空飛ぶちびまる (自由気ままに)

おひとり様女子のエッセイ

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2024年の幕開け!50歳お一人様女子 新年の抱負を決める。まずは「こう在りたい」というイメージを固める。

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どうしても見たい初日の出

 

毎年、大晦日にそわそわすること。

 

「初日の出、見に行きたい」という欲が出てきて止まらないわたし。

 

大晦日は決まって実家の茶の間で、こたつに入りながら、ゴロゴロしながら、お菓子も一杯食べながら、にぎやかなテレビをダラダラ見て過ごしているわたしなのですが、大晦日の午後当たりになってくると、「初日の出、どうやって見に行こうか」と思いを巡らせソワソワし始めます。

 

昨年は元旦チャレンジにて、初日の出を見るために、真っ暗闇で極寒の中ひとり、海岸までひたすら歩くということをしたのですが、帰りはあまりの寒さと疲れにて、母に迎えに来てもらって、母は元旦早々大迷惑!にて、今年は「早朝歩くのは勘弁してね」とくぎを刺されることに。

 

www.soratobu-chibimaru.com


今年は、幸運にも兄が仕事がお休みにて、「俺が乗っけて行ってあげるよ」と、ありがたい提案を受け、兄のおかげで今年も海岸にて初日の出を拝むことができました。

 

海岸で目にする初日の出は、特別な感情が湧き出てきます。

 

なんというか、薄暗い夜明け前に家を出て、海岸に向かう途中に少しずつ空が明るくなってきて、寒い中、海を眺めながらお日様が顔を出すのを待って、少しずつ、少しずつ、顔を出し始めて、数分の間に、瞬く間にものすごい光を放つ太陽が、まわり一杯オレンジ色に染めるあの瞬間、すごく好きです。

 

特に何かを強く願うとか、心に決めて出かけるわけではないのですが、それでも、あの力強い太陽の光を目に焼き付け、包まれる瞬間というのは、なんとも言えない気持ちになり、エネルギーをもらうことができます。

 

今年の元旦は、水平線に重たく暗い雲が一面に広がっていて、初日の出の光を浴びるのは難しいかなぁ。。。と思っていたのですが、諦めの悪いわたしは、日の出の時間を3分過ぎたところで「お兄ちゃん、〇〇海岸に移動しよう!」と言ってすぐ移動。

 

わたしの内臓感覚に狂いはありませんでした。

 

昨年ほどの日の出ではありませんでしたが、今年はまた一味違って、重たい雲の切れ目から、力強く顔を出す太陽を拝むことができ、「よし!今年も頑張る!」と心に決めることができ、満足のいく初日の出でした。

 

新年の抱負を決める

 

「新年の抱負を決める!」と書いたものの、今、この瞬間も、まだ頭真っ白、何も決められていません。

 

ブログを書きながら、今、まさに、決めようとしているわたしです。

 

まずは、抱負の意味の確認から。

 

抱負とは、「心の中に持っている決意や計画」である。

 

2024年という1年間、わたしはどういった決意をし、計画するのであろうか。

 

まずは掘下げてみるところから。

 

2023年12月30日に書いたブログ。

 

www.soratobu-chibimaru.com

 

テレビを見ながら、母の話を聞きながら、こたつに入って書いたこのブログ。

 

そもそも、その姿勢から、自分の適当さが否めないのですが、、、まず、自分の中で直感的に感じていることは、まず間違いないと思っているので、それをベースに抱負を固めていきたいと思います。

 

キーワードとしては、

 

欲ではなく、自分なりの価値を見つけること。

 

それは、

 

自分にではなく、周囲に向けられたことであること。

 

それには、

 

「我が我が、わたしを見て」ではなく、

 

「自分以外の誰か」の心に栄養を与えること。

 

めちゃくちゃ抽象的で、自分でもまだ、「じゃ、どうするの?」というのがはっきりわかってない部分も否めないのですが、一言で言えば「相手を尊重する」ということかなと。

 

相手の心に耳を傾けること。

 

わたしにとっては、大きなチャレンジです。

 

わたしは、自身の気持ちや考えを率直に伝えることは、当たり前にできるというか、当たり前だと思って生きてきました。

 

しかしながら、自己主張が強いため、目の前にいる相手の気持ちや考えに配慮することが上手くできないこともしばしば。

 

考え方や価値観がちょっとでも違えば、自己の考えを主張し、相手とぶつかることを、わたしは繰返しやってきました。

 

生きていく上で、自己の考えを持ち、それを主張することは必要ですが、そのアプローチ次第で、相手を深く傷つけてしまう、不快に思わせてしまうことがあります。

 

そこに感情が乗っかってしまえば、なおさらです。

 

わたしは、どちらかというと単細胞(どっからみても単細胞)なので、ティファールのケトル、瞬間湯沸かし器同様、すぐに怒ったり、喜んだり、悲しんだり、落ち込んだりと、感情の起伏が激しく、常にくるくるまわってます。

 

そして、そのまんま、ほんと、そのまんま、体全体で感情を表現してしまうので、それは良い場合もあれば、もちろん悪い時もあって、仕事に際しては、特に管理職である立場においては、よろしくないです。

 

言ってみれば、心が子供のまんま、大人になっちゃった、ということでしょうか。

 

あれこれ、すでにぐるぐる、考えが全くまとまってないですが、もう少し「利他の心を養う」ということでしょうか。

 

利他とは、「他人に利益となるように図ること。自分のことよりも他人の幸福を願うこと。」です。

 

今年のわたしの抱負は、「利他の心を養う」です。

 

たった今、わたしの2024年の抱負が決定いたしました。

 

ロールモデルを見つける

 

わたしは、幼い頃から、偉人などに対して、憧れや尊敬の念を持ったり、「こういう人になりたい」という理想像を持つことができず、ロールモデルを見つけることなく50歳になりました。

 

今、50歳になって、ちょっと遠目で自分を見てみると、わたしはいったい、どこに向かって生きているのだろうと、思うことがあります。

 

人の一生は儚いものだけど、尊いもの。

 

広い宇宙を考えたら、それこそ目に見えないお星さまような存在。

 

そう考えると、ちっぽけに思えてしまうのだけれども、それでも、生きている以上、一生懸命、生命を全うしたいと思う自分もいます。

 

なんだか壮大な方向に話がいってしまいましたが、目線を人の一生に戻して考えてみると、やっぱり、漠然とではありますが、「魅力溢れる人に成長したい」という欲があります。

 

つまるところ欲にたどりついてしまうのですが、その、魅力溢れる人というのは、自分にとって、どういう人なのか、それがわからないとイメージもできないので、考えてみます。

 

わたしにとって、魅力溢れる人というのは、年を重ねても「笑顔が素敵で品がある人」でしょうか。

 

年を取ればとるほど、すべては容姿と雰囲気に「その人そのもの」が出るように思います。

 

かなり年を重ねられていても、いつまでも素敵な人。

 

わかりやすいところで、芸能人で例えると、柏木由紀子さん、吉永さゆりさん、黒木ひとみさん、あたりでしょうか。

 

柔らかい表情と雰囲気で、言葉遣いも美しく、容姿も素敵に保たれている方々。

 

こちらの方々の内面をわかる範囲で学んでみて、どのような生活スタイルを持たれていて、大事にされているのかなど、お手本にしてみたいと思います。

 

容姿的には、到底これらの美しい方々のようにはなれないですが、せめて、雰囲気だけでも、品がある可愛らしい女性に成長したいものです。

 

改めて、ブログを書くというのは、なかなか面白いものだなと感じています。

 

書きながら、自分の考えや気持ちなどを形にできる。それがいい。

 

それでは、みなさま、have a nice new year 2024!

 

by ちびまる