画像:photoACリズム727さん
ネコになってみたい
ネコになってみたい
そう、わたしは、ネコちゃんへ、ある種の憧れを抱いています。
たぶん、単なる妄想に過ぎないのだけれど。
本ブログのIDも「globalcat」と、世界を旅するネコちゃんのイメージで命名しました。
もちろん、ネコにはネコの世界があって、人間には想像もできない、大変なこと、過酷な境遇なども、たくさんあるのでしょう。
それでも、なんというか、あのキョトンとした瞳、コロンとしてて、ふわふわな感じ、そして、何より自由に生きていそうなあの雰囲気、非常に、、、憧れます。
本音を言えば、ただ単純に、
〇気ままに生きたい
〇自由でいたい
〇みんなに愛されたい
だけかもしれない。
そんな願望、わたしだけ^^?
できることなら、「猫、一日体験」をしてみたい。
猫になってみたい
そんな願望、わたしだけ^^?
なぜネコなのか
なぜ、犬でも、鳥でも、猿でもなく、ネコなのか。
それは、たぶん、、、
〇どんなにわがままでも
〇ツンデレでも
〇いたずらしても
〇寝ているだけでも
〇食べているだけでも
〇ぼーっとしているだけでも
〇遊んでいるだけでも
〇大人だろうが子供だろうが
〇機嫌が悪くても、、、
ただいるだけで、「かわいい~♡」と、多くの人に愛されているイメージが強いからかもしれない。
もちろん、ネコ嫌いな人もたくさんいると思いますが、ネコ好きな人のその愛情といっ大層なものじゃないでしょうか。
わんちゃんの場合は、なんとなく、ご主人様に忠実で、愛されるべく努力をしている感があり、愛されて当然といった「すごくいい子」なイメージがあります。
鳥は、大空を飛べて自由なイメージはありますが、「みんなに愛される」という観点から考えると、それほど、ちやほやされる存在でもないというイメージ。
「勝手に大空を舞っててちょうだい」、という感じでしょうか。
動物園に行った時にそれは結構感じて、野鳥のセクションは、サラーっと通り過ぎる感じで、下手すりゃスルーされる場合も・・・。
実際、わたしがそうなので。。。
勝手な想像ですが、マジョリティの人は、それほど、「わぁ~♡」と、テンションが上がるほど見てみたい、触れてみたい、という存在ではないように思います。
猿の場合は、なんだか、人間以上に上下関係が厳しく競争も激しそうだし、下手すりゃ自由にごはんにもありつけないリスクがあって、生きていくのに大変なイメージ。
ザ・サバイバル、ってな感じ。
コアラは、あまりに人気もの過ぎて、人間が鑑賞するために働く感があって、それ以外は、食べて寝るだけ(もう、ほっといて)みたいな・・・。
カピバラは、ぼ~っとしているのが仕事、みたいな感じで、冬には温泉にも入れてもらえる、ある意味うらやましい存在ではあるのですが、あんまり活発に遊んでいる様子はみたことなく・・・。
ゾウも人気ものだけど、あまりに体が大きすぎて、それこそ活発に遊ぶイメージがないです。
動物園でみる動物は、生きていく上では楽かもしれないけど、やっぱり、どこか自由度に欠けるイメージ。
ネコちゃんは、飼いネコでも、野生のネコでも、なんだか自由そうだし、食べものにも、それほど不自由するようなイメージがなく、なんとなくですが、気楽で楽しそうなイメージ。
わたしの個人的な勝手な妄想ですが、そんなイメージなのです。
ネコになれたら(願望)
なにより、、、
「かわいい~♡」って、無条件でちやほやされてみたい^^
特に若い男女に。
ちやほやされたら、たぶん、調子にのって、いろんなポーズ決めてしまうかもしれない。
でも、そんなポーズを決めるネコって、、、たぶん、人気ないでしょうねぇ。
今までの人生で、モテて、モテって困っちゃう~♡といった経験は皆無なので、一度ぐらい、老若男女問わず、モテてみたい笑
できることなら、素敵なご主人様に飼われて、ほどほどに一緒にいてくれて、ほどほどに遊んでくれて、ほどほどにほっといてくれる人(←ここ大事)と一緒にいたい笑
好きな時に、隣に座って、一緒にご飯たべたり、一緒に映画見たり、一緒に遊んだり。
チュールを自動給餌してくれて、好きな時に食べられる環境があれば、もう最高♬
ネコになれたら(困ること)
ネコだから、、、、
嫌でも、嫌って言えない・・・。
一番嫌なのが、かぶりもの。
たまに見る、変なかぶりものかぶらされているネコちゃん。
お気の毒さまぁ・・・と思ってしまいます。
自分が着たくない服を着せられるのも嫌。
お願いだから、ありのままでいさせてって思っちゃう。
必要以上にかまわれるのも嫌。
しゃべれないのが辛いところ。
好き=赤ボタン
嫌い=青ボタン
お腹空いた~黄色ボタン
ほっといて=緑ボタン
かまって=白ボタン
など、ボタン押しで意思表示ができたら、楽かも^^
でも結局は、、、
ネコも、思ったほど自由でもなさそう^^;
だって、好きなものを食べたい時に、食べたい分だけ食べれないし、上手く気持ちを主張できないし、行きたいところにも行くにしても、限度がありそうだから。
よくよく考えてみると、今の自分は、ネコ以上に自由で気ままなのでした。
もちろん、めんどくさいこと、嫌だなあ~ってことも、いろいろたくさんあるのだけれど、基本的には自分の意志で、なんでも好きなようにできるのだから、
〇気ままに生きる
〇自由でいる
この2点については、ネコよりはるかに上をいっている気がしてきた。
1点だけ得られないのが、
〇無条件で愛される、ちやほやされる
ということ。
それは、ネコには敵わないし、ネコに対抗できるとしたら、それは赤ちゃんぐらいでしょうか。
赤ちゃんは、どんなにブサイクな見てくれであったとしても、無条件に可愛い。
逆に、ブサイクなほうが、可愛かったりする。
でも、赤ちゃんもネコちゃんと一緒で、一見「かわいい」って愛される存在ではあるけれど、しゃべれないし、自分の意志を上手く伝えられない不自由さ、そして無力さがあります。
赤ちゃんは、守られなければ生きられない存在。
時には、意思の疎通ができないからこそ、無残な扱いをされてしまうことも。
そう考えると、、、ネコちゃんも赤ちゃんも、どこか「神聖な生きもの」であるからこそ無条件に愛される存在であり、そして、ネコちゃんは、思ったより、自由なようで自由ではないかもしれない。
そして、わたしは結局、ネコちゃんにはなってみたいとは思うものの、やぱっぱり、今の人間である自分が一番いいと、再認識したのでありました。
「隣の芝は青い」ってことですね。
今自分を大事に生きよう♪
それでは、みなさま、have a nice day!
byちびまる