画像:photoAC白つばきさん
やりたいこと(情熱)が感じられない
わたしは、子供の頃から、「好き」、「やりたい」、「〇〇になりたい」など、ある一定の対象に、ものすごく強い感情を頂いたことはありません。
だから、今も昔も、「これがものすごく好き」、「寝ても覚めても考えちゃう」といった対象物はありませんし、感じることができません。
コーチングを受け始めて、自分が生まれ持って持ち合わせている資質(才能)のシーズがどの分野かというのは理解することができましたが、どんなに自分の「好きかも」という対象物を考えて、掘下げてみても、大した想いにはならず、また、それがどのように、仕事に結びつくのかも、強い思い(情熱)がないからこそ、感じられないし、見つけられない、という状況に陥りました。
現在わたしは、何の不自由もなく、どちらかというと現在のライフに満足していて、ハッピーライフ。
だけど、どことなく、ちょっとぽかんと穴が開いているというか、物足りなさを感じています。
20代~30代に夢見た仕事につき、役職も裁量も得て、かつ、現在新たに、アライアンスのプロジェクトの推進役となり、これとないチャンスにも見舞われ、日々忙しく、申し分ない状況なのですが、それでも、どういうわけか、物足りなさを感じるのです。
贅沢なのですが、そう感じている自分がいるのは確かなので、どうしようもない。
50代を目前として、それが一体なんなのかを見つけ、50代のライフワークを見つけようと、数回で10万円ほどのコーチングを受けているわけですが、残念ながら、答えは出ません。
ないものは、ない
5回のコーチングセッションを受けて、ようやくたどり着いた結論は、「ないものは、ない」です。
おそらく、世の中には、「しょーもなく、どうしようもなく〇〇が好きで好きでたまらない!」という対象物に出会える人もいるでしょう。
でも、わたしは、そんなものに出会ったこともないし、これから出会える気もしない。
きっと、それはわたしの素(性質)なのでは、と思います。
でも、そう感じているのはわたしではないということが、下記のTedTalkで認識しました。
To find work you love, don't follow your passion | Benjamin Todd | TEDxYouth@Tallinn
Stop searching for your passion | Terri Trespicio | TEDxKC
同じように、「自分には情熱を感じられるものがない」と思っている人は、世の中にたくさんいるのだろうなと、思います。
上記2つのTedTalkを拝聴し、とても勉強になったとともに、安堵しました。
ある意味、区切りをつけられそうです。
興味があることではなく、価値があることに注目する
上記のTedtalkで、とても勉強になったことは、興味があることに注目してしまうと、仕事と結びつかないことが大半であり、世の中にとって「価値があること」に注目することが大事だということは、わたしが抱える物足りなさを埋めるヒントとなる考え方でした。
興味があることを書きだしてみましたが、確かに、「なんとなく好き」なだけであり、それ以上何もないというものがほとんど。
だから、「自分がやりたいこと」や「好きなこと」主軸を置くと、体に雷が落ちるほどの衝撃を受ける出来事、対象を体で感じられない限り、情熱の対象は見つからない。
情熱というのは、体で感じるものであり、頭で考えて探すものではないというメッセージは、とても腑に落ちます。
価値があることは利他主義に基づく
この世の中において、価値があることというのは、自分以外の誰かを幸せにしたり、他人の役に立つことであり、自分の利益に直結する価値ではないということ。
これは、わたしにとって、とてもチャレンジなことです。
なぜなら、わたしはコミュニティが苦手というか、あえて関わってこなかったところがあり、できることなら一人でいたいという性質があり、どう転んでも利他主義な要素がないからです。
もちろん、目の前にいる他人が困っていたり、悲しんでいたら、間違いなく助けるし、できることを最大限しようとする心はありますが、「大儀」となりうる、利他主義というのは、残念ながら、まだわたしには芽生えません。
もしかしたら、「利他主義」を感じられるほどの、学習や経験が足りないのかもしれません。
なんせ、避けてきましたから、そういうの^^;
でも、「大儀を果たしたい」という欲はあります。
また、いままで募金などしたことありませんでしたが、なんとなく24時間テレビにポチっと募金をした自分がいました。
はじめての経験です。
どうしてかは、わからないけど、なんとなく、自分の中で、自分以外の誰かを思いやる気持ちが芽生えてきているんでしょうね。
価値があるものに主眼を置く
自分が利他主義になれるかどうかは、ひとまず脇に置いておいて、まずは、自分が今置かれている環境に感謝し、目の前に転がっているチャンスや活用可能なことに目を向け、自分の気持ちがどうであれ、世の中的に価値のある活動か否かを考えてみることにしました。
自分自身、強い情熱を感じるわけではないけれど、世界のたくさんの人たちにとって、価値があると思われるソリューションに主眼を置き、そこに注力し、仕事として一生懸命取り組めば、いつの日か、こんなわたしにも「使命感」みたいなものが生まれるかもしれないなと。
まずはやってみる。
それがわたしの流儀なので、その後、自分が学習し経験していくなかで、何か心に火がつく状態を作れたとしたら、それはそれでラッキーと思うようにすれば、少しは気が楽。
幸い、今関わっている仕事は、まったく関心がないという分野でもないし、成功すれば、きっと世の中の役に立てるという仕事なので、まずは、取り組んでみようと思う。
コーチングを受けた感想
わたしにとって、人生初のコーチングセッション、それもマスターレベルのコーチにお世話になってますが、6回のセッションで終了しようと思います。
理由は、これ以上続けても、答えはでないからです。
答えを出すのは自分であり、コーチではない。
そして、その自分の中に感じるものがなければ、どんなに対話を続けても、あまり意味がないと思えるからです。
でも、コーチングを受けたことは、まったく後悔してません。
なぜなら、それなりに、自分自身に気づきがあり、その気づきのもと、自分が興味あることを調べ、行動し、それなりに、自分を理解するに至ったからです。
コーチングを受けたからと言って、自分の中に情熱が見つかるわけではないということも、コーチングを受けたからこそ体感できたこと。
わたしの場合は、夢見た答えはでなかったけれど、今回の結論が次につながると考えています。
「価値あることに主軸を置く」そして、
「国際的に働く」そして、
「あるがままに生きる」ということを
再確認できたことは、大きな収穫です。
また、コーチングとは全く違うソースから見つけた強み診断の結果、自分の資質を理解し、今までの行動や感情とリンクできたことは、今後のわたしのキャリアに大きく影響すると思います。
「自分で気がつくことができる」ということは、とても大切であり、また、「腑に落ちる」というのも大切です。
50代のわたし、楽しみです💛
それでは、みなさま、have a nice day
by ちびまる