

 

憧れの人を対象にして、「あんな風にわたしもなりたい」と夢を描き、日々試行錯誤し努力をするのは良いけれど、なかなか思うような結果が出なくて、自分を卑下してしまうことはナンセンス。

 

思うように結果が出ないというのは、苦しいもの。

 

だけど、自身の日々の努力に集中して、昨日の自分よりも、ちょっとでも前進しているかどうかに集中すると、心は穏やかでいられるのではと思います。

 

禅から学ぶ習慣

早起きして掃除する

最近、平日は朝温泉に入りたいという欲求を味方につけて、5:50に起床するように心がけています。

 

どうも朝が弱く、シャキッとなかなか起きられず、ぐずぐずしてしまうわたしなのですが、なんとか、朝風呂の気持ちよさを求めて起床しています(;^ω^)

 

お掃除は、基本的に

 

〇ものをあまり持たない

〇食べたらすぐ片付ける

〇ベッドメイキングは必ず毎朝する

〇気になるところはすぐ掃除

 

することで、それほど部屋が散らからないので、週1回週末にするぐらいです。

 

不要なものを手放す

あまり物持ちではないわたしなのですが、それでも、なんだかんだと、物は増えていきます。

 

困ってしまうのがプレゼントでいただいたもの。

 

以前、わたしの乳がん騒動があった際に、母が心配して!?どういうわけか、大きなぬいぐるみ(スヌーピーの兄弟オラフ)を送ってきて、頭が大きなオラフは、わたしのベッドサイドに。。。

 

「実質的には、必要なものではない」のですが、母の気持ちを考えると、処分するわけにもいかず、そのまま我が家におるわけなのです。

 

まだ使えるものを処分することに抵抗はありますし、かといって、こまごまとしたものをフリマで売るというのも結構な労力がかかります。

 

なので、なるべく、不要なものを自分では買わない、ものを増やさないようにしています。

 

必要ない情報には触れない

 

ビジネス上は、なるべく多くの情報収集をして、必要な情報を取捨選択し、仕事に役立てていくものなのでしょうが、ネット社会の現代では、フェイク情報も含めて、膨大な情報が日々渦巻いています。

 

常に頭の中をシンプルに、不要な情報により、不要な葛藤や心配など、心を病んでしまわないような工夫は必要かと。

 

わたし幸運なことに、あまり情報が頭の中に入らないのと、また、あまり他人に興味がない=ゴシップや噂も興味なし、そして新しもの好きではないため、自らさまざまな情報を探しに行くというのは稀です。

 

そして、SNSも唯一Facebookをやっていましたが、先日やめてしまったので、SNSによるストレスもなく、また、本ブログのTwitterもブログ記事をシェアするぐらいでフォローはまったくしていないので、ほぼゼロ関与。

 

世の中の動きに大きく乗り遅れた感があるのですが、どうもあまり興味が持てず、また、そもそも煩わしく感じてしまうところがあったので、仕事上のSNS - LinkedIn以外は今後も使う予定はありません。

 

必要ない情報に触れないというのは、自身の機会を狭めてしまう可能性もありますが、心の安らぎと情報を得ることでの機会を天秤にかけて、バランスを取っていくことが大事かもしれません。

 

禅のことば

喜捨(きしゃ)

喜捨(きしゃ)は「曇りのない心」という意味なのだそうです。

 

もともと人は、おぎゃっと生まれた時は無垢であり、1点の曇りもない心を持っているはずだけれども、社会でさまざまな経験を積んでいくうちに、さまざまな感情や思いが生まれ、心が揺れてしまうこともしばしば。

 

喜怒哀楽は人間が持っている美しい一面でもあると思うので、日々、喜怒哀楽に振り回される人生も悪くはないと思いますが、一日の少しの時間だけでも、「しんと静まり返った凛とした無の心」を持てると良いなと思います。

 

把手共行(はしゅきょうこう)

 

「手を取り合って、共に行く」

 

「手に手を取って同じ志を持ち、同じ思いを抱いて歩む」 という意味のようです。

 

ひとは、ひとりでは生きられません。

 

自分にとって、大切な誰かと、手を取り合って、共に生きていくことは、豊かな人生を送るにあたり、大切な要素であると思います。

 

 

わたし自身は、あまり社会活動に参加するほうではないので、どちらかというと人間関係は希薄なほうなのですが、仕事を通じた仲間とは、同じ志を持って、共に生きている感はあるように思います。

 

随所快活(ずいしょかいかつ)

 

素直で自然な心で。

 

いかなる状況でも、自分らしく自然体でいること。

 

知らず知らずに、見栄を張って、自分自身以上に大きな自分を見せたがっていないだろうか。

 

30代のわたしは、まわりによく言われてました。

 

「等身大の自分でね」と。

 

ということは、周りからみたわたしは、見栄をバリバリ張っていて、それが見え見えで、バレバレだったということ。

 

40代のわたしも、それほど変わってないかもしれませんが、30代の頃よりは、もう少しだけ、自分を受け入れられるようになったのではと感じています。

 

ある種、諦めた感も否めませんが(;^ω^)

 

知足(ちそく)

 

「足るを知るものは富む」という老子の言葉に通ずる言葉でしょうか。

 

今ある人生に感謝し、足るを知るというのは、大切なことだとわたしも最近理解できるようになってきました。

 

衣食住が満たされ、健康でいられることにまずは感謝すること。

 

当たり前の日々に感謝ができるということは、とても幸せなことだと思います。

 

歩歩是道場(ほほこれどうじょう)

 

人は、自分次第でいかようにも人生を歩める。

 

自分の人生は自分次第、自分の心がけ次第でいかようにも自分を精進できるという意味のようです。

 

自分の人生は自分次第!

 

これは、わたしがずっと信じてきている信条のひとつです。

 

明明百草頭(めいめいたりひゃくそうとう)

 

ひとは、この世に生まれただけで美しく、価値のある存在。

 

「世界にひとつだけの花」ですね。

 

これは、とても勇気づけられ、心がほっこりできる言葉ですね。

 

自分は太ってるとか、容量悪いとか、仕事が遅いとか、口下手だとか、そんなことは、たいしたことではなく、ひとは、よいところも、不足しているとことも、ひっくるめて全部があって個性だと思えば、気が楽になります。

 

自分を受け入れて、自分が一番自分を愛してあげないと、ですね。

 

脚下照顧(きゃっかしょうこ)

 

まずは自分の足元(まず自分の本性)をよく見つめなさい、という意味のようです。

 

誰かのせいにするのではなく、まずは自分自身をみつめて、反省し、精進しなさいということのようです。

 

これは、ついつい忘れてしまいがち💦

 

上手くいかない時に、まわりのせいにしてしまう、不満を言ってしまう、誰かの陰口を言ってしまっている自分がいたら要注意!です。

 

禅(ZEN)の要素を大切に

 

禅というのは、平たく言えば、「己」が基本であって、己の人生を豊かなものにするために、己を見つめ精進することと、理解しました。

 

「無になる」というのは、経験したことがないのでわからないのですが、禅というのは、言葉で問うものではなく、身をもって経験することらしいので、

 

堅苦しいことは考えず、一日の隙間時間に、周囲の音を全て消して、しーんとなった部屋の中で、座禅を組んでみるのが良いかと思っています。

 

禅!これからも、ちょくちょく学んで、日々の生活に取り入れてみよう!

 

それでは、みなさま、have a nic day

 

byちびまる

 

中田敦彦さんのYoutube大学「7つの習慣」の解説を視聴して感じたこと。

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画像:photoACカナルさん

 

中田敦彦さんYoutube大学

 

最近、よくみる動画の中に、中田敦彦さんのYoutube大学があります。

 

さすが売れっ子芸人さんというだけあり、話が上手で飽きさせない話術をお持ちな中田敦彦さん。

 

中田さんのYoutube大学動画は、今まで「これって何だろう?」と思っていたことを、中田さんの解釈において、わかりやすく解説してくれるので、楽しくいろいろと学ぶことができます。

 

政治から宗教、歴史、自己啓発など分野は広く、結構な時間をかけて、動画作成をされておられるのだろうなと察します。

 

あらためて、中田敦彦さんの能力の高さに驚かされます。

 

以前は、わたし自身も、分厚いビジネス書など好んで読む傾向にありましたが、最近は、どうも活字を読むのが億劫になってきてしまい(完全に怠惰💦)、なかなか手を出せないのが本音で、また、最近はめっきり、ビジネス本や自己啓発系の書籍に興味を失ったという自分がいます。

 

そんな中、中田さんのYoutube大学動画を目にし、その面白さに最近はすっかりはまってしまっています。

 

実際に自分で情報元となる書籍を全て読んでいるわけではないので、あくまで中田さんの解説をもとにいろいろ考えを巡らせるわけですが、

 

中田さんの解釈がどこまで正確なのかという議論は横に置いておいたとして、各書籍や物事に対して、「ひとつの解釈」として中田さんから概要を学べるというのは、とてもありがたいことです。

 

考えるチャンスを与えてもらえます。

 

中田さんの動画の中で「7つの習慣」について解説している動画があり①~⑥まで拝聴し、彼の解釈を学ばせていただきました。

下記の動画からスタートです↓↓↓

www.youtube.com

 

7つの習慣は、オーストラリアに在住の頃、高いお金を出してハードコピーを買って読んだ覚えがあります。

 

確かワークブックのような本もあって、取り組んでみたものの、よくわからなくて途中で投げ出した記憶があります💦

 

大もとの書籍は結構な分厚さで、結局、あまり自分自身には響かなかった、というより、真意を理解できなかった、というのが本音です。

 

この度、7つの習慣について、中田さんの解釈を伺い、はじめて本書の訴えている真意を理解したように思います。

 

7つの習慣とは

とても有名な書籍であり、概要は多くのサイトで紹介されていますし、何より、上記中田さんの動画配信が具体例も挙げられ、とても分かりやすいので、本ブログコンテンツでの説明は割愛します。下記サイトでも要点をわかりやすく説明しています。

 

type.jp

 

第1の習慣 - 主体的である

第2の習慣 - 終わりを思い描くことから始める

第3の習慣 -最優先事項を優先する

第4の習慣 -Win-Winを考える

第5の習慣 -まず理解に徹し、そして理解される

第6の習慣 -シナジーを創り出す

第7の習慣 - 刃を研ぐ

Type 10分で読める要約『完訳 7つの習慣~人格主義の回復~』  より抜粋引用

 

言葉だけをとると、どれもこれも、ごもっともな基本的な大事なことであり、徳の高い人格者の習慣として基本原則なのだろうと、思うことは確かです。

 

中田さんがYoutube大学で解説している通り、「言うは易く行うは難し」

 

なかなか、どの習慣も実行するのは容易ではないです。

 

本書は、そもそも、ある程度経済的成功を収めた人物が参考にする書籍という位置づけであると、わたしは理解しています。

 

経済的な成功とは、一般的にざっくり想像するに、

 

〇ビジネスで成功した

〇億単位の資産を持っている

 

という一般庶民では到底経験できない生活レベルに身置くことができる人、でしょうか。

 

「7つの習慣」は、そういった一般的に言う成功を収めた人が、自身の人生において、利己的な経済的成功(お金だけ)では心が満たされず、経済的成功の先に求める欲求を満たすために、目指すべく非常にレベルが高いゴールに到達するための参考書である、とわたしは理解しています。

 

成功とは何か

 

成功とは、「物事をうまく成し遂げて、社会的地位や名声などを得ること。」とgoo辞書にはあります。

 

上記にも述べました通り、「成功」と聞くと、一般的には、多くの場合、経済的かつ社会的な成功を思い浮かべるのではないでしょうか。

 

成功者=ビジネスで成功し経済的自由を得た社会的地位が高い人。

 

というイメージですが、わたしが考える「成功」とは、個々人によって異なるものであり、人生において一つの事象ではなく、個々人が感じる達成感であると考えています。

 

そして、「成功」と「幸せ」は別物であり、

 

〇成功=達成感を感じる事象

〇幸せ=愛されている実感

 

なのではないかと、考えています。

 

人は、誰しも「愛されている」という実感が欲しい生き物ではないかと、わたしは思います。

 

誰に愛されたいのか、そして、どれだけの人(規模)に愛されたいと望むのかは、人それぞれであり、また、愛され方(表現のされ方)も、ひとによって、微妙に異なるのではないかなと、わたしは思います。

 

結局欲しいのは愛

 

経済的に成功を収めてきた人というのは、もしかしたら、周囲から愛を得られていると実感するために必要な多くの大事なことを、犠牲にしてきた人もいるかもしれません。

 

容易に考えられることは、「大事な人との時間を犠牲にすること。」

 

7つの習慣の第2の習慣 - 「終わりを思い描くことから始める」について、わたしは、中田さんの解説を聞いていて、結局人は、「愛されたい、愛されている実感が欲しい」というところに行きつくのではないかと感じました。

 

中田さんのYoutube大学プレゼンにおいて、第2の習慣 の解釈では「自身の葬儀において、どんな弔辞を述べてほしいか」という問いかけがありました。

 

これは、結局のところ、

 

〇自分は慕われていただろうか

〇自分は愛されていただろうか

〇自分は記憶に残る人であろうか

 

と、周囲が自分に対して想いを馳せてくれるだろうか、そして、自分がいなくなったことを惜しんでくれるだろうか、寂しがってくれるだろうか、ずっと覚えていてくれるだろうか、という欲求の現れではないかと思いました。

 

第2の習慣を考える

 

7つの習慣の第2の習慣 - 「終わりを思い描くことから始める」について。

 

もしも、「自身の葬儀の時に、どういう状況であってほしいと自分は望むのか」と考えたときに、わたしは、中田さんの解釈とはちょっと違った感覚を持っていると感じました。

 

自分の葬儀における弔辞において、確かに、わたしを慕ってくれる人がたくさんいて、わたしとの永遠のさよならを惜しんでくれるというシチュエーションは、とてもありがたく、嬉しい。

 

だけど、正直なところ、自分が死んだ後のことを考えて、どんな葬儀でどんな弔辞を述べてほしいかを考えて、それをゴールにして?、今目の前にある人生の設計をするというのは、わたしはあまり興味がありません。

 

わたしはそこまでの境地に達していない人格レベルなのかもしれませんが、わたし自身の葬儀については、今現在、正直なところ、自身の人生においてあまり重要ではない儀式と思っています。

 

仮に自分の葬儀を思い描いたとして、望むことといったら、たった一人でもいいので、心から、「あなたに出会えてよかった」と思ってくれて、そっとさよならを告げにお線香をあげにきてくれれば、それで充分かと。

 

欲を言えば、「わたしに出会えてよかった」と思う人たちが、「そういえば、こんなことあったよねー」みたいな感じで、いいところも、だめなところも、腹が立ったことも、嬉しかったことも、ひっくるめて、

 

わたしが生きた時間を、一緒に過ごした時間の思い出を酒のつまみに、楽しくわいわい美味しいものをみんなで食べて、「なんだかんだ言って、面白かったね、楽しかったね」と言ってくれれば本望です。

 

 

そしてできることならば、海でも山でも、自然がきれいなところに散骨してもらって、自然の一部となりたいと思います。

 

人生の最期を想像することよりも、今の自分の感情、思想、欲求、肉体そして精神、すべてをしっかり実感して、今の自分が考える方向性を自分自身で探求したいです。

 

高徳な先人の皆様の特徴に見習うことは大事と思いますが、まずは何より、自身の人生を自分なりに精一杯生きること、

 

そして、自分なりの目の前にある、どんな小さなことでも成し遂げたいことに集中し、自分なりの達成感を得てちょっとずつ成長していくことが大事だと思っています。

 

緊急ではない重要なこと

 

第3の習慣 -最優先事項を優先する

 

日々、私たちが目の当たりにし時間を費やす事象を4つにわけると、

 

①緊急かつ重要なこと

②緊急ではないけど重要なこと

③緊急だけど重要ではないこと

④緊急でも重要でもないこと

 

①を最優先にするのは当たり前、③と④はついつい時間を費やしてしまう、②は重要と知りながらも後回しにしがちな事柄で、②に時間を捻出することがとても大事という考え方は、わたしも納得する考え方です。

 

この考え方は、わたしは仕事上、常に考えていますが、プライベートではさほど意識していないのが現実。

 

中田さんは、ほとんどの人々は①で大半の時間を占めてしまっており、隙間時間の息抜きに④に時間を費やしがちと見解を述べています。

 

④というのは、ざっくり言えば「娯楽」のようなものです。

 

①に時間を費やすのは致し方のないことと思いがちですが、自身で抱えるのではなく、誰かに作業を振ることが大事と、中田さんは言います。

 

その考えには一理あり、とわたしも思います。

 

自分しかできない事柄というのは、本来、そうそうあるものではなく、自分自身しかできないと自分が思い込んでいるだけです。

 

自分が仮に会社を辞めても、この世からいなくなっても、会社も地球もまわると考えれば、多くのたいていのことは、自分以外の人でもできること。

 

でも、ひとは自身の存在感を無意識に強調してしまう傾向にあるのではないでしょうか。

 

②緊急ではないけど重要なことは、ひとによって対象は異なるものの、重要なはずなのに、時間を捻出できていないことが多ければ、時間を捻出する努力をし実行するという考えは、理にかなっていると思います。

 

何か一つでも参考にすればいい

 

7つの習慣のように、世界中で大ベストセラーになっているような書籍というのは、多くの人にとって、「そうだな」と共感できる部分が多い、だから必要とされ販売されたということなのでしょう。

 

だけど、わたし自身は、全部が全部、今すぐ具体的に実行できる、もしくはしたいと思えるものではなく、まずは1つでも2つでも、気に留めておいて、ちょっとずつエッセンスを実生活に取り入れるということを考えてみようと思います。

 

わたしにとっての成功、そして幸せは、私自身が実感することであり、私自身が創造するものなのだから、ひとつのルールに縛られることなく、自身のライフにあった習慣をライフステージに柔軟に合わせて取り入れて行けばよいのだと思います。

 

わたしの今までの人生において、小さな成功はたくさんあります。

 

そして、数えきれないほどの失敗も・・・。

 

でも、失敗があるからこそ、自分が愛してもらうためのエッセンスに気がつくこともできるし、自身の気持ちや生き方を大事にした上で、そのエッセンスを自分なりの色で取り入れていく努力をすればよいのかなと。

 

肩肘はらず、誰と比べるのでもなく、自分なりのやり方で、トライ&エラーをしていくこと、それこそが人生。

 

最期に、「楽しかったな、いい人生だったな」と思えれば最高です。

 

それでは、多くの皆様にとって素晴らしい人生でありますように。

 

今日も一日、have a nice day

 

by ちびまる

 

空気が読めない人と読み過ぎてしまう人、そしてわたしは。。。

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画像:photoACリズム727さん

 

空気を読み過ぎてしまう人の葛藤

 

自分をよく知る友人に「凪のお暇が再放送してるよ」と、そして「共感できると思うよ^^」とメッセージを頂いたので、凪のお暇、みてみました(まだ、半分ぐらいですが)。

 

あらすじは、周囲の空気をあまりにも読み過ぎて、その結果、自身のアイデンティティがわからなくなり、まるで水の中で溺れていくような苦しさを味わった主人公が、しがらみを一切合切何もかも捨てて、本来の素の自分と向き合っていく内容です。

 

わたしは、どちらかというと、空気が読めるタイプではななく、空気が読めないタイプなのですが、凪ちゃんが抱えた葛藤、、、わからなくもない。

 

目の前にいる相手に、

 

〇嫌われたくない

〇笑われたくない

〇がっかりされたくない

 

という気持ち。

 

 

人は誰しも、多かれ少なかれ、周りに認められたい、という気持ちがあります。

 

仲間外れや、ひとりぼっちになるのが怖い。

 

だからこそ、周囲と上手くやっていきたいと思うし、できることなら、自分らしく、素のままでいながら、周囲に溶け込みたいもの。

 

まわりから嫌われる、仲間外れにされる、ばかにされるのが怖いから、その場の空気を読んで(目の前にいる人の心を読んで)、自分の気持ちよりも、周囲に同調することを選んでしまいがち。

 

自分の気持ちをないがしろにし、周囲に同調することばかりを考えて生きていたら、自分をどこかに置いてきぼりにしてしまい、いずれ心が壊れてしまいますよね。

 

わたしって、いったいなんなのだろうと。

 

特別に何かに興味を持てない悩み

 

10代~20代の頃のわたしは、普通の人が興味を持つようなことに、「特別に興味を持つことができない」ことが悩みでした。

 

周囲から、「何が一番好き?」とか、「何をしたい?」とか、「どう思う?」と聞かれても、興味がないから何にも答えを持ち合わせておらず、そういった質問を受けるのは大変な苦痛であり、また恐怖でしかありませんでした。

 

 

興味がないから、何を聞かれても、大した反応ができず、話を盛り上げられない。

 

だから、学生時代は、みんなが集まっておしゃべりする、休み時間がとにかく苦痛でした。

 

3人以上で集まる場が苦手だったので、なるべく、そういう、ワイワイするような場所に居合わせないようにして思春期を過ごしてきました。

 

そして、自分でも周りから浮いていたことにも薄々気がついていたので、きっと、わたしの言動で、わたしの知らないところで(厳密には気がつかないところで)、ドン引きされていたことも多々あるのではと思います。

 

幸い、40代になったわたしは、さまざまな経験を通じて、多少、いろんなことに興味を持ったり、関心を寄せたりすることができるようになり、それなりの意見を持つようになりました。

 

意見や主張をするには、自分の頭で考えて「自分はどう思うのか、それはどういう根拠で?」という考えを持つ必要があり、幸い、わたしは長年の海外生活そして仕事を通じて、「自分で考える」という訓練を積むことができました。

 

なので、今は、何を質問されても、恐怖を覚えることはなく、わからないことは、素直にわからないと言えるようになりました。

 

とは言え、まだまだ社交的な3名以上集まるような場所は苦手なんですけど(;^ω^)

 

空気が読めない人の特徴

 

空気読める人 vs 空気読めない人の2択であれば、わたしは、間違いなく空気が読めないタイプ。

 

「空気が読めない人に共通する特徴」など他の方のブログを読んでみると、空気が読めない人の特徴として挙げられるのは、

 

〇周りが見えてない

〇自尊心が高く勘違い

〇他人に厳しい

〇口が軽い

〇自分を面白いと思っている

〇人の話を聞かない

〇気が利かない

〇時間にルーズor超厳しい

〇見栄っ張り

〇自分の常識を疑わない

 

などが挙げられるようですが、赤文字部分(7割)は、わたしに当てはまるので、わたしは、やっぱり、「空気を読めない人」なのでしょう。

 

明らかに空気読まないとまずいでしょうという場面、例えば、お葬式や結婚式。

 

空気を読むというより、明らかに厳かな雰囲気を感じられるシチュエーションであれば、さすがの鈍感なわたしでも、その場に馴染むよう粗相のないように気をつけることはできます。

 

 

でも、何気ない日常の中で、微妙な空気を読み、目の前にいる人の気持ちを察して(深読みして)、先回り行動で、周りに同調するという技をわたしは身についていません。

 

わたしは、周りの気持ちより、自分の気持ちを優先する傾向にあると思います。

 

「なるべく、失礼のないように」と心がけてはいるものの、時には、自身の意見をぶつけ過ぎて相手を不愉快にさせてしまったり、怒らせてしまったりもしばしば💦

 

わたしの場合、自分の感情と主張があまりにも全面に出過ぎてしまうので、バランスを崩してしまうと周囲に迷惑をかける結果になるので、そこらへんは成長しないといけないなぁ、と常々思っております。

 

日本特有の文化「空気を読む」

 

完全にわたしの独断と偏見ですが、海外生活(特に欧米文化での生活)が長かった日本人は、空気を読めないというより、空気を読まない、読む習慣がない人のほうが多いように思います。

 

わたし自身も30代半ばで長期の海外生活に突入することになり、空気を読まなければならない場面にあまり遭遇しないまま、10年以上を海外で過ごしてきました。

 

帰国してから10年になりますが、未だに空気を読むということに、あまり馴染めず、空気を読めるようになることに興味もない、というのが本音です。

 

空気を読むという文化は、もちろん欧米にも多少あるかと思いますが、日本ほどではないように思います。

 

「空気を読む」は、「日本特有の文化」のようにも思います。

 

欧米諸国は、個人主義(自分の人生がまずは大事)ですし、人種がごっちゃ混ぜだし、価値観はひとそれぞれ。

 

そういう社会の中では、「それぞれ違って当たり前」という考えがベースとなっており、違った価値観を持った人たちが同じ社会で生きていくためには、

 

「違うということをあらかじめ受入れ尊重」し、ある一定の距離感を保って大枠のルールに従って共存していくため、シンプルな言葉ではっきりと、自分の意思を伝えていくことは、お互いを理解し合う意味でも大切なことなのです。

 

何事も言葉で伝えるため、空気を読む必要はないのです。

 

相手に自分を理解してもらう。

 

そして、自分も相手を理解しようと努める。

 

それが、たとえ自分の人生の価値観上には存在しない常識がそこにあったとしても、「この人は、こういう価値観、世界観の中で活きているのだ。」と理解することが大事だったりします。

 

どうしても、生活スペースの中において、「あー、これはムリ」と思えば、自分がその場を去り、自分に適した生活スペース(社会)を探し、その中に身を置いて生きていく選択をすればよいのです。

 

価値観や生き方が雑多な国際環境の中においては、違って当たり前という前提があるので、ある意味わたしには、多種多様な人種が入り交ざる社会は心地が良かったとも言えます。

 

「わたしは、こうなんだ」と主張したとしても、周りから浮くことはなく、イメージでいうと、たくさんの色の色鉛筆の中で、私だけが赤色でも、まわりも違う色だから目立たない。

 

それぞれ青だったり、緑だったり、黄色だったり、全部違う色なので、自分だけが目立つこともなく、その場所に居ることに違和感を覚えることなく、しっくりおさまります。

 

だけど、日本の場合、9割が白で、自分だけが違う色だったとしたら、よい意味でも悪い意味でも目立ちます。

 

その点においては、日本の社会で生きることは、少々窮屈に思うことがあります。

 

日本の文化には「察する」ということ、「言わなくてもわかるだろう」など、言葉にしなくても伝える美学があり、それは、日本人特有の能力の高さでもあると思います。

 

わたしも一応日本人なので、本来そういった能力を持ち合わせているはずなのですが、どういう訳かその能力は大きく欠落し、あまり育成されることがないまま、大人になってしまいました。

 

空気を読むより話をしよう

 

わたしは、きっと、これからも、空気を読んで生きていったりはしないと思います。

 

わたしのことだから、きっと、この先も、あまり社交的な場を好まず、数は少ない自分を受け入れてくれる人たちの愛情と優しさに包まれながら、そして、そのまわりの優しさに感謝しながら、素のままで生きていくのだと思います。

 

ほっこりした空間など、その場の空間の雰囲気を味わうことは大好きだけど、わかりようのない他人の心を深読みして、あれこれ考えるのは無意味さを感じてしまいます。

 

空気を読むのではなく、言葉で相手にたずねよう。

 

そして、自分の意思も伝えよう。

 

そこにお互いが、相手を思いやる心と、相手を尊重する気持ちさえあれば、きっと、空気なんて読まなくても、分かり合えることがたくさんあるはずだし、何より言葉で伝えるほうがシンプルでわかりやすい。

 

仮に言葉で言い合って意見が衝突して、ケンカしたとしても、お互い認めあえる部分が少しでもあれば、きっと、どこかで歩み寄って、なんとか一緒に前に進めるはず。

 

そして、本音で言い合えない相手とは、極力付き合いたくないので、付き合わない。

 

嬉しいことも、楽しいことも、辛いことも、厳しいことも、悲しいことも、なんでも伝えてくれる友人をわたしは大事にしたいし、自分の時間を使っていきたい。

 

猫ちゃんのように、好きな人がいる場所や、居心地の良い場所を探して、自分が心地よい場所を見つけて生きていけたら幸せだなぁ、と思う今日この頃です。

 

そんなわけで、空気が読めないわたしですが、そんなわたしと付き合ってくれる友人に感謝しつつ、今日も一日楽しく生きよう。

 

自粛生活が続く毎日ですが、みなさま、have a nice day

 

byちびまる

海外営業の難しさと面白さ。リモートで海外代理店営業レビュー

 

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画像:photoACぐっとぴさん

 

海外営業の大半はリモートワーク

新型コロナウィルス感染症(COVID-19)で、もっぱら推奨されるようになったリモートワークですが、海外営業のわたしは、そもそも物理的にそれほど多く、世界各地を訪問できるものでもないので、基本はリモートワーク。

 

気にすることと言えば、タイムゾーンの違いぐらいで、無料のビデオ通話機能を使って会議をするこには全く抵抗がないので、自粛生活が始まる前と後では、働き方に、それほど変化はありません。

 

ただし、やはり、いくらビデオ通話で顔をみて話ができるとは言え、距離の縮まり方は実際に彼らをフィジカルに訪問し、ハグをしたり、一緒にご飯食べたり、同じ空気をすったり、顧客訪問をするのとしないのとでは雲泥の差です。

 

とは言え、今、実際に彼らを訪問できない状況の中、リモートワークで、できる限りの営業活動をしていかなければなりません。

 

リモートワーク8~9割の中、いかにして、各国の代理店や市場(顧客)を理解して、こちらから自発的に働きかけられるか、それが大事と思って仕事しています。

 

リモートで海外営業レビュー

できる限り、海外代理店の営業レビューは現地に出向いて、顔を合わせて行うようにしていましたが、今回は、コロナの影響もあり海外出張ができないので、リモートで海外営業レビューを実施しています。

 

 

海外代理店が14社あるので、まずは私のほうで、数字の分析をして、その数字をもとに各代理店営業にレビューをしてもらって、

 

①前期数字(結果)の評価

②前期活動内容の評価

③今期目標(数字)の設定

④今期活動内容の計画

 

を各代理店から報告書をもらっています。

 

なんせ、ひとりで14社のレビューなので、結構大変なのですが、なんとか頑張ってます(;'∀')

 

代理店から提出してもらった報告書をもとに、ビデオ会議にて、

 

①報告内容のヒアリング

②詳細突っ込み質問

③当方の要望を伝達

④先方の要望の吸上げ

⑤目標設定の合意

 

などを主にします。

 

わたしは、無料スカイプビデオ通話を利用することが多く、MAX4か所でビデオ通話しましたが、今のところ、1時間~2時間ほど話をしても、途切れることもなく会議ができています。

 

海外代理店営業レビューは、数字をもとに、目標達成ができていない、そして営業活動も不透明というところには、厳しい突っ込みを入れつつ、動いてもらう働きかけをしなければならないので、いろいろ難儀です。

 

同じテーブルで顔見て話をするならまだ良いのですが、リモートで厳しいことを言うのは、言う方も、言われるほうもしんどい。

 

なかには、自身を責められていると感じて防御システムが働き、攻撃に転じる人もいますから、そのあたりの議論のかじ取りは、リモートであればなおさら難しいです。

 

海外営業の難しさ

今のところ、中東、ロシア、アフリカ、南米、オセアニアには注力できずですが、大きな大陸に分けて、北米、アジア、欧州を主なターゲットにして仕事をしています。

 

海外営業の難しさは、なんといっても、ダイバーシティー(多様)な環境の中、バックグラウンドが異なる人々と共に働き、彼らに自分たちと同じ方向を向いて、仕事をしてもらって、結果を出すことです。

 

同じ日本人同士でさえ、ある一定のグループ単位になると、なかなか同じ方向を向いて、同じ熱意で働いてもらうのは難しいものです。

 

ましてや、文化や習慣、そして価値観も異なる人々を対象に、自発的に働きかけて、気持ちを引き寄せて、優先度を上げて仕事をしてもらうには、相当のリーダーシップ、そして人間力が必要です。

 

特に欧米の人たちは、自身の考えも明確で、主張が強いため、特に損得勘定や自身のポジショニングを脅かされるとなると、反発や抵抗も強くなりがちです。

 

特に、営業職というのは、結局のところ「数字が全て」ですので、数字があがってこなければ、評価されないのです。

 

ただし、この「数字をあげる」ということが、時間軸のどのあたりで、どの程度というのを明確に双方で合意ができないと、評価が難しいです。

 

また、数字があがってこない場合、「まずは双方の信頼関係構築が大切」と主張してくる代理店も多く、「君は数字しかみないのか。僕たちの営業努力は評価しないのか。」と詰め寄られるケースもあります。

 

営業レビューの際には、メーカーと販売店の立ち位置の違いによる評価に対するズレが顕著に生じる場合もあります。

 

メーカー側(わたし)は、各市場において販売を任せられるであろう代理店を任命するわけで、当方からの先方への期待は大きい。

 

期待とは、当方の商材販売に対して、彼らが投資の優先度合い(ヒト・もの・金)と、それに伴うアウトプット(数字も市場情報も含め)のことです。

 

しかしながら、多くの場合、各国に任命された代理店というのは、当方を含め約50社のメーカーと付き合い、数百万点の商材を扱っており、どこのメーカーのものでも良いから、売りがあがればよいのです。

 

メーカーにとって代理店は、Only Oneの存在であり、代理店にとってメーカーとは、One of Themという存在なので、特に売りずらい商材の場合は、そこに大きなギャップが生じてしまうのです。

 

わたしが扱う商材は、残念ながら容易に売れるような商材ではなく、事業開拓的な要素と能力が絡まないと、なかなか売上に結び付かないという難しさがあります。

 

なので、代理店側は、なかなか結果がでない→優先順位が下がる。

 

でも一方で、当方の商材は、ユニークかつニッチな商材なので、「いつか当たるかも」そして、「当たれば大きいかも」という期待感を持たれるので、できることなら持っておきたい商材という位置づけなのです。

 

いってみれば、骨とう品のような、オタク的な商材なのです。

 

商材の難しさに加え、代理店とメーカーという立場が異なる考え方の違いの狭間において、各国のダイバーシティーな方々とお付き合いを通じて、結果を出さなければならないので、いろんな意味で海外営業は難しいです。

 

海外営業の面白さ

海外営業の面白さは、なんといっても、ダイバーシティーな環境で働くことにより、新しい発見と学びが多いということです。

 

海外各地、会社のお金で、いろんな国や都市に出かけられるというのも、海外営業の特権だと思います。

 

日本国内で、日本人だけの環境で仕事をするよりも、ダイバーシティーな環境で働くほうが、いろんな意味で刺激を受けます。

 

わたしが一番面白いなと感じているのは、出会わなければ知る由もない各国の裏事情や、社会システムなど実情に触れることができることです。

 

テレビやインターネットなどの媒体で知り得る情報とは、まったく異なる実態が現場にはあったりするので、

 

①現地に行ってみないとわからない

②現地の人に聞いてみないとわからない

 

ということが多々あるので、そういった一次情報に触れられるということに価値を感じます。

 

現地で数人に聞いた話が全て正しいとは限らないけど、実際にその土地で生活をしている人の話には真実味があり、自分の知らない世界がそこには広がっていて面白いのです。

 

また、仕事の仕方、考え方、組織の在り方、人との関わり合い方など、その国々によって違うので、一緒に仕事をしていて、難しさを感じる反面、面白いなと思うのです。

 

国が違えば常識も違うので、「絶対〇〇」なんてことはなく、自分が考える正当性なども、ガラガラと崩れ去ることもあるので、もっと自由に、もっと無限な可能性を感じて、仕事を通じて生きられるというのは幸せだなと思います。

 

また、世界には優秀な人がそれこそたくさんいるので、優秀な人たちから学ぶ機会があることは、本当にありがたいなと思います。

 

試行錯誤の日々

仕事に限らずどんなことでも、人は日々問題や課題に直面するわけで、種類は違えど試行錯誤の日々を過ごすものなのだろうと思います。

 

わたしの場合は、人生において仕事が大半を占めるため、どうしても仕事の話が主となりますが、わたしにとって、海外営業というお仕事は、大きな学びを得られる機会であり、また試練なのです。

 

つい最近も、海外のある代理店営業とちょっとしたことから緊張が走り、今まで築き上げてきたフレンドシップや信頼関係が崩れる危機に直面しました。

 

営業レビューをメールでやり取りしている際に、良くある話で議論の的がズレてきて、お互い責めてはかわすような状況に陥り、「ビデオ会議で話をしよう」ということになりました。

 

不思議なもので、人は、顔をみて実際に話すことで、わだかまりや要らぬ議論から解放されるものです。

 

シャープな議論展開をしつつも、お互いそれなりに「大切な相手」という気持ちもあることから、尊重する気持ちもあるから、不用意に相手を傷つける発言を避け、なんとか、プロフェッショナルに着地できるような議論展開ができました。

 

今後も、こういったギスギスしたり、イライラしたり、相手を責める気持ちが出てきたり、きっといろいろあるのだろうけど、真摯に向き合う気持ちを忘れなければ、解決できるものと信じて、今日も明日もがんばります。

 

それでは、みなさまhave a nice day

 

by ちびまる