空飛ぶちびまる (自由気ままに)

おひとり様女子のエッセイ

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あっという間の2023年。ついに大台50歳になっちゃいました。これから、わたしは、どう生きて、どう成長できるのか。

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画像:photoAC熊澤充さん

 

大台50歳になった今思うこと

 

20代、30代の自分には、ぜんぜん想像もつかなかった年代50代。

 

ついに、大台にのってしまいました。

 

50歳!喜ばしいような、心細いような、寂しいような。。。

 

つい最近まで、承認欲求の塊で、自分を中心に生きてきた自分ですが、最近ちょっとだけ、自分の心にチクチクっと「あれ、ちょっと違うんじゃない?」と自分に問いかける自分がおります。

 

それはきっと、身体的な衰えを感じざるを得ない年代に差し掛かったということも、少なからず影響しているのではないかと思っています。

 

どんな心境かというと、、、上手く表現できないのですが、、、このままじゃ、頭打ちというか、これまでの自分のやり方、考え方、進め方で突っ走るだけでは、見える景色に変化が出ないのではないか、という焦燥感です。

 

これまで自分が積み上げてきた全てを否定するつもりもないし、これまでの人生に1mmの後悔もないのですが、なんというか、わたしは、きっと、どこまでも貪欲なのだと思います。

 

これまで見たことのない景色が見てみたい、そういった欲が出てきました。

 

そしてその、景色を見るためには、今のままじゃ見れないということを、自分の内臓で理解しているので、脱皮の準備が始まりました。

 

欲ではなく価値を見つける

 

わたしはこれまで、好き勝手に生きてきて、海外に行きたい、海外に住みたい、英語を使う仕事がしたい、仕事で世界を飛び回りたい、役職が欲しい、もっと権限が欲しい、偉くなりたいなど、欲するままに生きてきて、ある程度、自分がこれまで欲しかったことを手に入れ、自分の欲求を満たしてきました。

 

やりたかったことを全て経験して、キャリアップもして、それなりにお給与もいただいて、思い切ってマンションも買って、それなりに快適なライフを手に入れたので、今のままでも十分すぎるほど幸せです。

 

一応、誤解のないようにお伝えしますが、、、収入的には、世間一般的には稼いでいると言えるほどの額は稼いでないですし、逆に、少ない方かもしれません。

 

それでも、わたしは、独身ですし、物欲もそんなにないし、ヒトとの交際範囲が広いわけでもないので、大してお金を使う機会もなく、地味な生活で十分楽しめてしまう性質なので、そういった意味では十分に「快適なライフ」です。

 

でも、人ってどこまでも欲深いというか、快適なだけでは、退屈してしまうのです。

 

以前ライフコーチを受けた際に、「Wants(自分のために欲しいもの)ではなく、Value(自分の外にある価値)を見つけなければ、いつまでたっても、3大欲求(食欲、性欲、睡眠欲)と一緒で、満たされれば気持ちは冷める」とフィードバックを頂きました。

 

この事実にわたしは非常に衝撃を受け、腑に落ちたというか、わたしが今まで追ってきたことは全て欲のためであって、だから達成したら冷めてしまうのだと悟りました。

 

わたしは50代に、「自分なりの価値」を見つけたいと思っています。

 

自分以外の何かに価値を見出す

 

欲ではなく、価値を見つける。

 

これは、人間にとって、永遠のテーマかもしれません。

 

人間は欲深い。わたしは特に欲深い。

 

なので、これまでとは違った景色や世界観を見てみたい、知ってみたいという欲を満たすために、わたしは、自分なりの価値を見つけたいと考えています。

 

得体のしれないことなので、非常にむずいことですが、「自分なりの価値」は、自分のためではなく、「自分以外に向けられた何か」でなければならないです。

 

上手く説明できないのですが、自分自身がずっと何かに夢中でいられる状態を手に入れるためには自分以外の価値を見つけることが必要ということだけは、100%そうだなと確信してます。

 

価値を見つけるチャレンジ

 

わたしはあまり、人の気持ちを考える、察するということが得意な方ではありません。

 

残念ながら、自分でも自覚していますが、ちょっと薄情なところがあるというか、人は人、自分は自分と思ってしまうところがあります。

 

人の目をあまり気にしないというのはある意味、生きていく上で楽な性格かもしれませんが、裏を返せば、人の気持ちに鈍感であり関心が薄いということかなと。

 

それでは人徳は養えない、おそらく、それは間違いない。

 

その性格に輪をかけて、自己主張の強さや自分軸で物事を考える傾向が強く、個人主義的な考えが根付いている自分をよく知っているので、そういった自分の性格を変えるのは容易ではないです。

 

なので性格は変えられないですけど、行動を意図的に変えてみることで、見えてくる景色というか、感じることも変わってくるのではないかと思っています。

 

どのように行動を意図的に変えてみるかというと、とてもチャレンジングなことですが、、、自分と真逆のタイプの人の意見や考えをまずは聴いてみる、そして、どうしてそう考えるのかを理解してみる、ということをやってみようと思っています。

 

周囲に目を向けてみる

 

まずは身近なところから、行動を変えてみようかなと思っています。

 

管理職になったわたしは、本当はもっと、広い目で周囲を見渡し、敏感にチームメンバーの気持ちや状態などを察知できなければならない立場ですが、そのあたり弱いので、意識的に周囲に目を向けてみる努力をしてみようと思います。

 

わたしが鈍感なままでは、チームメンバーがちょっとかわいそうな気もしますし、もしもわたしがもう少し、メンバーを理解し、彼らにとって良い職場を整えられれば、彼らが発揮できる能力も変わってくるのかもしれないなと。

 

習慣や行動を変えるには、強い意志が必要なので、一筋縄ではいかないと思いますが、自分の欲(違う景色を見てみたい)を満たすために、チャレンジしてみます。

 

混沌とした世界で

 

毎日ニュースを見ていると、争いや不正、出口のない問題ばっかりで溢れています。

 

すべての問題は、人間の欲と、何を正義と信じるか、ということに起因する事象なのかなと感じています。

 

戦争のニュースを見ていると、人々がそれぞれ主張する正義、権利、あるべき姿などがあちこちに渦巻いていて、その景色の中に、わたしは、わたし自身の在り方を重ねてしまうことがあります。

 

わたしが信じていること、主張していること、正しいと信じていることは、一つの側面であり、わたし以外の人が違う角度でその景色をみれば、わたしが信じていることとは違って見えて、彼らは「それは違う」というのかもしれないなと。

 

相手を認めること、相手と自分の意見の妥協点を見つけること、バランスを取るということ、白黒ではなく、グレーの世界を認めることなど、時と場合によって、そうそう簡単なことではないかもしれませんが、世の中、何事もバランスが大事なのではないかと、最近、考えることが多いです。

 

あまりにも両極過ぎる価値観は、どうにもこうにもバランスが取れず、いつまでたっても平行線。

 

どうにもこうにも折り合わない事柄が世の中には存在しますが、わたし個人の努力で、自分の主張だけではなく、チームを信じる力を養うこと、真逆の人の考えを理解する努力をすることは、自分を取り巻く世界を幸せに導くことができるかもしれない、意味があることなのではないかと、そう考えている自分がいます。

 

ゼロサム的な思考になりがちなわたしが、ゼロサム的な思考に疑問を持ち始めているというのは、ある意味成長するチャンスかもしれないと思っています。

 

混沌とした世界に身を置いて、自身の立ち振る舞いを客観的に考える。

 

2024年、少し成長した自分と出会えますように。

 

それではみなさま、2023年も残すところあと2日となりましたが、良いお年をお迎えください。

 

by ちびまる