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おひとり様女子のエッセイ

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アラフィフ女子中間管理職、上司に対するネガティブ感情を通じて、はじめて自分の部下の気持ちが理解できたように思う。

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画像:photoACELUTASさん

 

部下としての自分

 

わたしは、営業部次長という役職。

 

直属には上に部長がいて、そのまた上に役員2名がいます。

 

先日、部長に対する積もりに積もった潜在的な不満が爆発してしまい、自分でもびっくりするぐらいの怒りの感情と向き合うことになりました。

 

怒り爆発から1週間が過ぎて、少し落ち着きましたが、今回の激しい感情を経験して、改めて、この度、組織で働くことの意味や自身のポジションについて、考える機会を得ました。

 

すべての出来事には、必ず何か意味があって、学びの機会があるものだと、今回の経験を通じて思いました。

 

わたしがなぜ、あそこまで怒りを感じ、そして今も、上司に対して信頼する気持ちを持てずにいるのか、それについて考えてみました。

 

わたしは決して、その上司を人として嫌いというわけではないし、尊敬する部分を持っていないというわけではありません。

 

でも、企業(組織)というある一定の規定概念の中で、自分は時間を費やし、労働力を提供する代わりに対価(お金)を頂きながら生きていて、少なからず損得勘定を持ちながら、その組織に属しているわけで、自分が関わる事柄に対して、何か不均衡な事象が起こってしまうと、自分の心の中でバランスが取れなくなってきます。

 

もちろん、わたしの感情はわたしの考えに支配されていて、わたしの中でのFairness(日本語だとあまりしっくりこないのですが、公正とか公平など)の尺度、そして、役割と対価の大きさなどが、どこかで崩れてくると、不満・苛立ち、そしていつしか激しい怒りに変わっていくのだと、この度客観的に学びました。

 

本来ならば、シンプルな方程式で、

対価、業務の重さ、能力の高さは

部長>わたし(次長)

というのが頭にあって、それが実情、自分の中では、

 

対価:部長>わたし(次長)

業務の重さ:部長わたし(次長)

能力:部長わたし(次長)

となってしまっているのではないかという疑念が大きくなり、それに加えて、まわりからの賛同の声などを聞いてしまうと、その気になってしまって、負の感情に、より支配されてしまい、不満が大きくなってしまいました。

 

社歴や業界内での経験というと、部長>わたしというのは紛れもない事実であり、能力に関しては、業界内の専門知識という意味では部長のほうが勝ると思っていますが、「営業部長がやるべき任務や課題」という意味で≒と感じています。

 

この度、わたしがどうしても腑に落ちないところは、部長の上の役員2名が、部長が部長の仕事をしていないという事実を認めているにも関わらず、本人に何かを伝えようともせず、また、何も環境を変えようとしないことです。

 

もしも部長の上の役員2名が、わたしの不満に対し異論を唱え、部長の能力と仕事ぶりを支持し評価しているならまだしも、まったく評価していないと感じざるを得ない言葉を発しながらも、何も変わらない。

 

わたしとしては尚更「なんで?どうして、そのことを本人に何も言わないのか、言えないのか」と、その上席の上席(役員2名)の言葉にも、完全に消化不良を起こしてしまいました。

 

おそらく、社歴の長さ、営業部長という役割以外での貢献度などがあるため、ないがしろにできないということと、他の適切なポジションも見当たらないため、現状維持せざるを得ないということなのだと思います。

 

組織というのは、竹を割ったようにすっきり、はっきり、論理的にいかないことが十中八九であり、こういったケースも組織によくある問題なのだから、そこをなんとか自分なりに折り合いをつけて仕事をしなさい、ということなのだと思います。

 

ある意味、どんな社員であれ、社員を大事に守る会社であるという証拠と思いますが、「人が全て」という組織体において、ある意味、成長を鈍化させる考え方だなと感じています。

 

該当するポジションにおいて、「やるべき仕事をしていない」という人に対して、その事実を知っていながら放置するというのは、ある意味、組織としては危機的状況であると、私自身は思っています。

 

上司としての自分

 

今回の自身の強い感情と面して、中間管理職であるわたしは、上にも下にも人がいるわけで、逆の立場というのも経験しています。

 

昨年4月に、組織図上、わたしの下に、一気に部下が増えました。

 

部下という言葉は、あまり好きではないですが、タスクを振っていくのがわたしの仕事になるので、部下と言えば部下、でも、平たく言えばスタッフ(仲間)です。

 

わたしよりも社歴が長く、社歴的には先輩がほとんどです。

 

10年前に、わたしの育成に当たっていた人が部下になりました。

 

営業ベテランスタッフ数名からは、ものすごい反発があり、わたしを上司として受け入れないという感情(姿勢、態度)に直面しました。

 

わたしとしては、何としてでも組織をまとめ、動かさなくてはという気持ちが先行し、ポジションを利用したトップダウンという道しかないなと感じていて、言わば「命令指示的」な指示の出し方で、なんとか統制を図ろうと試みました。

 

人間は、感情で動くものだから、よく考えれば当たり前のことですが、こんなやり方では、到底上手くいきませんし、信頼関係は築けませんし、今も正直なところ、信頼関係はさほど築けていないと思います。

 

お互い今の組織で生きていくことを選択する以上、なんとか表面的には一緒に働いていかなくてはならなくて、そのことはお互い理解しているので、わたしを上司として認めない姿勢を出していた数名も、とりあえず、必要最低限の報連相だけをし、淡々と仕事だけはするという状態には持っていきました。

 

幸い、みんなそれなりにベテランなので、わたしが指示を出さなければならない場面はほとんどなく、今は、わたしの承認を得なければならない事案に対してだけ、承認依頼をしてくるという感じです。

 

それ以外、ほとんどあんまり接点を持たずに仕事をしているのが実情です。

 

正直、わたしは上司として、というか、チームをまとめるリーダーとして失格です。

 

会社が本来求めたであろう、わたしの役割は、私自身も上手く果たせていないということに、今回上司への不満を通じて、自分自身の不甲斐なさも身に沁みました。

 

真のリーダーには、自然と人が自らついてくるものであり、組織を利用した命令指示系統で成せるものではないということを頭ではわかってましたが、やっと最近、心でも理解できるようになってきました。

 

今回、わたしは自分の上司への感情を通じて、わたしの直属スタッフで、わたしに反抗的な態度を取っていたスタッフの気持ちを、少しだけ理解できたように思います。

 

「そりゃ、嫌だよね」と、我ながら思います。

 

よく、彼らは、なんとか現在の環境下において妥協点を見つけて、自分なりに消化して仕事してくれているなぁ、とある意味感心してます。

 

わたしは、今回の上司に対する強いネガティブ感情を通じて、自分が今いるポジションでの役割、そして周囲との接し方を見直すこととなり、また、これまでの自分がいかにひどかったか、客観的に理解することができました。

 

わたしがいかにワンマンで、強引で、スタッフの気持ちを無視して、タスクや自分の意見を押しつけてしまっていたのか、心で感じ取ることができ、改めて、申し訳なかったなぁと感じてます。

 

組織におけるポジションと役割

 

今回、自分の感情に大きく振り回されたことで、部長の上席(役員2名)には、そのまんま、自身の感情をぶつけてしまって困らせてしまったことは反省してますが、自分を客観的に見直すきっかけを得られたことは収穫でした。

 

改めて、組織におけるポジションと役割について、考えさせられました。

 

組織で働く以上、上に行けば行くほど責任が増すと同時に給与も上がっていくわけで、たくさん給与をもらっている人は、それなりのリターンを組織に返さなければならないです。

 

でもそれは、単純に、作業としての業務量を他のスタッフより数倍こなすという意味ではなくて、他のスタッフには成し得ない能力を発揮して、そこで働くスタッフや組織、そして、企業活動を通じて社会に対し利益を生み出すために貢献するということです。

 

その考えには今までと変わりはないのですが、ポジションというのは、あくまで組織の中での役割であり、そのポジションを利用して、仮に業務であったとしても、組織で働く人たちにトップダウンで命令的に接したり、業務を指示したりするのは違うと思いました。どちらかというと、「協力をお願いする」ということかと思います。

 

信頼関係が成り立っていて、考える方向性、ビジョンの共有がしっかりできていれば、多少激しい議論になっても人はついてくると思いますが、何にも心で共有できてないまま、いくら上のポジションからトップダウンで命令や指示出したところで、誰にもいいことはないし、きっと、誰も思うように動かないし、何も良い結果は生み出せない。

 

きっと昔は「お金さえもらえればやる」、「がむしゃらに働いて見返してやる」みたいな時代もあったかもしれませんが、今はそういう時代ではないし、やっぱり、個人の気持ちが尊重され、ある程度共感を得られないと、組織としては上手くまわらない、良い仕事はできないと思います。

 

ただ、難しいなと思うこととして、人の意見を尊重することと、自分の意見をぶつけること、どちらも大事だと思いますし、上に立つものは、迎合してはならないという点。

 

日本の社会の場合、自分の意見をダイレクトにぶつけること、他の人の意見に異論を唱えることが時として、あまり受け入れられない雰囲気があるというか、「空気読めよ」といった風潮があり、そのことが「調和を乱す行為」として受け取られてしまい、評価されない傾向にあります。言い方は勉強しなければならないですが、異論を唱えられない組織風土は成長できないと思います。

 

だから、「波風が立つぐらいなら、何も意見しないほうがマシ、言ったところで何も変わらない、ムダ」と考える人も多く、会議においても何も意見が出てこない、固く閉じた貝のように口を開かないという場面も散見されます。

 

諦めの境地、なのでしょうか。

 

わたしは、そんな風に、諦めて、自分の時間を過ごしたくはないです。

 

人の意見も聞く(聴く)が、自分の意見も持つ。

 

尊重はするが、迎合はしない。

 

そういう自分でありたいです。

 

失敗するかもしれないし、時として、人を不愉快にしてしまう自分がいるかもしれないけど、それでも、今の未熟な自分と向き合い、自分に対しても、人に対しても正直でありたいし、一生懸命でありたいと、そう思います。

 

そして、自分の立ち振る舞いや言動など、「悪かったな」と心から気がつけたときは、その時に相手に謝って、本当の意味で人として精神的に成長していきたいです。

 

50手前でなんですが、精神的にまだ大人な自分じゃないのに、大人ぶることもできないので、ありのままで我が人生を歩んでいこうと思います。

 

まだまだ発展途上のアラフィフ女子中間管理職、めげずに明日も頑張ろう。

 

それでは、みなさま、have a nice day

 

by ちびまる