画像:photoACbBearさん
感情表現が豊かであるが故の葛藤
久しぶりにやってきた、強烈な怒りの感情。
直属上司に向かって爆発してしまいました。
自分では気がついていなかった潜在的な不満が積もりに積もり、それがある日突然些細なことで着火され、ボンっ!と爆発。
怒りの感情が噴火してしまい、わたしの心はまるで活火山のマグマのような感じで、煮えくり返っていて、静まる様子もなく、溢れ出た溶岩が止めどなく流れ、怒りの感情をコントロールできず直接関係のない周囲の人たちにも害を及ぼす始末。
オーストラリアで培った、わたしの豊かな感情表現は、時としてこのような形で発揮され、自分や周囲の人々を傷つける結果となります。
楽しさも、嬉しさも、悲しさも、寂しさも、怒りも、くやしさも、子供だけでなく、大人だって、豊かに感情表現する傾向にある個人主義国。
大多数がわたしと同じように、豊かな感情を出しまくりであれば、周囲もそれなりに免疫ができていて、なんなく対応できるのでしょうが、感情をあまり表に出さない日本では珍獣として扱われます。
個人主義色が強い国においては、真っ赤な顔して憤慨している人を見るのはそれほど珍しくないですが、ここ、集団主義色が強く、調和を何より大事にする日本においては、とにかく目立ちますし、「足並み乱す人」として嫌煙されます。
もちろん、欧米諸国においても、人間ができたスマートな人たちもたくさんいて、わたしのように感情むき出しにしてしまう人は、扱いが難しいかと思います。
いま、わたしは、この「足並み乱す、厄介な人」になってしまっています。
でも、人間らしく生きたい、ありのままで生きたいわたしは、正直でありたい。
一方で、不協和音を奏でて、周囲に嫌な思いをさせている自分の不甲斐なさを感じて、大泣きする自分もいます。
50歳を手前にして、若い頃の自分とさほど変わらない精神状態と言いますか、一言でいうと大人げない自分に、やはり少なからずジレンマを感じている自分がいるのです。
なんんとか、せめて、負の感情(怒りや妬みなど含めて)をもう少し、周囲に迷惑かけない程度にコントロールできないものかと思う今日この頃です。
上司への怒り爆発
わたしの中の感情が、ある境界線を越えてしまいました。
これまでは、見ないふりしてやり過ごしてきたところがありますが、ある出来事をきっかけにその感情が顕在化し、怒りとして現れました。
なぜ怒りの感情が沸いてしまったのか。
それは、わたしの中で、"Not Make Sence" = 理に適わない という点があまりに増えてしまったからだと思います。
細かい背景は置いておいて、まず、わたしと上司の関係は、下記です。
上司:営業部部長
わたし:営業部次長
わたしの部長への不満と疑問。
〇なぜ数字を把握しない?
〇なぜ数字を追わない?
〇なぜ確認せず右から左へ流す?
〇なぜ最終判断を下さない?
〇なぜ会議中に寝る?
〇なぜ主体的に考えない?
〇なぜ丸投げ?
〇なぜ他部門と調整できない?
〇なぜ戦略立てない?
〇なぜ課題を放置する?
〇なぜすべての話をすり替える?
〇なぜそこまで自己防衛する?
部下であるわたしが部長に感じていることは、「なぜ、部長の仕事をしない?」です。
次長の仕事は部長を補佐し支える役目ですが、尊敬の念がないと成り立たないです。
尊敬できない人を支えることはできません。
彼自身がプレイングマネジャーで担当している仕事を否定するつもりは毛頭ありませんが、それでは、わたしと同じですし、部長として、対価をより多くもらっている意味が見出せません。
部長の上も、「〇〇に言ってもできないから、お願い」と、わたしに仕事を振ってきて、わたしの業務は更に増え、残業代はでませんが、残業が増します。
一方で、部長はいつも定時で帰宅。
たとえ、大型案件の問合せが入っていて、担当営業が対応できないとわかっていても放置、ノーケアです。
その理由として、言われたのが、「あなた(わたしのこと)を立ててるのですよ」と言う。
「それなのにあなたは、わたし(上司)を尊重もしないし、報連相だって全然できてないじゃない。」と叱責され、それが引き金となって、わたしの怒りに着火となりました。
わたしの上司は、他部署の多くの人から煙たがられて、「メンドクサイ人」と思われていて、その苦情や不満をわたしが受けています。
それをわたしは、わたしなりにフォローしてきたつもりですが、そのフォローをしようという気持ちもプッツンと切れました。
経営層に沈静化される
わたしの怒りは暴走し、その矛先は、上司の上、役員(経営層)に向いてしまいました。
悪態に近い状態で、今思うと申し訳なかったです。
「とてもじゃないけど、上司の下で働けない」
「降格してでもラインから外して欲しい」
と願い出ましたが、「我がまま」と捉えられ、逆に叱責されました。
〇思い通りにいかないことの方が多い
〇今のポジションは周囲の協力があって得たはず
〇周囲と足並み揃えることが大事
〇ないものねだりしても仕方がない
〇上司も部下も選べない
とても正論ですが、幸い、役員(経営層)の人たちを私は尊敬しているので、最終的には素直に聞き入れることができましたが、たくさん泣きました。
腑に落ちないことがたくさんあります。
〇なぜ部長が部長の仕事をしてないとわかっているのに何も言わないのか。
〇なぜ業務過多で苦しんでいるわたしに、部長の仕事を直接振ってくるのか。
それでも、この負の感情を持ち続けていても、「自分にとっても、周囲にとっても、何も良いことはない」というのは確かなので、どこかで折り合いをつけるために、たくさん泣きました。
涙で怒りの感情を少し洗い流した感じです。
正直、逃げたい気持ちもあります。
もう、どっか違う会社で、もっと待遇の良い公平な評価をしてくれるところに行きたい、そう思うこともありますが、一方で、どこに行ったって同じと思っている自分もいます。
なので、今、一生懸命、自分の中で折り合いをつけるために葛藤中です。
自分の感情を通して学んだこと
わたしは、この度、上司へのいら立ち、怒り、嫌悪感などを通じて、自分と折り合いがつかないスタッフの気持ちを少し理解できたように思います。
きっと、今わたしが上司に抱いている気持ちと似ているのだろうと。
〇こんな上司の指示に従いたくない
〇なんでその仕事を自分がやるのだ?
〇できることなら関わりたくない
〇トップダウンの命令なんて聞けない
わたしは、今、自分がやってきたことを、今の自分の上司にされたとしたら、完全に拒否しまくるだろうなと、容易に想像できました。
わたしとそのスタッフは、ウマが合いません。
彼はわたしより勤続年数も長いし先輩です。
でも、わたしが彼の上に立ってしまいました。
そんな関係性も影響し、わたしを上司とは認めてないし、絶対イヤだろうなと。
よっぽどわたしに対して、尊敬できる点を見つけられれば別ですが、彼としては、わたしが彼の上司に立つ意味が、感情的に受入れられないだろうし、モチベーションを維持するだけでも大変だと思います。
今回の件で、収穫と言えば、自分のスタッフの(それもウマが合わない、上手くいってないスタッフの)気持ちが少し理解できたことです。
アンガーマネジメントの学びが必要
よく考えれば、世界で起きているさまざまな理不尽なことと比べれば、わたしが抱えている怒りの要因なんて、どうでもいいくだらないことだと思います。
頭でわかってはいるものの、つい、その対象人物と面してしまうと、見る世界が急激に狭くなり、自身の理屈への執着に苦しめられます。
どこかで、「あるべき論」を自分の中に展開していて、それが目の前の現実社会とマッチしないと「なんで?」といら立ちに変わり、不要な負の感情に飲み込まれて行ってしまう。
周りから、「そんなのくだらないよ、損だよ」と言われるのですが、感情というものは、そうそうコントロールできるものではなく、特に負の感情は、引っ張る力が強いので、コントロールは大変です。
ある意味、いろんなことに諦めている、関心がない、興味がなければ、そのような強い感情も生まれず、「言われたことを淡々とやるだけ」に徹することができるかもしれませんが、わたしは、まだ、幸い、そういう心理状態ではなく、いろんなことを諦めていません。
そんな中で、関係のない周囲の人たちに嫌な思いをさせずに、できるならば、自身の今ある感情よりも、「理想の自分像」を強く感じ、感情を上手くコントロールできたらいいなと思います。
世間でよく言う「大人な人たち」は、きっと、理想の自分像を強く持っているか、心から「無駄なことに時間もエネルギーも使いたくない」と思っているかのどちらかなのかなと思います。
残念なことに、わたしは、まだ、その境地には至っておらず、自分の感情に日々振り回されっぱなしです。
人間らしい、庶民らしい、なんともわたしらしいのですが、いつか、ちゃんともうひとつ上のランクの人間に成長したいと夢見ているわたしもおります。
なので、まずは自分と向き合って、葛藤して、泣いたり、笑ったり、しんどい思いをしながら、1mmでも前に進んでいくしかないのかなと、今は思っています。
それでは、みなさま、have a nice day
by ちびまる