画像:photoACハットさん
久しぶりの大地震
2011年3月11日。
忘れてはいけない未曽有の大震災。
10年前のその時、幸い家も家族も無事でしたが、わたしの実家がある地域は、津波や原発の影響を受け、わたしの家族も避難民となり、何かと大変な経験をしました。
10年前のその大震災を思いださせる大地震がまた、つい先日、起こりました。
わたしが住んでいる地域は震度4で、それでも、ビビってしまうほどの大揺れで、ひとりベッドの中で、身構えてましたが、幸い特にこれといった被害はでず。
心配になって、テレビをつけると、またもや、実家あたりが震度6とあり、心配で母に電話しました。
母の携帯に何度かけても、出ない。
10年前と一緒。
ふっと不安がよぎり、兄の携帯に電話をかけると、3コールぐらいで出たので、「大丈夫???」と聞くと、「うん、大丈夫だよー」と、のんきな声で応答する兄。
「お母さんに電話かけたけど、まったくでないんだけど」と言うと、「ちょっと、待ってねー。おふくろー、〇〇が心配して電話してきたんだけど、何、寝てんのぉ?」
と、母の寝室に行き確認している兄の声。
「え、まじ?、寝てたの、こんな、大地震の最中で?」
どうやら、うちの母は、震度6弱という大揺れの中、うとうとと、ベッドで普通に寝てたらしい^^;
いったい、、、どんな神経しているのだろう、、、と娘ながら思いました。
どうやら携帯は茶の間に置きっぱなしで、寝室でふすまを閉めて寝てたので、電話の音には気がつかなったたらしい。
それにしても、、、
震度6弱ですよ、普通、びっくりして、起きるでしょう。
そして、同居人の兄も、声をかけるでしょう、普通は。
なのに、うちの母と兄と言えば、何事もなかったように、そのまま自分のお部屋で普通に寝てたという。。。
母の部屋のタンスの引き出しは、全部飛び出ていたというのに、、、
母の部屋のすぐ目の前にある台所では、食器棚からどんぶりから何から、ぜーんぶ食器が落ちて割れているというのに、、、
普通に、ベッドで寝たまんまだったという。
次の日、母と改めて電話で話をしてみると、朝起きて、着信の多さにびっくりしたーというのです。
そりゃそうでしょう、だって、出ないんだもん。
そして、「あー地震だなぁ、とは思ったけど、揺れてるなぁ~って思うだけで、ベッドの上で、激しいメリーゴーランドに乗っているような気分だったわよー。」ですって。
母曰く、「10年前から結構大きめの余震があるし、ニュースではこの余震が100年は続くというし、イチイチ驚いてられない。」だそうです。
また、海岸から10km以上離れてるし、10年前の大地震でもびくともしなかった、鉄筋コンクリートの住居2Fだし、そうそう、大惨事にはならないであろうと、考えていたようです。
まぁ、ロジカルシンキングと言えばそうだけど、そして、「こういう時こそ冷静に」というのもあるんだけど、もうちっと、おろおろするものでは^^;?
ある意味、腹くくって生きているというか、肝っ玉がすわっているのでしょう。
逞しい母にあっぱれ!です。
何があっても逞しく生きる
そんな母の様子をうかがって、何があっても逞しく生きることの大切さをあらためて学んだのでした。
うちの母は、10代は超お嬢様お金持ち育ち、20代は天海祐希に美人OLでちやほやされ、いけいけの青春時代を過ごしましたが、父と出会ったことで運命が大きく狂い!?、その後、苦労の連続で、大変な30代~70代を逞しく生き延びてきました。
そんな試練の果て、母は、とてつもないサバイバル能力を身につけ、逞しい田舎のおばちゃんに成長しました。
どんなに辛いことがあっても、おっきな声で、げらげら笑って、前向きに明るく、逞しく健康に生きてる母を見ていると、負けてはいられない、と思うのです。
少なくとも、わたしのは同じ血が流れているのだから、わたしも、母のように、将来何が起こったとしても、逞しく生き延びてやると、心に誓ったのでした。
大震災で、わたしには想像できないほど、辛い思いをされている方がたくさんいらっしゃると思います。
その同じ痛みをわかってあげることはできなくても、笑顔で明るく生きる姿を見せることで、勇気づけられることもあるのではないかと、思っています。
それでは、みなさま have a nice day
by ちびまる