外国は宇宙と同じ距離感だった
まだ、英語はさっぱりできなくて、パスポートさえ持ったことがなく、国内線でさえ飛行機にも乗ったことがなかった頃のわたしは、外国も宇宙も同じぐらいの遠い感覚で、外国人も宇宙人も似たようなもんで、「どんなことを考えているんだろう?」って、思っていたほど、外国はとても遠い存在でした。
海外に出かけること、ましては、海外に住んで仕事をすることなんて、、、
夢のまた夢!
だったはずなのに、、、
人って(少なくともわたしは)、経験をすることによって、そのワクワク、ドキドキ!という感覚を失ってしまうものなんですね。
オーストラリアに初めて降り立った時の空気のにおい、そして、はじめてオーストラリアの海と空の青さに触れた時には、涙がでそうなほど感動し、本当に心臓がドキドキとして、胸が高鳴ったものです。
あの時の感動は、今でも私の胸の中にそっと大切な思い出として閉まってあります。
でも、どんなにスペシャルなことであっても、毎日、毎日、ルーチンのように触れてしまうと、それが当たり前になって、何でもない日常になります。
経験を積むことは、人生を豊かにしてくれます。
でも、知らないこと、わからないことが多いほど、夢を見ていられます。
夢の途中が一番楽しい
ひとつ、ひとつ、自分自身の目標や夢が達成できてしまったり、いざ、その夢が自分の手の中にある状態になると、夢から覚めてしまいます。
それが「日常化」なんだと思います。
夢を見ている途中のほうが、人って、一番キラキラして、生きているっていう実感を、より強く感じられるものなのでしょうね。
身近な話しで言えば、フィギアスケートの羽生選手。
「逆境が一番の好物」
みたいなことを言っていたのが印象的でした。
障害があるから、それを乗り越えるまでの過程や乗り越えた後の感動と達成感があるのでしょうね。
例え、その時に思うような結果がでなかったとしても、どん底に落とされたとしても、そのギャップが大きければ大きいほど、人は燃えるし、また、その過程で没頭できた、夢中になれた自分を感じられたのなら、それはとても幸せなことなんじゃないかなと思います。
いつも、自分がやりたいことの目の前に障害物があって、ゴールにたどり着く夢の途中で、イライラしたり、悔しかったり、涙を流したとしても、その過ごしている時間は、幸せな時間なんだと思います。
ゴール直前~ゴールの瞬間から直後
これは、一番の快楽時なんでしょうね。
わたしも、少なからず、この快楽の経験はあります。
その快楽の余韻はそう長く続かないもの。
わたしの場合は、
〇英語の習得
〇海外留学
〇海外移住
〇海外勤務
〇大恋愛と大失恋
〇国際結婚(デファクト関係でしたが)
〇TOEIC900を超え
〇MBAをとる
〇海外出張にでかける
〇海外市場で仕事をする
いろいろ、自分なりに、自分の欲望のままに、経験してきました。
夢の途中、経験途中のわたしの心はジェットコースター。
揺れに揺れ、喜怒哀楽の激しさに自分がついていけない時もしばしば。
エネルギーがとても必要ですが、大変な分、楽しさもあります。
海外市場をターゲットとした仕事は、まだまだ発展途上で興味津々ですが、ある程度、自分の中で区切りのついたもの(クリアしてピリオドを打ったもの)は、過去の産物であり、あまり特別な思い入れもありません。
自分が今まで経験したことについては満足してしまい、今目の前にある仕事以外は、興味が持てなくなったというのは事実。
一言でいえば、飽きた、ということなんでしょうね。
今となっては、
〇海外に住みたい!
〇英語を伸ばしたい!
〇資格をとりたい!
という欲望は、まったくありません。
文字だけみると、やる気なし子^^;
20代前半に夢を見ていた自分の欲求は全部解消されてしまいました。
今のわたしの興味は、「組織作りとグローバルビジネス」です。
〇組織経営
〇グローバルビジネス
とても大きな括りで、興味があります。
海外出張も日常化されつつある
海外出張も、だいぶ慣れてきちゃって、日常化しつつあります。
いったら行ったで楽しいし、いろんな経験ができるのですが、先進国で英語が通じる地域であれば、ある程度、どんな感じか予想がついてしまうというか、以前ほど、緊張したり、ワクワクしたり、ドキドキしたり、しなくなりました。
贅沢病と言ってもよいでしょう。
3年前ぐらいは、海外出張はものすごく夢、だったんですけどね。
日常になっちゃいました^^;
でもこれが、例えば、英語がほとんど通じない、発展途上国、何が起こるかわからない、想像もつかない国民性や習慣のところに行けと言われたら、たぶん行っちゃうのでしょうが、それは緊張しますね、間違いなく。
「海外に行く」と言っても、行く地域によってもだいぶ高揚感は異なってきますね。
ここ2年間では、ヨーロッパもアメリカも、出張で多くの都市を訪れました。
その度に、隙間時間を最大限使って、街歩きをして楽しんできました。
今年の出張はリスボン、次にコペンハーゲン、オランダ、トロント、シカゴ、サンディエゴを予定していますが、特にこれといって、ワクワク♬というのは、ありません。
理由は、だいたい、想像がついてしまうからです。
美しい山も川も海も港も、旧市街地も古い建物も、石畳の街並みも、その場所に行ったら行ったで楽しいのですが、なんと表現したらよいか難しいのですが、なんとなく、「こんな感じなんだろうな」という想像がついてしまうのです、訪れる前から。
要するに、特別感を感じることがありません。
夢がみられない状態です
夢を見るのは、「自分が経験したことがない世界=わからない」からだと思うんです。
知ってしまったら、もう、知らない頃の自分の感覚には戻れません。
だから、想像がしずらい地域にいってみたい^^
例えばですが、アジアの発展途上国。
わたしは、ヨーロッパ諸国や米国など先進国には何度も足を運んでますが、実は、それ以外の地域、特にアジア諸国はシンガポールだけという、ぜんぜん経験が少ないのです。
発展途上国への出張は経験がありません。
「どんな感じなんだろう~♬」って、自分があまり想像できないようなところには、どこでもいいから行ってみたいですね。
そして、もしも、「どんな感じの国なんだろう~」ってわからない場所に行く場合は、その地域について、とてつもなく事前調査して、できる限りの勉強をしていきますね、きっと。
そういう時間はとてもエキサィティングで楽しいですね。
幸い、わたしはビジネス好きなので、訪れる街に興味が持てなくても、各国の市場を知っている人と話をすることは、とても楽しみなのです。
わたしが知らないことを、
知っている人たちと、
話をするのは楽しい
です。
寂聴さんの「夏の終わり」に学ぶ人間の欲望
少し、違った角度からの「夢から覚める」の例えになりますが、瀬戸内寂聴さんの「夏の終わり」という映画をご紹介。
だいぶ前に見たのですが、寂聴さんのあまりにも赤裸々な女性の性的欲求を丸出しにした情熱が表現されています。
寂聴さんの生き方そのものもそうですが、欲望を丸出しにして生きている人というのは、とても大胆で、人間的で魅力的です。
寂聴さん、昔はだいぶ世間から叩かれたと、テレビのインタビューで拝見したのを覚えています。
自分の性欲を自分で抑えられず、どうしても悪さをしちゃうから、尼さんになったと話しをしていた寂聴さん、面白いなと。
寂聴さん、とっても人間らしくて、わたしはとても好きです。
「夏の終わり」は、男女の三角関係のお話で、隣人の男性に恋焦がれていた女性が主人公で、ずっと精神的にも肉体的にも結ばれたーいと熱望していた男女が、やっとの思い出結ばれたのに、結ばれた瞬間興味を失うという、お話です。
ひとは、激しい欲求が一度満たされてしまうと、憧れも情熱も一切合切消え去り、人間の欲望がいかに儚く、幻になってしまうもの、という人間の一面を描いた映画でした。
特に男女の関係上の欲望ってのは、ロマンチックな一方で、とても寂しい一面もあります。
その映画を観て、
「なんか、、、わかるー」
妙に納得しちゃいました。
飽きっぽいから、いろいろ経験もできる
わたしは、よくまわりから、
〇欲張り
〇わがまま
〇そのまんま
と言われます。
また、熱しやすくて冷めやすい、というのも自分が持っている特徴かなと思っています。
わたしは、あまり、ひとつのことには長い間没頭できない性質です。
仕事の仕方も、浅く広く
人付き合いは、浅く狭く^^;
飽きっぽい性格というのは、ある意味、いろんな経験を積むには好都合だなと思っています。
わたしは、職人さんにはなれないなと、自分で思います。
だから、憧れるんですけどね。
でも、わたしは、たぶん、広く浅く、いろいろ経験するほうが性に合っているんだと思います。
世の中は、わからないことだらけ。
いつまでも、子供のように、
「それ、なぁ~に?」
って、純粋に興味を持てる自分でいたいなと思います。
いつまでも、浅い夢でもいいから、ワクワクできる非日常やわからないこと、未知なことへの興味は持っていたいです。
では、have a nice day
byちびまる