空飛ぶちびまる (自由気ままに)

おひとり様女子のエッセイ

MENU

日本人として生きるという選択

スポンサーリンク

広告

f:id:globalcat:20201028125432j:plain

画像:photoAC熊澤充さん

わたしは、日本を出て海外で生活するまでは、日本人として生まれたこと、日本人として生きること、自分の国籍について、あまり考えたことはありませんでした。

 

たぶんそれは、日本が島国であり、人口のほとんどが日本で生まれた日本人であり、自分の周囲の人達も、わたしと同じ日本人しかいなかったからだと思います。

 

わたしが、自分を日本人としてのIDを強く意識するようになったのは、オーストラリアに外国人として、長く住んだ経験をしてからです。

 

 

雑多な人種の中で生きる心地よさ


わたしが長く住んだオーストラリアは移民大国です。

 

ご近所の人、毎朝同じバスに乗る乗客の顔ぶれ、街を歩く時にすれ違う人たち、職場の同僚も含めて、肌の色も違う、装いも違う、顔立ちも違う、話す言葉も違う、生活習慣も違います。

 

もちろん、オーストラリアは英語圏なので、みんな英語を話しますが、それぞれのネイティブ言語が異なりますので、耳に入ってくる言葉は、いろんな言語が入り混じります。

 

わたしは、日本人だけの環境よりも、雑多な人種の中で生きるほうが心地よく、ほっとします。

 

だから、11年という長い年月を、シドニーで過ごすことができたのかなとも思います。

なぜ、心地が良いのか。

 

たぶんそれは、わたしは「集団」でいるよりも、「個」でいるほうが、気が楽というか、心地よいからだと思います。

 

だから、雑多な中に、ポツンとひとり、自分が存在していても、気にならないし、逆に心地がいいのです。

 

自由な気持ちになります。

 

自由な一方、もちろん、孤独も感じます

 

でもその孤独が、わたしにとっては、個としての自分の存在と価値をより意識しやすいのです。

 

自分というID (Identity) を感じやすいのです。

 

だから、例えいろんな人種がいる輪の中で、日本人が私だけ、という環境でも寂しさや居心地の悪さは感じません。

 

「日本人」という私の国籍は、わたしの一部であり、全てではありません。

 

偶然、わたしは日本人として生まれた、ただそれだけのことです。

 

日本人でいるのか、オーストラリア人になるのか


現在の私の居住地は日本です。

 

7年前に仕事の都合で帰国しました。

 

日本での暮らしを選んだので、永住権は放棄しましたが、わたしは数年前まで、オーストラリアの永住権を持っていました。

 

オーストラリアの永住権を放棄するのは、とても勇気が要りました

 

理由は、11年住んだシドニーはわたしの故郷であり、シドニーでの居住権を失うというのは、怖くもあり、寂しくもありました。

 

わたしが幼少期から大人になるまで、20年近く時間を過ごした町が他にありますが、どういう訳か、わたしは、その町には、特別な思いも感情もありません。

 

でも、シドニーは、わたしにとっては、本当の意味での自我の目覚めをした場所であり、そこでの思い出には多くの感情が存在します。

 

わたしは、シドニーで暮らしている時には、わたしはずっとこの町で生きていくのだと、信じていました。

 

でも、人生とは不思議なものですね。

 

どんなにその時、強く感じて信じてやまないことであっても、時の経過とともに、自分の選択や優先順位は変わってきます。

 

シドニーから日本へ一時帰国をする際に、「君は、なんで、オーストラリアパスポートを取らないの?」と、何度か、出国審査官に聞かれました。

 

オーストラリア国内で生きている分には、永住権を持って外国人として生きるのと、オーストラリア人(オーストラリア国籍)として生きていくのと、生活面での条件には大差はありません。

 

市民権=選挙権を持てるか否かぐらいです。

 

二重国籍が認められている国の人達は、オーストラリアパスポートを取得できます。

 

でも、残念ながら日本では、二重国籍が認められていません

 

また、オーストラリアの永住権は、5年国を離れ、5年以内に2年以上はオーストラリアに居住しなければ、永住権は失効します。

 

オーストラリアのパスポートを取得することは、日本の国籍を捨てることと同じです。

 

わたしは、日本人であることを捨てることができませんでしたし、永住権維持のために、今の生活を変えるというのもできませんでした。

 

苦渋の決断で、オーストラリアの永住権を放棄しました。

 

日本人であること、日本の国籍はわたしの一部であり、偶然与えられたIDではあっても、自分が産まれた国を捨て、自分を育ててくれた両親と違う国籍を持つというのは、とても勇気のいることであるし、わたしは、日本人であることを選択しました。

 

外に出たから分かった、日本の素晴らしさ


わたしは、どちらかというと、日本人だけの社会で生きるよりも、多国籍文化の中で生きるほうが、心地よさを感じますが、一方で、日本が大好きですし、日本人も好きです。

 

また、自分が日本人であることにも、誇りを持って生きています。

 

わたしは、長期的に日本から外に出て、異国での生活を経験することにより、あらためて日本という国の美しさ、日本文化や日本人の素晴らしさを実感しました。

 

仕事ではありますが、いろいろな国や都市を訪れて、シドニーという美しい街にも住んで、今の私が感じていること、それは、日本にずっと住みたい、ということです。

 

わたしは今の暮らしが好きです。

 

細かいことは置いておいて、わたしは、総合的に、日本という国は、他のどこの国や町とも似ておらず、非常にユニークな国であり、奥深い国であると感じています。

 

また、日本人の親切心や、相手を思いやる気持ちや、強い団結力、きめ細やかなサービス、新しいことを生み出す工夫、匠の技など、とても素晴らしいと思っています。

 

シドニーでの生活が間もない頃、わたしは中央駅の構内で地図をみていました。

 

道に迷ってしまいました。

 

方向音痴のわたしは、地図をみてもなかなか目的地にたどり着けないという、ひどい方向音痴なのですが、わたしが、地図をずっとみていると、ひとりの年老いた紳士が、わたしに声をかけてくれて、道案内をしてくれました。

 

その紳士は、ずっと昔に日本に出張に行った際に、日本人にとても親切にしてもらったことに感動し、自分の自国で困っている人がいたら、自分も必ず、助けようと思っていたそうです。

 

その助けた相手が日本人(わたし)ということで、恩返しができたようで嬉しいと、とても喜んでくれました。

 

このように、日本や日本人の素晴らしさというのは、感動を与えられ、人々の行動に影響を与えることができるのです。

 

わたしも、日本にいようが、異国にいようが、親切な人でありたいと思います。

 

日本人としての誇りをもって^^

 

byちびまる