空飛ぶちびまる (自由気ままに)

おひとり様女子のエッセイ

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コロナワクチン接種後4回目にして嗅覚障害。やっと回復の兆し

画像:photoAC acworksさん

 

香りのない世界の寂しさ

 

先日、4回目のコロナワクチン接種を終えて、人生で初めて嗅覚障害を経験しました。

 

どこかが痛いわけじゃないから、苦しみを伴う副反応ではありませんでしたが、それでも、やはり、今まであったものがなくなるというのは、寂しいし、どこか不安になるものです。

 

何を嗅いでも何にも感じられない寂しさ。

 

匂いがない世界というのは、とっても味気ないものだなぁと、感じた次第です。

 

何より、食事が楽しめない。

 

しょっぱい、甘い、酸っぱい、辛いはなんとなくわかっても、嗅覚を失うと素材の味をほとんど感じられないということを初めて知りました。

 

ワクチンを接種して数日間、何を食べてもそれほど美味しく感じられなかったので、自然と食欲も落ち、食べる量も減ってしまいました。

 

「ダイエットには最適」と思ったのもつかのま、3日目ぐらいに嗅覚を徐々に取り戻し、体重減になるほどの食欲減ともならず、ダイエットにはつながらず・・・

 

ふわっと戻る嗅覚

 

急に匂いを感じられなくなって、それなりに匂いのない世界にも慣れて過ごしていたのですが、匂いを感じられるようになるのも突然でした。

 

最初に感じられた匂いは、エッセンシャルオイル。

 

わたしは、夜寝る前に、ハンカチに数滴エッセンシャルオイルのブレンドを垂らして、枕元に置いて寝てます。

 

ジェラニウムがベースのリラックス系の香りで、気に入っています。

 

嗅覚がなくなった夜も、その後もずっと同じように枕元にハンカチを置いて、匂いがわからなくても香りを嗅いで寝ていたのですが、3日目にして急に香りがわかるようになりました。

 

試しに香水、ルームフレグランスなど強い香りを嗅いでみて、ほんのり感じられたので、ニンニクなどの食材の香りなども、いろいろ嗅いでみたところ、香りがわかるものと、わからないものがあることがわかりました。

 

ほのかな香りはまだわからない

 

食事を楽しめるレベルの嗅覚に戻ったのですが、それでもまだ、完全復活は遂げてません。

 

ワクチンを打ってから1週間ほどたちましたが、完全復活にはもう少し時間がかかりそうです。

 

今わかる香りとして、

 

香水、柔軟剤、エッセンシャルオイル、洗剤、ルームフラグランス、コーヒー、ニンニク、雨の匂い、どこかのおうちのごはんの匂い、蚊取り線香、お煎餅など。

 

まだわからない香りは、

 

ごはんが炊けた匂い、温泉の匂いなど、ほのかな匂いです。

 

わたしはもともと匂いには敏感なほうだったので、以前嗅ぎ分けられた匂いが、まだわからず、今特に残念なのが、温泉の匂いが感じられないこと。

 

わたしは、毎朝毎晩、源泉かけ流しの温泉露天風呂に浸かってるのですが、その楽しみのひとつとして、温泉の匂いを嗅ぐことでした。

 

なんとも言えない、癖になる匂いで、とっても好きなのです。

 

それが感じられないので、ちょっと寂しいですが、もう少し経てばわかってくるかもしれないので、その日を楽しみに、毎日温泉入ってます。

 

以前ほど敏感じゃなくて良いかも

 

わたしは、結構、匂いには敏感で、とくに不快なにおいに敏感です。

 

体臭、水道水の匂い、湿気臭い匂い、下駄箱の匂い、下水の匂い、公衆の場の匂い(トイレとか)、結構敏感で、神経質なほうです。

 

ちょっとでも嫌な匂いがすると、ゲンナリしてしまうというか、どうにか逃れたくなります。

 

でも、その匂いに少し鈍感になることで、もっといろいろ許容範囲が広がるかなと。

 

自分自身の体臭で迷惑をかけるのは嫌ですが、あまりにも周囲の匂いに敏感過ぎるのは、自分もストレスですし、まわりにもちょっとうるさくなってしまうので、そのあたりは、ちょっと鈍感のままのほうが、ありがたいかも、なんて、都合の良いことを考えたりしてます。

 

いずれにしても、正常に戻ってくれることを願って、今日もエッセンシャルオイルの良い香りを嗅ぎながら、のんびりお休みしようかと思います。

 

それでは、みなさま、have a nice day

 

by ちびまる

 

コロナワクチン接種後4回目にして嗅覚障害。まったく、、、匂いがわからない!

画像:photoAC beauty-boxさん

 

コロナワクチン4回目を摂取

 

おととい、4回目のコロナワクチン接種しました。

 

持病持ち(糖尿病)のため、早めに打っておこうと思って、近くのクリニックで予約が取れたので打ってきました。

 

3回目摂取時は、38℃近くまで発熱し、倦怠感が1日ひどかったですが、その後は大したことなかったので、4回目も躊躇なく、さっさと受けました。

 

わたしがワクチンを早めに打ちたかった理由として、下半期にUSに海外出張を予定しているので、3回よりは、4回打っといた方が、移動に際して何かと便利だろうと思ったからです。

 

また、これだけ感染者が増えているということは、感染リスクも高いだろうし、一応持病があるため、重症化リスクを避けるため、という真っ当な理由ももちろんのこと、考えての摂取です。

 

今回は集団摂取会場ではなく、近くの小さなクリニックで、看護師さんもお医者さんもとても優しく穏やかで、注射もささったかどうかもわからないほど、まったく痛くなかったので、良かったぁ~と思っていたのもつかの間。

 

嗅覚障害が生じてしまいました。

 

今回は熱も出ず、腕が痛かったぐらいで、倦怠感もほとんどなかったのですが、まさかの嗅覚障害&若干の味覚障害。

 

このまま、なおらなかったらどうしよう・・・・と、ちょっと、ビビってます💦

 

ワクチン接種後、嗅覚障害

 

ワクチンを打ってから、なんとなく、「いつもより体調さえいいんじゃないか?」なんて思っていたその夜、「ん?、あれ?、あれれ?、もしや・・・、えっ!?もしかして???」と、自分の鼻が完全に壊れていることに気がつきました。

 

なんだか、いつもより鼻の通りがいい感じ~♪、と思っていたのですが、異変に気がついたのは、自宅の玄関を入った時。

 

わたしは、自宅の玄関にフラグランスを置いていて、いつも香るはずの香りがしない。

 

そう言えば、これまで帰宅途中も、何の匂いも感じられなかったことに気がついて、おそるおそる、フラグランスのボトル(原液)に鼻を近づけてみたところ、完全に無臭状態・・・。

 

え~~~~~~~~~~~~~っ!!!

 

と、ひとりで、動揺しております。

 

試しに、キツイ匂いの除光液や、香水、エッセンシャルオイルなど、ありとあらゆる匂いが強いものを嗅いでみましたが、見事に無臭。

 

かろうじて、匂いを感じられるのは、柔軟剤のレノア。

 

それ以外は、見事に、何にも、香りを感じられません。

 

人間は、1つの感覚を失うと、こんなにもショックを受けるものなのかと、失って初めてわかりました。

 

匂いを感じられない世界が、こんなにも味気ないなんて、思ってもみませんでした。

 

味覚はかろうじてある

 

味覚と嗅覚は密接につながっているので、味覚も失ってしまったのではないかと、とても心配していたのですが、幸い、かろうじて、甘い、しょっぱい、すっぱいなどは感じることができます。

 

でも、それ以外の食材そのものの味などは、正直なところ、わかりません。。。

 

匂いを感じるからこそ、味も感じられるんですね。。。

 

味覚はかろうじて、生きているので、なんとか食欲は沸くものの、なんだか、つまらない、というのは確かです。

 

匂いというのは、嫌なものも良いものも、いろいろあるので一概に「あれば良い」というものでもないですが、匂いを感じることができないというのは、ある意味とても、無機質感があり、大げさかもしれませんが「生物の気配」を感じることができない気がします。

 

匂いがない世界の寂しさ

 

はじめて経験した、匂いがない世界。

 

なんでも、経験してみないとわからないものだから、はじめての経験は喜ばしいことなのだけれど、これが、ずっと続くとなると、とても寂しいし、悲しい。

 

ネットで情報を調べてみると、ワクチンの副反応で、稀に嗅覚・味覚障害も報告があり、比較的女性に多いそうです。

 

コロナ感染の後遺症でも同様に、嗅覚・味覚障害があるようですが、わたしの場合、ワクチン打ったその夜に起こったので、おそらく、コロナワクチンの副反応かと思います。

 

遠い昔、わたしは、アロマセラピストでした。

 

匂いと記憶、そして感情は密接につながっていて、匂いを嗅いで記憶が蘇ることもあると、わたしはセラピストとして、そんなことを学びました。

 

まさか自分が嗅覚障害を経験するなんて、夢にも思わなかったけど、嗅覚障害を患った人の気持ちが少しでもわかったというのは、良かったようにも思います。

 

でも、なんとか、一日も早く、匂いを感じられるようになりたいです。

 

匂いを感じないというのは、不快な匂いも感じないから、その点はありがたいけれど、それでもやっぱり、生きている感覚を得るには、匂いを感じたいです。

 

季節の移り変わりも、空気の匂いでわかるし、何より、食いしん坊のわたしは、美味しそうな匂いを感じられないと、なんともつまらなくて仕方がないです。

 

治療には、クローブなど強めの匂いを嗅ぐことなどありましたので、わたしもハンカチにエッセンシャルオイルをしみこませて、匂いを嗅ぐようにして、今なんとかリカバリーに励んでおります。

 

わたしと同じように、嗅覚障害を患って、「こんなことしたら快復した!」という経験をお持ちの方、ぜひ、ご経験談をコメント頂ければありがたいです。

 

わたしも、いろいろ試してみようと思います。

 

それでは、みなまさま、have a nice day

 

by ちびまる

 

新居で初イタリアンの夕べを楽しむ

画像:photoAC kotestu427さん

 

久しぶりにイタリアンを楽しむ

 

やっと、新居での生活にも慣れてきて、my home感が出てきて落ち着いてきたので、久しぶりに料理する気持ちになり、友人を招きイタリアンの夕べを楽しみました。

 

わたしは普段、料理と言えば、週末にお味噌汁つくって、その週のお弁当を作り置きするぐらいで、料理という料理をしません。

 

毎日食べるものと言えばサラダですが、サラダも、キャベツ、キュウリをざく切りし、トマト、チーズ、ゆで卵、ナッツを適当にトッピングして、オリーブオイルと塩コショウでおしまい、というなんとも簡単なサラダ。

 

サラダ作って、作り置きのお味噌汁を温めて食べるときぐらいしか、ほとんど台所に立ちません。

 

台所に立って何かすると言えば、ワインを注ぐ、コーヒー淹れる、チーズなどつまみ食いするぐらい💦

 

なので、久しぶりに本腰いれて、丁寧にお料理しました。

 

イタリアンの献立

 

 

↑↑↑全部乗りきらず、とりあえずテーブルに乗っかる分だけ持ってきて、まずは乾杯!

 

まずはお酒!飲みたい!

 

イタリアンなので、イタリアビール2種、そしてシュワシュワ~っといきたかったので、スパークリングワインを。

 

イタリアンを本腰入れて作った時には、日本のビールではなく、欧米のビール(それも瓶)で飲みたい。

 

ちょっと割高ですが、ここはケチらない。

 

スパークリングワインは、手ごろなものを。

 

イタリアンを作った時にしか登場しない、チェコで買ったボヘミアンワイングラス。

 

乾杯の時の音が違うので、必ず登場させます。

 

さて、献立。

 

1.徳島産岩ガキ(生で)

2.ブルスケッタ

3.夏野菜たっぷりサラダ

4.ガーリックキャベツ

5.夏野菜トマト煮

6.冷製ロールキャベツ

7.桃の生ハム巻き

8.イタリアンハンバーグ

9.チーズプラタ&ピクルス

10.真鯛のカルパッチョ

11.マリナラトマトスパゲティ

 

やや作り過ぎましたが、ほとんどがお野菜なので、そんなに重たくならず、美味しく頂き、話が弾みワイン一本開けました。

 

デザートには、なんと「おはぎ」

 

いきなり和

 

このあたりが、自分らしいなぁと思います。

 

偶然、スーパーでおはぎ屋さんがおはぎ売ってて、とーーーっても美味しそうだったので、買ってしまいました。

 

イタリアンの〆がおはぎという、なんともお盆中のイタリアンの夕べという感じ^^;

 

美食は心にも栄養を与えてくれる

 

自分でいうのもなんですが、わたしのイタリアンは、そこそこ美味しいです。

 

自分でつくるパスタが一番好きだし、何より自分好みの味付けにできるので、イタリアンのお料理を一日がかりでやるのも好き。

 

地味に、丁寧にやらないと、美味しいお料理は作れない。

 

下準備など大変ですが、手間をかけただけ、美味しくできた時は大変嬉しいもの。

 

そして、「美味しい~♪」って喜んで食べてくれる友人の嬉しそうな顔を見るのもまた、嬉しいもの。

 

リビングの壁掛けテレビにパソコンをつないで、イタリアンの夕べらしいBGMをゆる~くかけて、美味しいお酒を飲みながら、美味しいごはんを楽しく食べました。

 

なんてことない日常だけれど、とても幸せな時間でした💛

 

新鮮な野菜、お肉、魚介類を頂くということは、体も心も喜ぶものだと、自分を通して感じてます。

 

わたしは、イタリアンじゃないと、どうも気持ちが盛り上がらないので、いつもイタリアン。

 

また、全部の料理がなんとなくの感で作ってるので、再現性はあまりないのですが、素人らしく、測りとらずに、なんとなくの匙加減でつくるのが良いのです。

 

なんのルールもない、自分の感だけが頼りという、この適当さがわたしには楽しくて、イタリアン料理が癒しになります。

 

また、明日からがんばろう~♪

 

それでは、みなさま、have a nice day

 

by ちびまる

 

 

亡き父を偲ぶ。お酒とコーヒーを供えて、新盆にて父を迎え入れる。

 

亡き父の初盆を迎える

 

昨年の9月に父が亡くなり、早いものでもうすぐ1年。

 

これまで、あまり「お盆」ということを意識せずに生きてきたけれど、母より「あなたの分まで、お父さんのお墓参りしてきたからね」とメッセージを頂き、改めて、お盆という日本の風習の意味を考えてみました。

 

初盆(にいぼん)とは、故人が亡くなられて初めてのお盆(ご自宅に帰ってこられる期間)のこと。

 

父が亡くなってからすぐに、お葬式などの段取りで、時間は慌ただしく過ぎてゆき、あれよあれよという間に、あっという間に1年が過ぎ去ろうとしています。

 

父が亡くなったと聞いた時も、実際に父の亡骸に触れた時も、父の肉体が焼かれお骨を拾った時も、わたしは、どの時においても、なんだか実感がなく、今でも、それほど寂しいとか、悲しいとか、そういった感情はやってきません。

 

さすがに、肉体が焼かれてしまう出棺の時は、名残惜しい気持ちにはなりましたが、不思議と、「父は父」という気持ちがあり、会える会えないということよりも、父と一緒に過ごした日々をほっこり愛おしく思うぐらいで、どちらかというと、ちょっぴり笑ってしまう一幕などを思い出しては、ほっこりするような感じです。

 

故人をしのぶということを、今まであまり感情レベルで経験したことがなかったのですが、こんなわたしでも、何か父を思い、そして、何か喜んでもらえそうなことをしたいなという心境になりました。

 

何より、父というより、母が喜ぶかなぁという気持ちのほうが大きく働き、わたしの新居の片隅にて、父を偲ぶスペースを設け、新盆にて父を迎え入れる準備をしました。

 

わたしなりのおもてなし

 

わたしの父は、40代前半で大病に倒れ、それ以来お酒を一滴も飲むことができなくなりました。

 

わたしの父は若い頃、結構シャレてて、お酒を嗜むことも好きだったと母から聞いていて、働き盛りの40代に、好きだったことを奪われ、病と闘う人生は、辛かっただろうなと思います。

 

わたしのこだわりの強さは父譲りかと思います。

 

飲みたかっただろうお酒を注ぎ、ちょっと風変わりな藤の花のお線香をたき、チェコで買ったボヘミアングラスの一輪挿しにキク科の花を生け、父を我が新居へ招き入れました。

 

お酒は、わたしがよく飲む地酒です。

 

器もこだわりました。

 

父の写真はブログ写真には掲載してませんが、父の写真の後ろには桜の絵を飾り、季節は違えど、桜の木の下で美味しい日本酒でも飲んで欲しいという気持ちを込めて、お香を焚き、父に話かけました。

 

 

次の日は、酒に変わりコーヒーを。

 

父は、コーヒーも大好きで、よく飲んでいました。

 

こだわりのある器で、豆から挽いたコーヒーを飲むなど、そういったことが好きな父でした。

 

大病してからは、視力を失ったのでめっきり缶コーヒーを飲んでましたが、時々、そうやって煎ったコーヒーをいれてあげると喜んで飲んでましたので、コーヒーも入れました。

 

「お父さん、コーヒー飲んでねぇー」などと、なんてない言葉を頭の中でつぶやき、父に手を合わせるというのは、なんだかほっこりしました。

 

肉体はもうなくなっちゃいましたけど、思い出というのは、結構色濃く残るものだなぁと思います。

 

母に感謝

 

母はこれといってなんてことない田舎のおばちゃんですが、わたしにとっては、尊敬すべき母です。

 

わたしにはない周囲への気遣いというか、ちゃんとしてます。

 

親戚がいつ来ても良いように、暑い中お墓をお掃除し、花を生け、来客に備えて対応してくれる。

 

本当ならば、わたしが帰省して対応すべきことなのだろうけれど。。。

 

ありがたいです。

 

わたしの母は、こういった律儀なところもありながら、父が初めてあの世から帰ってくる新盆の期間中に、ちゃっかり、しっかり遊びにも出かけるという笑

 

わたしの地元に、工藤静香がやってきてコンサートをしたらしく、なんと、ひとりで行ってきたという。。。

 

特別、工藤静香が好きというわけでもないが、東京出身の母は、意外と(いや結構)ミーハー。

 

華やかな場所が好きなのです。

 

お友達を誘わず、ひとりで行ったというのだから、そのあたり、わたしは母からのDNAを色濃く引き継いだのかなあと思ってしまうところ。

 

ひとりでも楽しめるところが、我が母、逞しいなと思った次第です。

 

わたしが安心して、好きなように生きられているのも、母が元気でいてくれるから。

 

毎週土曜日に決まった時間に電話をし、なんてことない話をするのですが、いつも元気な母の声を聞き、逞しく生きている様子を伺うと、ほんと安心します。

 

お盆に帰省はできなかったですが、年末には必ず帰るので、その時に、またたくさん、何気ない普通の時間を一緒に過ごしたいなと思います。

 

みなさまも、どうぞ大切な人との時間を大切に^^

 

have a nice day

 

by ちびまる

 

 

アラフィフ女子中間管理職、仕事の仕方を変える。自分がやるべきことと、手放すことを見極める。

画像:PhotoAc

 

一歩引く勇気

 

先日、上司とやりあって、「あーもうイヤ」と半ば投げやりになったわたしですが、相手は変えられないし、環境を変えるのも容易じゃないので、自分の考え方、そして周囲との向き合い方を変えることにしました。

 

わたしは、何をするにもこだわりが強く、いろいろと突っかかってしまう傾向にあり、周囲とも意見が食い違うことも、しばしばあります。

 

最近、やっとなんとなくですが、自分を客観的に見る術を身につけまして、正直、自分でも「わたしって、なんかメンドクサイ奴」と思う局面もあり、これでは、周囲が大変だし、全て同じレベルでこだわって、突っかかってたら、一つ間違えばはた迷惑な人になってしまいます。(もう、なってしまっているかも💦)

 

なので、自分なりに、仕事に対する優先順位をつけて、譲れないものと、任せるもの(言葉を変えれば、自分の意思を捨てるもの)に大きく分けて、仕事と向き合うことにしました。

 

自分が最前線でやるべき仕事は、最優先で細部にこだわり、逆にそれ以外は、一歩、二歩引いて向き合うことにしました。

 

わたしにとっての最優先

 

自分にとっての最優先は、やはり海外事業。

 

伸びしろがあるとわかるし、自分が今まで現場でやってきたので、市場もある程度わかっているつもり。

 

なので、海外市場での事業開拓、そして売上を伸ばすことに全集中することにしました。

 

海外市場における販売マーケティング戦略、顧客開拓、案件獲得などを最優先として、そこに係るスタッフの育成にも優先的に時間を割いていくことにしました。

 

一歩引いて向き合うものたち

 

国内営業に係ること

 

それ以外のこと、例えば、わたしのタスクとして新たに追加となった国内営業、会社には言えませんが、わたしにとっては後回しとしました。

 

理由としては、伸びしろが感じられない、時間と労力を投資しても、あまりリターンがないと感じているからです。

 

また、国内市場の営業は、もともと社内にいてわたしの先輩でもあるベテラン営業マンたちがいるし、その人たちは、今まで通りのやり方をupdateしようとしないし、彼らも50手間なので、おそらく変わらないと思うので、いっそのこと、わたしは手を放して、あれこれ口を挟むよりも、彼らに任せちゃったほうが良いと思うようになりました。

 

おそらく、国内の数字はas-isの活動なので伸びないと思いますが、自分も経験がない市場なので、思い切って、わたしの中では優先順位を下げることにしました。

 

とは言え、国内向けの仕事に一切かかわらないというわけではなく、これまで通り、価格の相談にものるし、見積りの承認などもやっていかなければならないけれど、自ら何か能動的にアクションを起こすことは止めようと思っています。

 

営業会議での段取り

 

以前は、なんとなくの流れで、わたしが日程調整、Agendaまとめ、議事進行、議事録作成などやってましたが、営業会議メンバー参加者全員にて持ち回りとしました。

 

報連相がメインなので、営業会議の進行は、本来誰がやっても良いでしょうし、わたしである必要性はないと思いまして、手放しました。

 

なので、会議参加への姿勢は、自分が議長を務めない限り、基本受身です。

 

メンバーに基本任せて、助け船が必要な時だけ、口を挟むことにしました。

 

これが、意外と良くて、今まで受身だったメンバーが、自分が議長となると、頭をフル回転させなければならないし、時間を気にしながら会議進行をしなければならないし、今まで使ってなかった能力を発揮せざるを得ない状況に置かれます。

 

それぞれのキャラというか味がでて、手放して良かったと思ってます。

 

自分じゃなくてもよい課題

 

これまで、あまりにも自分が前のめりというか、前面に出過ぎて仕事をしていたなと感じてます。

 

なので、たいていの課題や仕事については、メンバーに振り、メンバー同士で話合って、やり方、進め方などは決めてもらって、わたしが中間に入らなくても良いように仕事を振るようにしました。

 

以前は、わたしが全て仕切って、わたしが言ったことをやってくれればそれでよかったですが、これからは、彼らが自身の頭で考え、ベストアンサーをメンバー同士で出して、それでわたしはなるべくそのベストアンサーを受け入れるようにして、基本彼らに最初から最後まで任せることにしました。

 

どうしても、困ったり、トラブったりしたときは、時間を割いて話をして、必要があれば、わたしが前面に出て対応するようにしました。

 

自分には重要じゃない決定事項

 

メンバーに仕事を任せることと似てますが、、、例えば営業会議などで議題に上がった内容の決定事項など、以前は、細かいところまでこだわって、突っ込んだりしてましたが、一歩引いて、7~8割型OKなら、口を挟まず良しとすることとし、不必要な議論展開をしないようにしました。

 

営業という仕事は、あまり正解がないし、やってみないとわからないことも大いにあるため、現場の人間が「これでやりたい」というのであれば、まずはやってみましょう、というスタンスで対応することにしました。

 

手放して、だいぶ楽になった

 

やってみて、わかったことですが、意外と「手放して任せる」というのは勇気が要ることですが、やってみれば、メンバーは普通に仕事をこなすし、わたしが口を挟まなくても仕事はまわりますし、何より時間に余裕ができたので、精神的にも楽になりました。

 

受信Boxに入ってくるメールも、同報が多く量は多いのですが、ぱっと見で何のメールかだいたい察しがつくので、基本的には全文読みません。

 

なので、さーーーっと既読にするので、時間かけてメール対応することも少なくなりました。

 

その分、戦略を考えたり、海外戦略についてメンバーや外部の人と意見交換したりと、もっとプロダクティブな時間の使い方ができるようになりました。

 

きっと、メンバーたちも自身の裁量である程度、自分の良いように仕事を回せるので、良かったんじゃないかなと思っています。

 

上司というのは、普段、そんなに必要なくて、メンバーが判断に困ったり、トラブったりしたときに助けて上げられればいいんじゃないかなとさえ思えてきました。

 

ただ、メンバーより多くお給与をもらってる分、わたしが本来、会社から期待されている課題と向き合い、結果を出すことで、会社に利益をもたらさなければならないという気持ちもより強く思うようになりました。

 

現場で日次のタスクをこなすメンバーは時間との戦いですので、彼らがなるべく楽に仕事がまわるように、そして、もっと利益を出して対価として反映されるよに、お仕事頑張らなきゃなと思ってます。

 

それでは、みなさま have a nice day

 

by ちびまる

 

液晶テレビをリサイクル券で指定取引所で処分しました。(土曜日駆け込み対応!郵便局窓口スタッフに聞いてもムダ)

画像:photoAC ぶっふぉんさん

 

液晶テレビの処分

 

マンション購入して55型TVを新しくかったので、今まで使っていた26型テレビを処分しようと、BookOffに持ち込みましたが、動作確認できずにて受取不可、持ち帰りとなりました。

 

「処分していただけませんか?」と伺ったところ、6,000円ぐらいは最低かかっちゃいますけど・・・と。

 

結構高いんですね。。。

 

重いテレビをせっかく車まで運んで持ってきたので、自宅に持ち帰るのは嫌だなぁ。。。と思いまして、BookOffの駐車場で、自力で処分する方法を調べました。

 

土曜日に自力で処分

 

自治体によっては、不燃ごみの日に、ごみ袋に入れられれば、家電でもゴミの日に出せるらしいですが、わたしは、今すぐ処分したかったので、自力で処分する方法をなんとか探しました。

 

でも、その日は週末。土曜日。

 

うーん、どうしよう、と思いましたが、いくつか指定取引所が見つかったので、評価が高かった取引所に電話をかけたところ、「16:30まで持ち込んでいただけるならOKです。」との回答でした。

 

ただ問題がひとつ。

 

「郵便局でリサイクル券をもらって、振り込みをして、その書類を持ってきてもらわないといけません。」とのこと。

 

土曜日だったので、まず、「ゆうゆう窓口」で対応可否を調べたところ不可だったので、窓口が空いている本局を調べたところ、土曜日でも15:00まで空いていたので、とりあえず向かうことに。

 

郵便局に聞いても時間のムダ

 

郵便局に行く前に、いくつかネットで調べていったのですが、「郵便局員に聞いてもわからん」というコメントが散見されたのですが、それは、ほんとでした。

 

郵便窓口に、「液晶テレビを処分したいのでリサイクル券ください」と聞いたところまでは良かったのですが(すぐにリサイクル券をくれたので)、、、その後、

 

「どのような手続きをすれば良いですか?」と聞くと、わからないので、置いてある冊子を見てと。

 

「支払はどうしたらいいのですか?」と聞くと、わからないので、リサイクル券に記載のあるリサイクルセンターに電話して聞いてくれと。

 

「あー、この人ダメだ」と思ったので、いくら聞いても時間のムダと思いました。

 

幸い、リサイクルセンター窓口の人は、とても適確にプロセス説明をしてくれたので、ちゃっちゃとリサイクル券に記入し、郵便局のATMで支払って、指定取引所に持っていくことができました。

 

わたしが対応したプロセスは、下記の通りです。

 

わたしの場合、液晶テレビでしたが、おそらく、他の家電も、流れは同じだと思うので、わたしと同じように家電処分で困っておられる方の参考になれば幸いです。

 

土曜日に液晶テレビ処分した手順

 

結構、週末に対応できず困っているようなコメントがネット上であったので、土曜日対応が可能であることをお伝えしたいと思います。

 

【下準備】

1メーカー名とサイズ確認

わたしは、すでにテレビを車に乗っけてたので、郵便窓口に行く前に、テレビの裏をスマホで写真とりました。そうすれば、型番とメーカー名もすぐわかります。

わたしの場合、シャープ、26型です。

 

2最寄りの郵便本局を探す

 

わたしは、隣町にある郵便局の本局が、土曜日15:00まで空いていることをネットで調べて、とりあえず窓口に向かいました。

 

ネットで見る限り、「ゆうゆう窓口」では対応不可とあります。

 

でも、もしかしたら「家電リサイクル券」の受け取りは可能かもしれません。(要確認です)

 

3家電リサイクル券をもらう

 

これです↓↓↓

 

郵便局の窓口のカウンターに置いてありました。

 

4リサイクル券センターに電話する

 

家電リサイクル券センターの電話番号は、家電リサイクル券に記載がいあります。

 

家電リサイクル券センター

0120-319-640

(9:00 - 18:00 日・祝日除く)

 

郵便局員に聞いても、何も出てこないので、時間のムダですので、直接その場で電話して聞いちゃったほうが断然早いです。

 

5リサイクル券に記載する

 

家電リサイクル券は複写になっていて、①のシートに記載するのですが、リサイクルセンターの方が、記載する箇所、記載する内容を分かりやすく説明してくれます。

 

上記写真の①~③の記載だけです。

 

①振込金額は、メーカー名とサイズを伝えれば金額を教えてくれますので、それを記載するだけです。

 

わたしの場合(シャープ、26型)は、2,970円でした。

 

次に

②製造描写名コード(3桁)と品目・料金区分コード(2桁)の記載。

 

わたしの場合は、

 

製造描写名コード(3桁)→シャープ = 310

品目・料金区分コード(2桁)→液晶・プラズマ式/16V型以上=52

 

なので、わたしの場合は、000310052000

 

あとは、③に

名前

住所

電話番号

 

を記入するだけです。

 

B欄には何も記入しませんでした。

 

6必要な部分だけ切り取る

 

ATMの機械に入れる部分のみを切り取るのですが、上記の黄色の点線を切り取ります。

 

CとDは不要です。

 

ATMの機械に入れるのは、AとBがつながった部分だけ。

 

7ATMでリサイクル料金を振り込む

 

郵便局のATMは窓口が閉まっても空いているので、リサイクル券さえGetできれば安心です。

 

6で切り取った振込用紙を、ATMに入れます。

 

とってもわかりやすいので、ATMを見れば、どうすれば良いかはわかります。

 

振込用紙をいれると、画面にステップが表示されるので、指示に従い進むだけです。

 

わたしは、現金支払いを選んで支払ました。

 

入力画面で入力するのは、順番は忘れましたが下記です。

 

振込金額

製造業者コードと品目・料金コード12桁

電話番号

支払方法

 

これだけだったと思います。

 

振込手数料は、確か152円だったように思います。

 

振込が終わると、ATMからご利用明細票が出てきます。

 

それをリサイクル券の①の端っこにシールが貼ってあって、それをはがすとノリがついているので、そこにご利用明細票を貼付し完了です。

 

あとは、処分する品とご利用明細票(振込証明書)貼付のリサイクル券をもって、指定の取引所に持参すれば完了です。

 

持参した際には、処分品をお渡しして、受領スタンプを押印してもらうだけです。

 

ついでに、テレビの線、コード、リモコンなども引き取っていただきました。

 

半額(3,000円)で処分完了

 

BookOffの他に、家電処分サービスの会社などに電話見積取りましたが、最低でも6,000円でした。

 

時間と手間はかかりましたが、自分で指定取引所に持ち込めば3,000円ぐらいでしたので、約半額で処分できたことになります。

 

週末処分はムリかなぁ。。と思ってましたが、何事も、動いてみればなんとかなっちゃうものです。

 

晴れて我が家は、不用品があった場所はスペースができて、スッキリしました。

 

それにしても、郵便局員には、もう少し、まともな対応(せめて、上のステップを簡単に説明)して欲しいものです。

 

指定取引所の方に、「郵便局員、さっぱり理解してなくて、全然何にもわからない様子でした。」とこぼしたら、「そうなですよねぇ、もう、何十年もやっていることなのに、進歩がないです。。。」とおっしゃってました。

 

幸い、リサイクルセンターの方が、できる人だったので、ほんと助かりました。

 

それでは、皆様 have a nice day

 

by ちびまる

アラフィフ女子中間管理職、上司に対するネガティブ感情を通じて、はじめて自分の部下の気持ちが理解できたように思う。

画像:photoACELUTASさん

 

部下としての自分

 

わたしは、営業部次長という役職。

 

直属には上に部長がいて、そのまた上に役員2名がいます。

 

先日、部長に対する積もりに積もった潜在的な不満が爆発してしまい、自分でもびっくりするぐらいの怒りの感情と向き合うことになりました。

 

怒り爆発から1週間が過ぎて、少し落ち着きましたが、今回の激しい感情を経験して、改めて、この度、組織で働くことの意味や自身のポジションについて、考える機会を得ました。

 

すべての出来事には、必ず何か意味があって、学びの機会があるものだと、今回の経験を通じて思いました。

 

わたしがなぜ、あそこまで怒りを感じ、そして今も、上司に対して信頼する気持ちを持てずにいるのか、それについて考えてみました。

 

わたしは決して、その上司を人として嫌いというわけではないし、尊敬する部分を持っていないというわけではありません。

 

でも、企業(組織)というある一定の規定概念の中で、自分は時間を費やし、労働力を提供する代わりに対価(お金)を頂きながら生きていて、少なからず損得勘定を持ちながら、その組織に属しているわけで、自分が関わる事柄に対して、何か不均衡な事象が起こってしまうと、自分の心の中でバランスが取れなくなってきます。

 

もちろん、わたしの感情はわたしの考えに支配されていて、わたしの中でのFairness(日本語だとあまりしっくりこないのですが、公正とか公平など)の尺度、そして、役割と対価の大きさなどが、どこかで崩れてくると、不満・苛立ち、そしていつしか激しい怒りに変わっていくのだと、この度客観的に学びました。

 

本来ならば、シンプルな方程式で、

対価、業務の重さ、能力の高さは

部長>わたし(次長)

というのが頭にあって、それが実情、自分の中では、

 

対価:部長>わたし(次長)

業務の重さ:部長わたし(次長)

能力:部長わたし(次長)

となってしまっているのではないかという疑念が大きくなり、それに加えて、まわりからの賛同の声などを聞いてしまうと、その気になってしまって、負の感情に、より支配されてしまい、不満が大きくなってしまいました。

 

社歴や業界内での経験というと、部長>わたしというのは紛れもない事実であり、能力に関しては、業界内の専門知識という意味では部長のほうが勝ると思っていますが、「営業部長がやるべき任務や課題」という意味で≒と感じています。

 

この度、わたしがどうしても腑に落ちないところは、部長の上の役員2名が、部長が部長の仕事をしていないという事実を認めているにも関わらず、本人に何かを伝えようともせず、また、何も環境を変えようとしないことです。

 

もしも部長の上の役員2名が、わたしの不満に対し異論を唱え、部長の能力と仕事ぶりを支持し評価しているならまだしも、まったく評価していないと感じざるを得ない言葉を発しながらも、何も変わらない。

 

わたしとしては尚更「なんで?どうして、そのことを本人に何も言わないのか、言えないのか」と、その上席の上席(役員2名)の言葉にも、完全に消化不良を起こしてしまいました。

 

おそらく、社歴の長さ、営業部長という役割以外での貢献度などがあるため、ないがしろにできないということと、他の適切なポジションも見当たらないため、現状維持せざるを得ないということなのだと思います。

 

組織というのは、竹を割ったようにすっきり、はっきり、論理的にいかないことが十中八九であり、こういったケースも組織によくある問題なのだから、そこをなんとか自分なりに折り合いをつけて仕事をしなさい、ということなのだと思います。

 

ある意味、どんな社員であれ、社員を大事に守る会社であるという証拠と思いますが、「人が全て」という組織体において、ある意味、成長を鈍化させる考え方だなと感じています。

 

該当するポジションにおいて、「やるべき仕事をしていない」という人に対して、その事実を知っていながら放置するというのは、ある意味、組織としては危機的状況であると、私自身は思っています。

 

上司としての自分

 

今回の自身の強い感情と面して、中間管理職であるわたしは、上にも下にも人がいるわけで、逆の立場というのも経験しています。

 

昨年4月に、組織図上、わたしの下に、一気に部下が増えました。

 

部下という言葉は、あまり好きではないですが、タスクを振っていくのがわたしの仕事になるので、部下と言えば部下、でも、平たく言えばスタッフ(仲間)です。

 

わたしよりも社歴が長く、社歴的には先輩がほとんどです。

 

10年前に、わたしの育成に当たっていた人が部下になりました。

 

営業ベテランスタッフ数名からは、ものすごい反発があり、わたしを上司として受け入れないという感情(姿勢、態度)に直面しました。

 

わたしとしては、何としてでも組織をまとめ、動かさなくてはという気持ちが先行し、ポジションを利用したトップダウンという道しかないなと感じていて、言わば「命令指示的」な指示の出し方で、なんとか統制を図ろうと試みました。

 

人間は、感情で動くものだから、よく考えれば当たり前のことですが、こんなやり方では、到底上手くいきませんし、信頼関係は築けませんし、今も正直なところ、信頼関係はさほど築けていないと思います。

 

お互い今の組織で生きていくことを選択する以上、なんとか表面的には一緒に働いていかなくてはならなくて、そのことはお互い理解しているので、わたしを上司として認めない姿勢を出していた数名も、とりあえず、必要最低限の報連相だけをし、淡々と仕事だけはするという状態には持っていきました。

 

幸い、みんなそれなりにベテランなので、わたしが指示を出さなければならない場面はほとんどなく、今は、わたしの承認を得なければならない事案に対してだけ、承認依頼をしてくるという感じです。

 

それ以外、ほとんどあんまり接点を持たずに仕事をしているのが実情です。

 

正直、わたしは上司として、というか、チームをまとめるリーダーとして失格です。

 

会社が本来求めたであろう、わたしの役割は、私自身も上手く果たせていないということに、今回上司への不満を通じて、自分自身の不甲斐なさも身に沁みました。

 

真のリーダーには、自然と人が自らついてくるものであり、組織を利用した命令指示系統で成せるものではないということを頭ではわかってましたが、やっと最近、心でも理解できるようになってきました。

 

今回、わたしは自分の上司への感情を通じて、わたしの直属スタッフで、わたしに反抗的な態度を取っていたスタッフの気持ちを、少しだけ理解できたように思います。

 

「そりゃ、嫌だよね」と、我ながら思います。

 

よく、彼らは、なんとか現在の環境下において妥協点を見つけて、自分なりに消化して仕事してくれているなぁ、とある意味感心してます。

 

わたしは、今回の上司に対する強いネガティブ感情を通じて、自分が今いるポジションでの役割、そして周囲との接し方を見直すこととなり、また、これまでの自分がいかにひどかったか、客観的に理解することができました。

 

わたしがいかにワンマンで、強引で、スタッフの気持ちを無視して、タスクや自分の意見を押しつけてしまっていたのか、心で感じ取ることができ、改めて、申し訳なかったなぁと感じてます。

 

組織におけるポジションと役割

 

今回、自分の感情に大きく振り回されたことで、部長の上席(役員2名)には、そのまんま、自身の感情をぶつけてしまって困らせてしまったことは反省してますが、自分を客観的に見直すきっかけを得られたことは収穫でした。

 

改めて、組織におけるポジションと役割について、考えさせられました。

 

組織で働く以上、上に行けば行くほど責任が増すと同時に給与も上がっていくわけで、たくさん給与をもらっている人は、それなりのリターンを組織に返さなければならないです。

 

でもそれは、単純に、作業としての業務量を他のスタッフより数倍こなすという意味ではなくて、他のスタッフには成し得ない能力を発揮して、そこで働くスタッフや組織、そして、企業活動を通じて社会に対し利益を生み出すために貢献するということです。

 

その考えには今までと変わりはないのですが、ポジションというのは、あくまで組織の中での役割であり、そのポジションを利用して、仮に業務であったとしても、組織で働く人たちにトップダウンで命令的に接したり、業務を指示したりするのは違うと思いました。どちらかというと、「協力をお願いする」ということかと思います。

 

信頼関係が成り立っていて、考える方向性、ビジョンの共有がしっかりできていれば、多少激しい議論になっても人はついてくると思いますが、何にも心で共有できてないまま、いくら上のポジションからトップダウンで命令や指示出したところで、誰にもいいことはないし、きっと、誰も思うように動かないし、何も良い結果は生み出せない。

 

きっと昔は「お金さえもらえればやる」、「がむしゃらに働いて見返してやる」みたいな時代もあったかもしれませんが、今はそういう時代ではないし、やっぱり、個人の気持ちが尊重され、ある程度共感を得られないと、組織としては上手くまわらない、良い仕事はできないと思います。

 

ただ、難しいなと思うこととして、人の意見を尊重することと、自分の意見をぶつけること、どちらも大事だと思いますし、上に立つものは、迎合してはならないという点。

 

日本の社会の場合、自分の意見をダイレクトにぶつけること、他の人の意見に異論を唱えることが時として、あまり受け入れられない雰囲気があるというか、「空気読めよ」といった風潮があり、そのことが「調和を乱す行為」として受け取られてしまい、評価されない傾向にあります。言い方は勉強しなければならないですが、異論を唱えられない組織風土は成長できないと思います。

 

だから、「波風が立つぐらいなら、何も意見しないほうがマシ、言ったところで何も変わらない、ムダ」と考える人も多く、会議においても何も意見が出てこない、固く閉じた貝のように口を開かないという場面も散見されます。

 

諦めの境地、なのでしょうか。

 

わたしは、そんな風に、諦めて、自分の時間を過ごしたくはないです。

 

人の意見も聞く(聴く)が、自分の意見も持つ。

 

尊重はするが、迎合はしない。

 

そういう自分でありたいです。

 

失敗するかもしれないし、時として、人を不愉快にしてしまう自分がいるかもしれないけど、それでも、今の未熟な自分と向き合い、自分に対しても、人に対しても正直でありたいし、一生懸命でありたいと、そう思います。

 

そして、自分の立ち振る舞いや言動など、「悪かったな」と心から気がつけたときは、その時に相手に謝って、本当の意味で人として精神的に成長していきたいです。

 

50手前でなんですが、精神的にまだ大人な自分じゃないのに、大人ぶることもできないので、ありのままで我が人生を歩んでいこうと思います。

 

まだまだ発展途上のアラフィフ女子中間管理職、めげずに明日も頑張ろう。

 

それでは、みなさま、have a nice day

 

by ちびまる

 

アラフィフ女子中間管理職、Youtube動画コンテンツの学びに救われる。

画像:photoACfujiwaraさん

 

読書離れ

 

最近、活字を読むのが億劫になってしまい、めっきり読書をしなくなりました。

 

たまに本屋にぶらっと立ち寄り、ビジネス書など衝動買いすることも稀にありますが、大抵の場合、最後まで読み切ることなくBookOffで処分することになります。

 

以前は、もっと貪欲に本を買いまくって、読み漁っていた時期もあったのですが、どこかの時点でぱったりその意欲がなくなってしまい、購買意欲がなくなってしまいました。

 

その代わりといっては何ですが、Youtube動画でさくっと情報を得て学ぶ機会というのは増えました。

 

きっと、それは、インプットが楽だし、何より、要点が要約され、視覚と聴覚から情報を得られるので、大枠だけでもサクッと理解でき、とっても便利、ハンディだからなのだと思います。

 

どうしても、活字を読まざるを得ない状況、例えば、仕事上のメール、英文の論文、契約書、規約やルール、議事録などはもちろん読みますが、それ以外は、なるべく活字を読みたくない、という心理状態があります。

 

たぶん、少なくともわたしは、日々の情報過多状態に、脳が疲れているのだと思います。

 

Youtube動画コンテンツから学ぶ

 

最近、よく見るのが中田さんのYoutube大学コンテンツです。

 

たぶん、自分の中では一番多く見ているコンテンツかと思います。

 

多岐のトピックスに渡り、簡潔にわかりやすく要点がまとめられていて、かつ、容易にイメージしやすい例え話や比喩にて表現されているので、すっと情報が頭に入ってきて、消化しやすいのだと思います。

 

また、現実社会によくありそうなシチュエーションや心理状態を上手く表現されていて、まるで自分の気持ちを汲んでくれているかのような、そんな気持ちにさせられるので、よくAudianceの心情をよく捉えて制作されているコンテンツだなと思います。

 

中田さんのお話から察するに、コンテンツの正確性や表現に対する専門家(もしくは教育現場に係る、関心のある方々)より、厳しいコメントが寄せされて、結構、大変な思いをされて、コンテンツ配信を継続されているようで、タフなメンタリティに関心します。

 

チームで仕事されているかとは思いますが、あれだけ幅広いコンテンツを、頻度よく、それも端的にわかりやすくまとめるというのは、相当の努力と忍耐、そして労力と時間を要することと思います。

 

確かに、あれだけストレートな物言いのコンテンツというのは、批判も浴びやすいだろうと思うし、受ける側によっては、思い込んでしまい、そのメッセージが独り歩きしてしまうリスクはあるかと思います。

 

それでも、わたし個人としては、中田さんのYoutube大学のコンテンツに触れられることを嬉しく思いますし、いろんなことをサクッと大枠を捉えられ、イメージできますし、自分なりの考えを持つきっかけをくれるので、大変ありがたいです。

 

少なくとも、わたしは、中田さんのYoutube大学のコンテンツから、今まで知らなかったことをたくさん学ばさせて頂いて、また、時には、自身の立ち振る舞いや考え方、価値観を見直すきっかけを頂けるので、大変重宝しています。

 

コンテンツの正確性の角度は問題ではなく、そのコンテンツに触れて、自分はどう考えるのか、新たに何か感じるものはあるのか、そこからどうアクションするのか、など、自分の中にある何かを呼び起こすきっかけを掴むことが大事なんだと思っています。

 

第三者が発信する動画コンテンツであれば、フラットな素直な気持ちでその情報に向き合うことができ、自身の心にクリックする情報であれば、それは自分にとって大きな学びであり収穫です。

 

動画コンテンツは短時間でサクッと触れられて、隙間時間にインプットできるメリットがあります。

 

わたしはこの度、上司と部下との関係性で抱えている問題について、中田さんのYoutube動画コンテンツに触れることで、自分自身を心から見つめなおすきっかけを得ることができました。

 

自分本位にものごとを考えてしまっている時、自分の立ち振る舞い、考え方、価値観と冷静に向き合うことができませんが、第三者のフラットな意見に触れ、「自分はどうなのか」と客観的に自分について考えることで、相手の心情や立場などについて、考える余裕が少し生まれてきます。

 

一歩でも二歩でも、昨日の自分より今日の自分のほうが好きで、今日よりも明日と前進できればいいかなと思っています。

 

それでは、みなさま have a nice day

 

by ちびまる

アラフィフ女子中間管理職、上司への怒り爆発。アンガーマネジできない不甲斐なさに泣く。

画像:photoACbBearさん

 

感情表現が豊かであるが故の葛藤

 

久しぶりにやってきた、強烈な怒りの感情。

 

直属上司に向かって爆発してしまいました。

 

自分では気がついていなかった潜在的な不満が積もりに積もり、それがある日突然些細なことで着火され、ボンっ!と爆発。

 

怒りの感情が噴火してしまい、わたしの心はまるで活火山のマグマのような感じで、煮えくり返っていて、静まる様子もなく、溢れ出た溶岩が止めどなく流れ、怒りの感情をコントロールできず直接関係のない周囲の人たちにも害を及ぼす始末。

 

オーストラリアで培った、わたしの豊かな感情表現は、時としてこのような形で発揮され、自分や周囲の人々を傷つける結果となります。

 

楽しさも、嬉しさも、悲しさも、寂しさも、怒りも、くやしさも、子供だけでなく、大人だって、豊かに感情表現する傾向にある個人主義国。

 

大多数がわたしと同じように、豊かな感情を出しまくりであれば、周囲もそれなりに免疫ができていて、なんなく対応できるのでしょうが、感情をあまり表に出さない日本では珍獣として扱われます。

 

個人主義色が強い国においては、真っ赤な顔して憤慨している人を見るのはそれほど珍しくないですが、ここ、集団主義色が強く、調和を何より大事にする日本においては、とにかく目立ちますし、「足並み乱す人」として嫌煙されます。

 

もちろん、欧米諸国においても、人間ができたスマートな人たちもたくさんいて、わたしのように感情むき出しにしてしまう人は、扱いが難しいかと思います。

 

いま、わたしは、この「足並み乱す、厄介な人」になってしまっています。

 

でも、人間らしく生きたい、ありのままで生きたいわたしは、正直でありたい。

 

一方で、不協和音を奏でて、周囲に嫌な思いをさせている自分の不甲斐なさを感じて、大泣きする自分もいます。

 

50歳を手前にして、若い頃の自分とさほど変わらない精神状態と言いますか、一言でいうと大人げない自分に、やはり少なからずジレンマを感じている自分がいるのです。

 

なんんとか、せめて、負の感情(怒りや妬みなど含めて)をもう少し、周囲に迷惑かけない程度にコントロールできないものかと思う今日この頃です。

 

上司への怒り爆発

 

わたしの中の感情が、ある境界線を越えてしまいました。

 

これまでは、見ないふりしてやり過ごしてきたところがありますが、ある出来事をきっかけにその感情が顕在化し、怒りとして現れました。

 

なぜ怒りの感情が沸いてしまったのか。

 

それは、わたしの中で、"Not Make Sence" = 理に適わない という点があまりに増えてしまったからだと思います。

 

細かい背景は置いておいて、まず、わたしと上司の関係は、下記です。

 

上司:営業部部長

わたし:営業部次長

 

わたしの部長への不満と疑問。

 

〇なぜ数字を把握しない?

〇なぜ数字を追わない?

〇なぜ確認せず右から左へ流す?

〇なぜ最終判断を下さない?

〇なぜ会議中に寝る?

〇なぜ主体的に考えない?

〇なぜ丸投げ?

〇なぜ他部門と調整できない?

〇なぜ戦略立てない?

〇なぜ課題を放置する?

〇なぜすべての話をすり替える?

〇なぜそこまで自己防衛する?

 

部下であるわたしが部長に感じていることは、「なぜ、部長の仕事をしない?」です。

 

次長の仕事は部長を補佐し支える役目ですが、尊敬の念がないと成り立たないです。

 

尊敬できない人を支えることはできません。

 

彼自身がプレイングマネジャーで担当している仕事を否定するつもりは毛頭ありませんが、それでは、わたしと同じですし、部長として、対価をより多くもらっている意味が見出せません。

 

部長の上も、「〇〇に言ってもできないから、お願い」と、わたしに仕事を振ってきて、わたしの業務は更に増え、残業代はでませんが、残業が増します。

 

一方で、部長はいつも定時で帰宅。

 

たとえ、大型案件の問合せが入っていて、担当営業が対応できないとわかっていても放置、ノーケアです。

 

その理由として、言われたのが、「あなた(わたしのこと)を立ててるのですよ」と言う。

 

「それなのにあなたは、わたし(上司)を尊重もしないし、報連相だって全然できてないじゃない。」と叱責され、それが引き金となって、わたしの怒りに着火となりました。

 

わたしの上司は、他部署の多くの人から煙たがられて、「メンドクサイ人」と思われていて、その苦情や不満をわたしが受けています。

 

それをわたしは、わたしなりにフォローしてきたつもりですが、そのフォローをしようという気持ちもプッツンと切れました。

 

経営層に沈静化される

 

わたしの怒りは暴走し、その矛先は、上司の上、役員(経営層)に向いてしまいました。

 

悪態に近い状態で、今思うと申し訳なかったです。

 

「とてもじゃないけど、上司の下で働けない」

「降格してでもラインから外して欲しい」

 

と願い出ましたが、「我がまま」と捉えられ、逆に叱責されました。

 

〇思い通りにいかないことの方が多い

〇今のポジションは周囲の協力があって得たはず

〇周囲と足並み揃えることが大事

〇ないものねだりしても仕方がない

〇上司も部下も選べない

 

とても正論ですが、幸い、役員(経営層)の人たちを私は尊敬しているので、最終的には素直に聞き入れることができましたが、たくさん泣きました。

 

腑に落ちないことがたくさんあります。

 

〇なぜ部長が部長の仕事をしてないとわかっているのに何も言わないのか。

〇なぜ業務過多で苦しんでいるわたしに、部長の仕事を直接振ってくるのか。

 

それでも、この負の感情を持ち続けていても、「自分にとっても、周囲にとっても、何も良いことはない」というのは確かなので、どこかで折り合いをつけるために、たくさん泣きました。

 

涙で怒りの感情を少し洗い流した感じです。

 

正直、逃げたい気持ちもあります。

 

もう、どっか違う会社で、もっと待遇の良い公平な評価をしてくれるところに行きたい、そう思うこともありますが、一方で、どこに行ったって同じと思っている自分もいます。

 

なので、今、一生懸命、自分の中で折り合いをつけるために葛藤中です。

 

自分の感情を通して学んだこと

 

わたしは、この度、上司へのいら立ち、怒り、嫌悪感などを通じて、自分と折り合いがつかないスタッフの気持ちを少し理解できたように思います。

 

きっと、今わたしが上司に抱いている気持ちと似ているのだろうと。

 

〇こんな上司の指示に従いたくない

〇なんでその仕事を自分がやるのだ?

〇できることなら関わりたくない

〇トップダウンの命令なんて聞けない

 

わたしは、今、自分がやってきたことを、今の自分の上司にされたとしたら、完全に拒否しまくるだろうなと、容易に想像できました。

 

わたしとそのスタッフは、ウマが合いません。

 

彼はわたしより勤続年数も長いし先輩です。

 

でも、わたしが彼の上に立ってしまいました。

 

そんな関係性も影響し、わたしを上司とは認めてないし、絶対イヤだろうなと。

 

よっぽどわたしに対して、尊敬できる点を見つけられれば別ですが、彼としては、わたしが彼の上司に立つ意味が、感情的に受入れられないだろうし、モチベーションを維持するだけでも大変だと思います。

 

今回の件で、収穫と言えば、自分のスタッフの(それもウマが合わない、上手くいってないスタッフの)気持ちが少し理解できたことです。

 

アンガーマネジメントの学びが必要

 

よく考えれば、世界で起きているさまざまな理不尽なことと比べれば、わたしが抱えている怒りの要因なんて、どうでもいいくだらないことだと思います。

 

頭でわかってはいるものの、つい、その対象人物と面してしまうと、見る世界が急激に狭くなり、自身の理屈への執着に苦しめられます。

 

どこかで、「あるべき論」を自分の中に展開していて、それが目の前の現実社会とマッチしないと「なんで?」といら立ちに変わり、不要な負の感情に飲み込まれて行ってしまう。

 

周りから、「そんなのくだらないよ、損だよ」と言われるのですが、感情というものは、そうそうコントロールできるものではなく、特に負の感情は、引っ張る力が強いので、コントロールは大変です。

 

ある意味、いろんなことに諦めている、関心がない、興味がなければ、そのような強い感情も生まれず、「言われたことを淡々とやるだけ」に徹することができるかもしれませんが、わたしは、まだ、幸い、そういう心理状態ではなく、いろんなことを諦めていません。

 

そんな中で、関係のない周囲の人たちに嫌な思いをさせずに、できるならば、自身の今ある感情よりも、「理想の自分像」を強く感じ、感情を上手くコントロールできたらいいなと思います。

 

世間でよく言う「大人な人たち」は、きっと、理想の自分像を強く持っているか、心から「無駄なことに時間もエネルギーも使いたくない」と思っているかのどちらかなのかなと思います。

 

残念なことに、わたしは、まだ、その境地には至っておらず、自分の感情に日々振り回されっぱなしです。

 

人間らしい、庶民らしい、なんともわたしらしいのですが、いつか、ちゃんともうひとつ上のランクの人間に成長したいと夢見ているわたしもおります。

 

なので、まずは自分と向き合って、葛藤して、泣いたり、笑ったり、しんどい思いをしながら、1mmでも前に進んでいくしかないのかなと、今は思っています。

 

それでは、みなさま、have a nice day

 

by ちびまる

 

 

 

 

 

 

 

アラフィフ独身マンションを買う(デザインコンテストに応募されることに\(^o^)/)

 

デザインコンテストに応募されることに

 

この度、リフォームを手掛けてくれた会社さんにより、パナソニックのデザインコンテストにわたしのおうちの事例を応募される運びとなりました。

 

細かいことはよくわからないのですが、年に一度、大規模、中規模、小規模リフォーム、それから一軒家、マンションリフォームなどカテゴリに分かれたリフォーム&インテリアデザインコンテストが開催されるらしく、この度、我が家をマンションのカテゴリーにて出展したいとご依頼がありまして、応募してみることにしました。

 

わたしの場合は、フルリノベーションではなく、あるものをある程度活かした形でのリノベーションし、Before / Afterを知るリフォーム会社さん曰く、フルリノベをせずに、ここまで内装がガラリと変わった事例はあんまり見たことがない、ということで応募したいとのことでした。

 

中古マンションのコンテストの場合は、全国のリフォーム会社さんから、おおよそ600~800点ほどの事例が寄せられ、その中から審査されるそうです。

 

わたしの理想をビジュアル化してくれたリフォーム会社さんのご依頼なら、断る理由はありません。「お役に立てるのであれば、ぜひどうぞ」ということで、応募に快諾しました。万が一、何かの賞を取れたら、わたしにとっても自信につながります。

 

ご丁寧にリフォーム会社さんのお偉い方が我が家を内覧に来られて、なんともありがたいことに、ダイニングに飾るお花と花瓶(それも2つ!)、それから、夏バテしないようにと、コジャレたお酢の飲み物セットと、パナソニックのデスクスタンドを頂戴いたしました。

 

一輪挿しの花瓶しか持っていなかったので、花瓶を頂けたのはとっても嬉しかったです♪

 

さっそく、頂いたお花をダイニングキッチンに飾りました。

 

 

勢いで手に入れた我が家

 

大枚はたいて手に入れた我が家。

 

誰になんと言われようと、自分の中では自慢の我が家です。

 

自分で設計したのだから、住み心地は抜群です!!!

 

よくよく考えると、、、よく、まぁ、ひとりで、物件探しからリフォームまでやったなぁと、我ながらあっぱれ。

 

友人からは、「いつから考えて動いてたの?」と聞かれることが多くて、「昨年の12月からよ」と言うと、「よくもまぁ、そんな短い期間でやり遂げたわね」と感心されます。

 

確かに、以前からマンション購入をず~~~~っと考えていたわけではなく、どちらかというと「思い立ったら吉日」という感じで、ほんとに、思いつきに近い、衝動的な決断だったように思います。

 

わたしの人生はいつも、こんな感じ💦

 

大事な決断でも、小さな決断でも、いつも、自分の感覚を一番に信じて動いてます。

 

リフォームの会社の人にも「よく、こんな大きな買い物、ひとりで決断しましたね=」と言われるのですが、「だって、ひとりなんだから、ひとりで決めるしかないじゃない」と思ったりもしますが、普通は、夫婦で決めたり、親と一緒に決めたりするのでしょうか・・・。

 

もともと、何でも一人で決めて動いてきた我が人生なので、わたしにとって、マンション買うのも、オーストラリアに行くのも、日本に帰ってくるのも、転職するのも、全部同じ感覚で、ただ感じるがままに動いた、という感じです。

 

わたしの経験上ですが、あれこれ考えて動いた時よりも、意外と思いつきというか、なんとなく「今でしょ、これでしょ」と感じて動いた時のほうが、ものごとスムーズに事が運ぶことが多い気がします。

 

もちろん、細かいところで、あれこれ迷ったり、悩んだりはしますが、消去法で考えると、意外とサクッと決断できたりするものです。

 

こだわりの強さが吉とでた

 

何をするにもこだわりが強い傾向にあるわたし。

 

最近、仕事面においては、全部こだわっていたら、仕事がまわらないので、、、多くのことはスタッフに任せることのほうが多くなってきましたが、基本的にはこだわりが強い性質。

 

今回、マンション買って、リフォームするまでの間のこだわりも、かなり強かったように思いますが、選択肢が少なかったのと、消去法で選択肢を狭められたことで、サクッとものごと進んでいったように思います。

 

リフォームの設計から、インテリアのモノ選びの一つ一つまで、できる限り細部にこだわり、特にコンセプト固めにこだわりを持ち、リサーチに時間を割いたことが、今回、満足のいく住まいづくりに、結果として吉と出たのでは、と思っています。

 

たくさんの世界のホテルインテリアの動画や画像をみたり、自分が心地よいと感じるものは一体なんなのかを頭で考えるというよりは、五感で感じて形にしたかったので、たくさん家具屋をまわり、すべてのソファーに座ったり、寝そべったり、カーテンを端から端まで眺めては、触ってみたり、開けたり閉じたり・・・と、とにかく、感覚を大事にして、いろんなものを手で触り、感覚的に「これ」と、全てを決めました。

 

昔の刑事ドラマで「現場100回!」なんて言葉がありますが、数を打てば打つほど、いろんなことが感覚的にわかってきたり、本質に気がつくことができたりするというのは、本当だなぁ、と思います。

 

物件内覧は、合計で10件ぐらいですが、内覧以外のリサーチは、ほぼ毎日、飽きることなく、「これだ!」と思う何かに出会うまでは、とにかく探しまくりましたねぇ。

 

テイストは人によって違うので、わたしが良いと思うものを他の人からみれば、「えーなんか変じゃない?」と思うかもしれませんが、わたしが住まう住居なのだから、わたしが「これだ!」と思えることが何より大事で、それで良いのだと思ってます。

 

そんな思いで考えに考え抜いて、できる限りの予算で実現したわたしの我が家。

 

コンテストで何か賞がとれたとしたら、それはそれでとっても嬉しいことですし、そのことでリフォーム会社さんの営業活動に一役買えたとしたら、こんな嬉しいことはありません。

 

Gut Feeling (直感)で動いて、マンション買って、とっても腕の良いリフォーム会社さんと出会って、理想の住処を手に入れて、コンテストにまで出られるなんて、結果はどうであれ、こんな嬉しいことはありません。

 

すべてはご縁であり、その流れにはきっと何か、次につながる意味があるのだろうなぁと感じております。

 

毎日、いろんな悲しい事件で気持ちが落ち込みがちなところに、素敵なお花とともに、嬉しい機会を頂けて、わたしはエネルギーをたくさん頂き、感謝、感謝です♪

 

それでは、みなさま、あつい、あつい夏が続き、また、心痛むニュースが多い

毎日ですが、日々のちょっとした瞬間を楽しんで、前向きに、楽しく、明るく参りましょう。

 

have a nice day

 

by ちびまる