画像:photoAC熊澤充さん
念願のコーチングを受ける
コーチング。
30代前半に、とても興味を持ったものの、経済的に余裕がなくて、手を出せなかったことのひとつ。
きっと、対価を支払うことはできたものの、心の準備が整っていなかったのだと思います。
目の前のことに追われ、自分の欲求に従い追い求め、毎日を生きることに忙しくて、すっかり忘れていたコーチング。
50歳手前になって、また、コーチングに興味を持つとは、思いもしませんでした。
今、この年になって、その時が来たのかもしれません。
わたしが信じていること。
自分の人生に必要なことは、自分自身が引き寄せ、また、上手い具合に巡り巡ってくるものだということ。
必要な時に、必要なもの、必要なこと、必要な人、必要な機会、すべてが巡りまわってきて、それをつかまえるか否かは自分次第。
コーチングは、今のわたしに必要なことであり、また、それをつかまえるだけの準備が整ったということだと思います。
コーチの質、相性、価格など、いろいろ悩むポイントはありますが、どのコーチに受けるかという点については、わたしは、幸い、迷いもせず、1人のコーチに決めることができました。
なぜ決められたか。
直感でしかありません。
コーチングを受けるなら、この人と直感で決めてました。
わたしは大事な局面において、だいたい直感で決めてきています。
その結果、大きな失敗や後悔はないので、自分の内臓感覚を信じて良いと思ってます。
コーチングの価値は自分が決める
今回、1回目のセッションを受けました。
価格は、庶民(わたし)にとっては決して安いものではありません。
でも、自分を信じてコーチングに踏み切って正解でした。
1回目から、わたしは、お金には代えられない価値を得ることができました。
月2回、まずは3か月投資しようと思っています。
コーチングは、コーチに対価を支払うのだけれど、その価値(額)は、自分自身の将来の価値と置き換えると、支払う額はあまり気にならなくなります。
わたしの人生は、1時間に〇万円かけるだけの価値があるのだと、と思えば良いと思います。
コーチングの価値は、お金で計れるものではないと思います。
安い、高いというものではなく、そこに自分自身が価値を見出せるか否かが大事。
コーチングの価値は、受けた本人にしか感じられないもの、だと思います。
なぜなら、それは唯一無二の個人の感情とコアとなる思想に直結するものだから。
きっとそれは、どんなに言葉で第三者に伝えようとしても、伝わらないし、伝えられない価値なのだと思います。
自分の内側の発見
自分のことは自分が一番わかっていると思ってしまうものですが、自分を自分で客観的に見るのは難しいものです。
また、本当に自分が求めているもの、探しているもの、それはきっと、自分の人生のステージ、タイミングにより、だいぶ異なってくるものかと思います。
自分が次のステージに進む時、コーチングの力を借りるというのは、有効だと思います。
コーチとの対話を通じて、自分を客観的に理解していく、それはとても興味深いプロセスであり、自身の人生を全うするにあたり、価値ある時間であり、また価値のあるプロセスだと思います。
今回、1回目のセッションにおいて、わたしは2つの発見をしました。
ひとつ目は、ニーズと価値の違いを、自身の人生を通じて知ったこと。
ふたつ目は、自分にとっての価値を見つけるヒントが得られたこと。
なんとなく、心のどこかでわかっていたかもしれないことが、明確にロジカルに浮き彫りとなり、心から腑に落ちる、しっくりくる発見、瞬間がありました。
きっとそれは、誰かから「こうだよ、こうなんじゃない?」って言われて感じられるものではなく、コーチという鏡(質問)を通じて、自身の心と対話をすることで、気がついてしまうこと、です。
自分自身で気が付くというのは、腑に落ちる、心から実感できるということ、なのだと思います。
自分の芯の部分から、「あーそうか」と思えることは、マインドセットをするにあたり必要不可欠なプロセスだと思います。
わたしの発見
今回、わたしがコーチングを受けるテーマは、
「50代にライフワークを見つけること」です。
コーチングを思い出したきっかっけは、日々、目の前にある仕事上での課題、問題、トラブル、葛藤などを解決したいというものでしたが、時間を割くのであれば、もっと自分の人生において、大きなテーマでコーチングを受けたいと思いました。
まったく答えがない、真っ白なキャンパスに10年後の自分の姿を描くような作業です。
真っ白なキャンバスに、ひとつずつパーツを書いていく、そして、点であるそのパーツが、点から線、線から面となり、全体像が見えてくるのであろうと、考えています。
1回目のセッションでは、今現在、わたしが感じていること、そしてその背景には何があるのかを紐解いていく作業でした。
わたしが今、感じていること。
20-40代に、やりたいことは全て躊躇なく実行し、やりきった。
やりきったこと、経験できたこと、達成できたこと、それ自体は満足している。
でも、それは、達成と同時に過去の産物となり、わたしの中で幕を閉じてしまう。
まるでひとつの映画が終わるかのように、終わった途端、そのやり遂げたことは何処へ?と思ってしまうほど、関心の輪の外にいってしまう。
それはなぜなのか。
ずっと、自分の中で不思議というか、なんでだろうなーと思ってました。
その謎が解けました。
ニーズと価値の違い
これまでのわたしは、まるで食欲を満たすかのように、承認欲求を追い求めてきたのです。
だから、ひとつずつ、達成するごとに、その達成したことに対する周囲からの評価、承認をひとつずつ得てきた。
が、しかし、それがある程度、満たされてしまいました。
ニーズ(欲求)
食欲、性欲、睡眠欲がわかりやすい例で、満たされない、満たされるまで、そのことばかり考えてしまう、満たされないレベルが高ければ高いほど、生理的欲求はとんでもなく強くなり、どうしようもない。
人は誰しも、認められたい、注目されたい、感謝されたい、そういう生きもの。
承認欲求。
特にわたしは、これ、承認欲求が、とんでもなく強かったからこそ、大きなエネルギーでいろんなことをやり遂げることができた。
わたしも含めて、大多数の人間が、人生のたいていの時間、この承認欲求を満たしたくて、突き動かされ、それを追い求めているように思います。
ニーズ(欲求)は、満たされるまで止められないし、人を突き動かすとてつもなく大きいエネルギー。
でも、欲というのは、満たされた瞬間、意欲を失う。
今のわたしは、ある程度、今まで追い求めてきた承認欲求が満たされた状態なのだと思います。
満たされてしまった今、キャリアにおいて、モチベーションが続かない。
わたしにとって、お金は大事なものであっても、一番ではないし、必要な分があれば、それである程度満足してしまいます。
特別、買いたいものもないので、お金がものすごく欲しい、という状況でもない。
今のわたしに必要なのは、自分にとっての価値を見つけること。
価値とは、普遍的なもので、持続可能、飽くことない何か。
自身の存在が認められなくても、自分にとって大きな喜びとなるような何か。
わたしは、今まで、自分にとっての価値を見つめる機会はあったようで、なかったように思います。
なぜなら、その価値に関心を持つ前に、承認欲求を満たすことで頭が一杯だったから。
50代て前になって、今までの自分とこれからの自分を客観的に考える機会を持てることは、幸せなことだと思います。
3か月のコーチングセッションを通じて、わたしは、「自分にとっての価値」をビジュアル化し、その価値をどのようにキャリアを通じて見出し表現していくのか、わたしの人生設計の骨組みを作っていこうと思います。
久しぶりの高揚感(わくわく)
1回目のコーチングセッションで得た一番の収穫は、高揚感(ワクワク感)です。
久しぶりに、感じました。
ワクワク感。
これまでの人生も十分に幸せで、今この時も、わたしはとても幸せなんだけれども、新たな自分、新たな世界に出会えることを考えると、とてもワクワクしています。
ワクワク感は、わたしにエネルギーを与えてくれます。
自分にとっての価値を、しっかりと認識できた時、それはどんな気持ちなのだろう、どんな世界なのだろう、そしてその先には、どのような未来が広がっていくのだろうかと考えると、とてもとても楽しみです。
コーチングを受けるか迷っている方、迷っているならまずはやってみる、というのはありかと思います。
数万円で新しい、知らないことを肌身で感じ、経験できるのであれば、わたしだったらやってみることを選びます。
経験を通じて得られることは、誰にも奪うことができない財産となりますから。
それでは、みなさま、have a nice day
by ちびまる