空飛ぶちびまる (自由気ままに)

おひとり様女子のエッセイ

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母の終活ノートと向き合う新年

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画像:photoACクリエイター:チョコラテさんキャンドル

人生の幕引き

 

人は『おぎゃ~っ!』と生まれた瞬間に人生のろうそくの火が灯され、その時点から時を刻みながら死に向かい生きていきます

 

よくよく考えると、生命って不思議

 

生まれる前は『生に向かって』細胞分裂し形となって出てくる準備。

 

生まれた瞬間、『育っていく』とともに、確実に『死に向かって時を刻む』のは誰しも平等に与えられた宿命であり事実

 

この事実からは、誰も逃れられない。

 

だからこそ『怖い』とも思うし、『安心』という一面もあるのだと思います。

 

人は自分に関係のある人の死を悼み悲しみ、『尊いもの』として感じます。

 

身近な人であればあるほど、心が近ければ近いほど、その悲しみは深いもの

 

わたしは凡人なので、多くの人と同じように、きっと感じるはず。

 

いつも当たり前のように近くにいる人の死を意識するというのは、とても複雑な心境ではありますが、早かれ遅かれ、どこかの時点で『さようなら』をしなければなりません。

 

去る方も、去られる方も、覚悟を決めて、『永遠のさようならに備える』というのは、とても大切なことかもしれないなと思う今日この頃。

 

自分の人生の幕を閉じる準備をしておくというのは、何も年老いてからでなくても、いつでも良いのかもしれません。

 

だって、人はいつ、どこで、どんな状況に置かれ、

 

人生の幕を閉じるかなんて、誰にもわからないし、

 

若くても、年老いていても、人が人生の幕を閉じるタイミングは人それぞれ

 

いつ、どの時点で、自分の人生の幕が運命によって閉じられても、悔いのない人生を送りたいものです。

 

わたしの母

 

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画像:photoACクリエイター:momokaphotoさん

 

わたしの母は今年で73歳

 

わたしの父も同じく今年で73歳。

 

わたしの母は、23歳で父と結婚し、父と50年間連れ添い、夫婦として生きてきました。

 

50年って、、、

 

わたしが生きている時間よりも長い(^-^;

 

『お父さんと結婚したのが人生最大の失敗』と平気で娘に言う母親ですが、

 

口は悪くても、母性本能が強く、献身的

 

いつ時でも、『自分のことより他人を思いやる優しい人』なのです。

 

確かに娘であるわたしからみても、わたしの母の苦労は絶えない

 

わたしの母は、40代でわたしの父が倒れて以来、父の分まで働き、食べ盛りの私たちを育てながら、家計を支えてきました。

 

その間、20年間も祖母の介護をしてきました。

 

やっと祖母が逝って、自由の身になれたかと思いきや、その直後に父が再度倒れ、父の介護が始まりました。

 

他人のために、いつも、いつも、働いてきた母。

 

昨年、父が介護4にて施設に入り、やっと自由の身になることができました。

 

72歳でやっと、です。

 

せっかく自由の身になれたのに、それでも毎日病院に通う母

 

父のごはんの時間に寄り添い、ご飯を食べるのを手伝い、

 

父が退屈しないようにとラジオやら、テレビやらをセットする母。

 

床ずれしないように、お尻の下に枕を入れたり、

 

寒くないように、頭からネックウオーマーをかぶせたり、

 

風邪をひかないように、除菌シートで父の手を拭いたり、、、

 

挙句の果てに、同じ病室の他のじいさんの具合にも気をかけ、

 

たくさんの人々を、ついつい、お世話してしまう母。

 

どこまで献身的で、他人に人生を捧げる人なのだろうと、娘ながら感心します。

 

どこから見ても、太ったおばさんですが、『ナイチンゲール』に見えてきます。

 

わたしの母は、もともと社長令嬢でお手伝いさん3人に育てられたというお嬢様育ち。

 

戦後間もない時代に、洋服は全て、生地選びからのオーダーメイドだったそう。

 

そんなお嬢様な母ですが、一方で野生的な一面もあり、

 

〇木登り大好き

〇ケンカも強い

〇棒持って歩く

 

まるで、ジャイアンのような女の子だったそうです。

 

小学生でも、夜遅くまで男の子を連れて、棒を振り回してほっつき歩いていたらしいです。

 

若かりし頃美人だった母は、モテモテだったのに、なぜか『うだつの上がらないサラリーマンの父』と恋に落ち、祖母の反対を押し切って結婚。

 

父と結婚し東京から田舎に移住した後も、どんな境遇であろうとも、

 

〇明るく

〇元気に

〇楽しく

〇前向きに

 

生きてきた母の姿には、感動すら覚えます。

 

どんな時でも『ラッキー♪』と考える人なのです。

 

少なからず、わたしは母のDNAを引き継いでいるので、前向きなところは、母譲りかもしれません。

 

話を聞く限り、結構、辛い思いもしてきただろうに、

 

そんな苦労はなんのその、持ち前の逞しさで気丈に乗り切ってきたのでしょう。

 

母から後ろ向きな言葉を、聞いたことがありません。

 

わたし自身は、生まれ育った町(実家がある町)は退屈過ぎて、故郷を捨ててきた人間です。

 

でも、母は大都会からど田舎に来たにもかかわらず、何にもない田舎で、

 

友達もたくさん作って、自分なりに楽しみをたくさん見つけて『最高~♪』って、いつも楽しそうに生きています。

 

母は『とても賢い人』なのだと思います。

 

わたしの母は、テレビひとつでMAX楽しめる人なのです。

 

野球、マラソン、ゴルフ、相撲、フィギアスケート、駅伝、サッカー、スポーツなら何でも好きですし、

 

音楽もクラッシックからポップスまで、アイドルだって大好きです。

 

テレビや週刊誌に、

 

〇キムタク

〇剛ひろみ

〇美輪明宏など

 

自分が好き💓と思った被写体をすぐに写メを撮る母。

 

被写体のチョイスには若干『?』と思うところもありますが、

 

母が『これはいい!』と思ったものは、とにかく何でも写メを取り縁起を担ぐのです。

 

『縁起良さそう!』と思った被写体を見つけたら、すぐにガラケーで写メを取り、待ち受け画面にしてウキウキしているのです。

 

前に走っている車のプレート番号が、11-11とか、スーパーで買い物したレシートが2,222円など語呂が良いだけでも、『きゃ~っ♪』って、大喜びする人なのです。

 

何を食べに行っても、どこに遊びに行っても、めちゃ美味しい、すっごく良いとこ、最高~♪って、『何事も大絶賛!』する人なのです。

 

そんな風にいつも楽しく、前向きに生きている母ですが、

 

『お父さんが生きている間は死ねないわね』でも、『そんなに長く生きたいとも思わない』と言います。

 

『いつ死んでもいい』って思っているようですが、『お父さんを置いていったら、迷惑がかかる』

 

だから、『お父さんも、一緒にあの世に連れていく』という、

 

自分が死んだ後先のことさえも、『他人に迷惑がかからないように』と気遣いができる人なのです。

 

『お父さんと一緒に居たいから』というのではなく、『迷惑をかけたくないから』というのが大きな理由みたいです。

 

そして、わたしの母は、とってもルーチンな人。

 

起きる時間も、買い物に行く時間も、食べる時間もほぼ毎日一緒です。

 

そして父のお世話をすることを中心に、何事も考えています。

 

親子なのに、わたしと母はある意味、真逆。

 

わたしは母のように、他人に献身的にはなれない。

 

わたしは、他人よりも自分を優先してしまう。

 

でも、母は自分よりも『他人の気持ちを優先』して生きています。

 

そんな母には、どうか余生を思い存分楽しんで、好きなように時間を過ごしてほしいと願います。

 

わたしが実家に帰るのは年に一度

 

母に会うのも年に一度。

 

今年73歳と考えると、80歳まで生きると仮定した場合、母に会えるのはあと7回。

 

『10回もない』かもしれない、と思うと、やはり年に一度の帰省は、なるべく

 

〇長く実家に滞在し

〇母とたくさん時間を共有し

〇母にたくさん贈り物をして

 

たくさん話をして、たくさん笑って、楽しい時間を一緒に過ごしたいと思います。

 

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そんなことを考えながら実家で時間を過ごしていると、母にたくさん贈り物を買ったところで、わたしの気持ちはなかなか満たされない。

 

『足りない』と思ってしまうのです。

 

父との時間も大切ですが、母は、わたしにとって特別です。

 

男前で、情に厚く、たくましく、さっぱりした性格で、心優しいわたしの母。

 

わたしの中では、『生きていてくれるだけで、安心できるのが母の存在』なのです。

 

毎週土曜日19時に必ず母に電話します。

 

なるべく話をしたいから、そして、

 

なるべく心配をかけずにいたいから、

 

そして、何より、母の元気な声を聞くだけで元気がでるものですから、

 

わたしは、毎週母に電話をかけます。

 

特に、何の用がなくても。

 

娘としては、できる限り長生きして欲しい。

 

そして、勝手ながらも、わたしを残して、あの世に行かないでと願ってしまうのです。

 

何歳になろうが、いつまでたっても、わたしは母の子供なのです。

 

いつまでも、ずっと、ずっと、ただただ、その存在に甘えていたい。

 

母の存在は偉大です。

 

母の終活ノート

 

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画像:photACクリエイター:キイロイトリさん
 

あっけらかんと見せられた『母の終活ノート』

 

お友達から終活ノートをもらったらしいのです。

 

『自分もいつ死ぬかわからない』と思ったようで、終活ノートには事細かに書かれていました。

 

〇葬儀は簡素に

〇銀行情報

〇年金情報

〇大切なお友達

〇母の生い立ち

〇母の思い出

〇母の好きなこと、など

 

自身が亡くなった後に、わたしと兄が困らないようにと、2歩も3歩も先回りして、考えられた情報が記されていました。

 

なんとも『母らしい』と思った次第です。

 

自分自身でも、老いを感じてきているのでしょう。

 

動きを見ている限りでは、それほど違いは感じませんが、以前よりも、

 

〇耳が遠くなった

〇同じ話を何度もする

〇忘れっぽくなった

〇理解度が落ちた

 

など、年に一度だけ母に会うわたしも、母の老いを感じるところは多々あります。

 

ある程度、自分がしっかりと認識できる間に、子供たちに大事なことは伝えておこう、『困らないように準備をしておこう』という潔さには、母の品位と気遣いを感じます。

 

今すぐどうこう、というわけでもないですが、でも、そろそろ、そういう時期『死期を意識する時』なのかなと、感じさせられました。

 

母は中学時代のお友達とも50年以上の月日をかけて、年賀状のやり取りをしてきており、今体が動くうちに、会いに行こうとしています。

 

『大切な人たちに、ちゃんと会っておく』

 

そして、我が人生に思い残すことがないように、着々と準備して動いているわたしの母。

 

娘としては、やはり複雑というか、なんとも言えぬ寂しさがあります。

 

わたしの終活準備

 

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わたしは40代なので、終活はまだ早いと言われそうですが、世界中を仕事で飛び回り、いつどこで、事故やトラブルに見舞われるか、わからない身です。

 

わたし自身、『終活の準備』をしておいても良いかなと、母をみていて思いました。

 

人はいつ、どこで、『人生の幕引きをするかわからない』ことを考えると、やはり『今が大事』と思うのです。

 

もちろん、わたしがこの世を去った時に、周囲が困らないよう段取りは必要として、

 

それよりも大事なことは、『やりたいと思ったことは、今やる』ということ。

 

明日が必ず来るとは限らない。

 

それは、わたしに限らずだれでも。

 

そう思うと、日々を

 

〇いつも明るく

〇いつも元気に

〇いつも前向きに

〇感謝を忘れずに

 

生きたほうがいい。

 

『後ろ向きになったり、落ち込んでる暇はない』と思うのです。

 

今の自分ができることを、とにかく精一杯やる。

 

そして、できる限り笑顔で、楽しく、健やかに生きる。

 

そうすることで、たとえ自身のろうそくが短い運命だったとしても、

 

その一生は輝いて、

 

充実した内容の濃いものになって、

 

ピカっと輝くお星さま☆彡になれるかもしれない。

 

とにかく、後より、先より、今が大事。

 

今を大切に、精一杯生きよう。

 

母の終活ノートから、パワーをもらえた新年でした^^

 

『お母さん、いつも、ありがとう』

 

そして、

 

『これからも、よろしく♪』

 

では、みなさまhave a nice day

 

By ちびまる