画像:PhotoAC:ハピネスさん
スーパーマーケットも3密規制の対象に
最近の話題は、小池知事の「お買い物は3日に1度にしてください」という呼びかけ。
確かに、スーパーマーケットに行くと、レジは行列、狭い通路に所狭しと人がいますね。
外食もダメ、公園もダメ、ビーチもダメと、とにかく、Stay Homeと呼び掛ける政府。
そうすることが大事だとわかっていても、食料品の買い物だけは行かなくちゃ、と誰しも思います。
だけど、スーパーマーケットも人が密集となると、スーパーに行くのもなるべく避けて、という状況に。
呼び掛けの意図を考えると、わからないでもないし、ごもっとも。
だけど習慣というのは、なかなか変えられないもので、人の動きは止まらない。
命を救うのが最優先、そのために皆さん我慢しましょう、という正論はきっとみんなわかっている。
だけれでも、きっと、人それぞれ、毎日買い物に出かけなければならない、出かけてしまうという心理を止められず、「3日に1度になんてでなーい!」と叫ぶ人も。
毎日買い物に行く人の心理と理由
おそらく、それぞれ個々人のさまざまな生活の背景と事情があり、そうしてしまう心理というものがあるのではと察します。
特に毎日、朝・昼・晩と家族の食事の支度をしなければならないお母さんたちは大変でしょう。
ひとり暮らしのわたしのそれとは、責任も負担も、全然違うことと思います。
いろんな理由があるかと思いますが、それでも、きっと、本当はできないはずはないのだろうけど、「大変」という気持ちが先にきてしまうのが現実なのでしょう。
他の国のように、罰金を取られるなど処罰の対象にならない限り、その「大変」という思いを超える危機感は生まれない、というのが現実なのでは、と思います。
毎日買い物に行く習慣がある人
わたしの母を例にあげると、毎日買い物に行く人の心理として、その人のこれまでの生活習慣が大きく起因しているとも考えられます。
わたしの母は、
〇買い置きをしない
〇作り置きをしない
〇余り物を食べない
という生活習慣があります。
毎日、午前中に1回お昼ご飯の買い出し、午後に1回夕飯の買い出しにスーパーに行くので、1日1回どころか2回も行く人なのです。
なぜに2回も!と思うのですが、たまに帰省し母の行動パターンなどを見ていると、母なりの生活リズムがあり、ルーチンがあり、洗濯や掃除、食事の支度と同じく、お買い物という行為が生活習慣に組み込まれています。
母に毎週電話をかけて、なんだかんだといろいろ話をするのですが、「これを機に作り置きとかすれば~?」というと、
「そんなの嫌よ、だって、どうやっていいかわからないもーん」というのです。
母の能力を考えると、わからないはずがない、できないはずがないのです。
だって、例えばですが、ばぁーちゃん家の土地の権利でもめたとき、父方の親族誰一人解決できなかった問題を、わたしの母は司法書士を巧みに使って、見知らぬ他人が持っていた利権を返してもらうために自ら交渉し、利権を取り戻したのですから。
やろうと思えば、そういうことができる人が、毎日の食べ物の作り置きのやり方がわからないはずがないのです。
わたしが推測するに、
〇ルーチンを変えるのがイヤ
〇作り置きなんてしたくない
という、本人が「やりたがらないだけ」なんです。
例えばですが、大きな危険が迫っているから外出は1週間禁止となれば、命の危険を察することで、ルーチンを変えるのがイヤというバリアは崩れ、すぐさま「安全」を選択すると思うのです。
だけど、今、COVID-19の問題に関してはやらないということは、心のどこかで「ルーチンを変えるほどの事柄ではない」と思っているから、やらないのだと思います。
長年の習慣を変えるには、その人の大きな意志が必要になります。
大きな意志が存在しなければ、人が習慣を変えることはまず難しいでしょう。
重大さへのアンテナの違い
あたり前ですが、人は、物事の重大さを、自身の物差しや天秤で判断します。
COVID-19は世界で大変なことになっているとはいえ、やはり、身内や身近な周りの人が重篤になったり、死亡したりしない限り、なかなか自分事として考えられないもの。
痛みを伴わないので、どこか「他人事」と思ってしまうところがあると思います。
わたし自身も、実際にCOVID-19を自身の体を通じて痛みを感じているわけではないので、どこか「他人事」と思ってしまっている感は否めません(ダメとは思いつつ)。
どれだけ、社会全体の問題を自分事として、最大限できることを考え、努力をすることができるか否かで、人としての真価が問われるのだろうと考えています。
社会全体の重大なこととして、そして自身の大切な人々も関わる大きな問題として、COVID-19問題を捉えることができれば、何かしら自身の習慣とルーチンを変える努力ぐらいはできるはず。
個々人が社会を支えているので、個々人の判断と行動により、日本国民全体の社会的な評価も決まってくるのだと思います。
国家の強制力がなくても自身で考え行動し、社会を救える国民か否かを問われるCOVID-19問題。
それができるかどうかは、個々人の意思来次第ですね。
1週間に1度の買い物が習慣のわたし
わたしは、母とは真逆で、食材の買い出しは、毎日どころか、3日に1度も行かない、1週間に1度というのが長年の習慣です。
もちろん、ちょこちょこと、コンビニ行ってお菓子を買ったりはしてしまのですが。
海外生活が長かったわたしは、スーパーでの買い物と言えば、大きなトローリー(大きなかごを押すやつ)、ショッピングカートと言えばわかりやすいでしょうか、それに1週間分の買い物をするという印象があります。
当時はパートナーがいましたので、二人で週末にスーパーにいって買い出しをするというのが習慣でした。
海外の食品は、何もかもがビッグサイズ(;'∀')
そもそも、一日で消費できる量ではないものが多い。
食事スタイルも日本と大きく異なって、大皿にボンっ!と肉と野菜を盛り付けるだけのシンプルなものが多く、何品も作ることはありません。
肉も焼くだけ、野菜は生のまま、もしくはオーブンで焼くだけと、とてもシンプルな調理が多かったように思います。
〇焼くだけ
〇煮るだけ
〇混ぜるだけ
〇そのまま食べる
というお料理が圧倒的に多い。
日本のように毎日、毎食食べるものを変えることはせず、比較的決まったものを食べる傾向にあり、それも生のニンジン、セロリなどの野菜や、リンゴやナシなどのフルーツをそのままかじるような食生活なので、あれこれ食材を買ってきてお料理するという習慣があまりなかった記憶です。
食べるものと言えば、
〇ベジマイトトースト
〇ローストチキン・野菜
〇茹でたエビと白身魚のソテー
〇ステーキとポテト
〇シリアルと牛乳
〇フルーツ
というのがパターンだった気がします・・・。
時々、街角の
〇インドカレー
〇ピザ屋
〇ミートパイ屋
〇中華のお弁当
〇フィッシュ&チップスなど
をテイクアウトして食べたりしてました。
それにお酒さえあればOKといった毎日。
子供たちのランチボックスも簡単なもので、ベジマイトとチーズ、ピーナツバターやジャムが塗ってあるだけのサンドイッチ、それとリンゴやバナナだけ、みたいな感じでした。
よく言えば、シンプルで自然の素材をそのまま食べる国民性ですが、悪く言えば、食に関しては、何の工夫もしないで食べるLazy (レイジー:怠け者)な国民性でしたので、それによくも悪くも染まったわたし。
長年の海外生活のお買い物習慣がそのまんまのわたしは、
〇買うものはいつも一緒
〇作るものもほとんど一緒
〇作り置き・冷凍保存
という生活なので、そういった食生活習慣があるわたしのとっては、
「3日に1度と言わず、1週間に1度でもいいんじゃない?」
と思ってしまうのです。
粗食で良いではないか?
サンデージャポンで、テリーさんも「粗食でいいでしょ」と、おっしゃってましたが、こういったときは、何も、毎食お料理しなくても、そして何品も作らなくてもいいんじゃないの?とわたしも思うところはあります。
子供がいるご家庭は、いろんな意味で「そんなのムリ」と思う人も多いかもしれませんが、ある意味「今は戦時中」と考えれば、
子供たちにも、「ウイルス(宇宙の悪者)との戦いなの」と言い聞かせ、おうちにあるものを食べる、ということはできないだろうかなど、勝手な妄想もしてしまうわたしなのですが、育ち盛りの元気いっぱいの子供たちには、やっぱり難しいのかな(;'∀')
都会の場合は車で買い物ではなく、徒歩や自転車で買い物で、たくさん持って帰れないという問題も大きいのかもしれないですね。
子供を育てるご家庭は別として、たとえば、1人暮らしのひと、夫婦2人暮らしの人などは、意識の持ちようで工夫はできるのではないかと思います。
逆に、毎日お買い物にいって、毎日1食分だけ作って、、、なんて、わたしには到底できません('◇')ゞ
日本での生活は、良い意味でも悪い意味でも便利過ぎて、恵まれすぎている環境なのかもしれないですね。
いずれにしても、なんとか日本、いや世界中のコロナ終息を願ってやみません。
それでは、今日も一日元気に明るく!
have a nice day
by ちびまる