空飛ぶちびまる (自由気ままに)

おひとり様女子のエッセイ

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働く意味を知る

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画像:photoACphotoBさん

 

父が他界し家族が窮地に

 

2021年9月17日。

 

父が亡くなって、2週間が過ぎようとしています。

 

葬儀やら行政関係の手続きやらで、母も兄もわたしも、なんだか落ち着かない日々を過ごしてましたが、やっと、日常を取り戻しつつあります。

 

未だに父が亡くなったという実感があんまりないわたしですが、現実的なところで、父が亡くなったんだと実感する出来事がありました。

 

それは、母と兄の暮らしが厳しくなるという現実です。

 

父が生きている頃は、入院費として結構な額が出ていっていた分、父が障碍者ということもあり、何かと手当てがつき、なんとか母と兄二人が暮らしていける収入がありました。

 

ひとつ付け加えるとすると、兄はいろいろ事情があり、50歳を超えてますが安定した仕事にはつけず、ずっとアルバイト生活で、母にお世話になりながら暮らしています。

 

きっと私たち3人(母、兄、わたし)は、父が亡くなったという事実を前に、悲しさや寂しさがあまり湧き起らなかった背景として、母と兄の、今までの暮らしの大変さ、そしてこれからの暮らしの不安も少なからずあったからでしょう。

 

父が生きていても、亡くなっても、どちらにしても大変という現実。

 

父が亡くなって、年金事務所に相談に行った母は、「思いっきりずっこけた」と言う。

 

ずっこけた理由としては、これからもらえる年金額の低さに、面くらったからです。

 

41歳で大病に倒れ、10年間無職だった父。

 

その間、身を粉にして働いた母。

 

両親の年金は、団塊の世代にしては、びっくりするぐらい少なくて、とてもじゃないけどまともな生活ができる額ではないです。

 

それに加えて、兄はアルバイト。

 

もう、わたしが家計を支えていくしかない、そう思いました。

 

働く意味を知る

 

わたしは、今まで、自分勝手に、自分のことだけを考えて生きてきました。

 

母の強さに甘えていたのだと思います。

 

わたしは今まで、大変なことをすべて、母の強さ、母の寛容さに甘えて、すべてを母に押し付けてきました。

 

祖母の介護も、父の介護も、兄の問題も、すべて一切合切。

 

わたしは、母の強さに甘えて、自由気ままに、外に飛び出し、好き勝手に生きてきました。

 

そのおかげ(そのせい)で、母には、メンドクサイ人間関係のしがらみ、面倒なことばかり、大変なことばかりを背負わせて、今まで来てしまったと思います。

 

今年で75歳になる母。

 

もうそろそろ、楽にしてあげなくてはいけない、そう思いました。

 

わたしは今まで、自分の欲求を満たすためだけに生きてきました。

 

そしてその欲求がほとんど満たされた今、ハングリーさに欠け、働く意味に疑問を持ち始め、エネルギーを持て余していた今、父が亡くなりました。

 

わたしにとっての情熱とは、何なのか。

 

わたしの中で、生きる意味、働く意味、Why(なぜ生きるのか、なぜ働くのか)と、強い意志や情熱が感じられない、沸き上がるものが何もない、わたしにとってのWhyは何か?

 

そんなことを考えていた時に父が他界し、母と兄が窮地に追い込まれました。

 

きっと、人生とは、すべてなるように設計されているのだと、そんな気がしました。

 

きっと、父の死は、わたしに何かを教えてくれる機会なのだと。

 

誰かのために働く

 

わたしは、自分の欲求(ニーズ)を満たすために、今まですごい勢いで走り続けてきました。

 

それが「なんで?」ということも、あまりよくわからないままに。

 

とにかく、思いつくまま、思い立ったままに、行動に移して、それなりに、いろいろと、成し遂げてきました。

 

自分の判断、行動、そして経験、過ごした時間、すべてに対して、1ミリの後悔もありませんが、気が付いたことがあります。

 

自分が夢見てきたこと、経験してみたかったこと、例えば、

 

〇海外に住んでみたい

〇海外で働いてみたい

〇英語が話せるようになりたい

〇国際的に仕事をしてみたい

〇世界中に友達を作りたい

〇世界中を旅してみたい

〇アロマセラピストになってみたい

〇MBA取ってみたい

〇会社で役職や裁量が欲しい

 

など、いろいろやってきて、経験してみて、わかったこと。

 

それは、達成したら、すべてが終わる、わたしの欲望、熱は消えるということです。

 

わたしは達成欲に駆られて、欲望に駆られて、今まで生きてきましたし、それを原動力にしてきました。

 

でも、自分のためだけの欲望に駆られた情熱は、達成されれば終わってしまう。

 

そう、必ずその炎は消えちゃうんです。

 

今回、プロのコーチングを受けて、その事実に気が付きました。

 

わたしは、間違いなく、次の段階を求めている、そう感じています。

 

それは、欲望ではなく、「価値」に基づく情熱、エネルギーの源でなければならないということ。

 

それは、きっと、自分以外の誰かのため。

 

自分以外の誰かの役に立って、喜んでもらえるため。

 

今のわたしには、それが母親なのだと思います。

 

まだ、自分の中の、個(Human Being)としてのWhy(なぜ働くのか)を見つけられずにいますが、でも、身近な大切な存在(母)のために、わたしは働きたいと思いました。

 

わたしの母は、父が倒れた41歳から、75歳の今まで、ずっと、ずっと、苦労の連続です。

 

母は強い人だから、弱音なんてはかないのだけれど、おおよそ30年間以上もの月日を、自分以外の家族ために、時間も何もかも全て、費やしてきました。

 

気が付くのにちょっと遅すぎたけど、これからは、母が余生をできる限り楽しく、心配しないで過ごせるように、わたしが母の力になりたい、そのために、一生懸命働こうと思いました。

 

国際社会や、多くの人々のためにとか、大志はまだ描けないけれど、まずは身近な大切な人、母のために、頑張って働き、頑張って生きようと思っています。

 

人生とは、上手くできているもので、人生に退屈になったら、すぐに何かチャレンジな状況に身を放り投げられる、その繰り返しなのかもしれないですね。

 

だから、人生はきっと、大変であり、楽しい。

 

多くの人にとっても、大変でも、楽しい人生でありますように。

 

have a nice day

 

by ちびまる