Facebookをやめました
最近、Facebookをやめました。
もともと、SNSにどっぷり浸かる性質でもなかったのですが、唯一、Facebookだけ10年ぐらい続けてきました。
Facebook上でも、わたしの交友関係は広くも、深くもない(;^ω^)ので、つながってたといっても、せいぜい80人ぐらい。
定期的に、わたしの投稿に対して、『いいね=既読』を押してくれる相手は、10 ~ 20人ぐらいでした。
Facebookをやめた理由は、いくつかありますが、大きな理由としては、
実名で情報開示することで発生する、
〇情報漏洩のリスク
〇起因する問題の煩わしさ
です。
自分ではたいした問題ではないと思う事柄であっても、自分を知る知人にとっては心配の種となります。
そして、思いもよらぬメンドクサイ事態に発展してしまうこともあります。
実名での投稿なので、わたしという個人に紐づいた個人情報を知っている知人が読めば、わたしが何気なく発した情報であっても、深ーいところまで考察してしまって、過度な心配をするという場合があります。
人によっては、心配するがあまり、ついつい言い過ぎてしまうこともあります。
そのことにより、お互いの人間関係になんとなく居心地の悪さを残してしまうことも考えられます。
そもそも、種をまかなきゃ良いわけで、種さえまきゃなきゃ、そんな取り越し苦労の心配をさせることもありません。
だから、余計な種蒔き(実名での発信)はやめました。
そもそも、何のための情報公開?なのかと、しみじみ思いなおした、というのも理由です。
どこにいっても、他人に見せるためにまずは写真撮影を先行している自分がおりました。
今は、まずは、目の前に広がる美しい景色やその場の雰囲気を楽しむこと、目の前のことを楽しむことを優先にしたいなと考えています。
安否確認的な目的で、SNSを使用という人もいますが、わたしは、安否確認はアナログ的な手法でお知らせを選びました。
大切な方々へは、季節のお便り(お手紙の送付)をすることにしました。
今のところ、SNSらしきものに関わっていると言えばTwitterですが、本ブログの公開だけ、なので、ほとんど開くこともありません。
ものすごく、一方的なかかわり方ではありますが、自分の性質上、それでよいかと思っています。
一方で、ブログは続ける
ブログは、スタート当初の意気込みに比べれば大きく減速したものの、本業で忙しい今は、ゆる~く、日記のつもりで続けています。
日記なら、何も公開しなくても良いのでは?
という考えも、なくはないですが、
自分が今まで経験してきたこと、感じてきたことなど、もしかしたら、誰かの役に立つかもしれない、と思って続けています。
特に、海外での経験など。
それと、自分でいうのもなんですが、わたしは仕事(職場)以外、何かのコミュニティに積極参加しているほうではないので、
広い意味での社会の中で、能動的にかかわるものが、何かひとつぐらい、あっても良いかな、という気持ちで、ブログを続けている自分もおります。
また、わたしは、勝手ながら、日本のグローバル化の遅れを懸念しています。
日本人が、そして日系企業が、グローバル社会において活躍できるようになればと、願っています。
だから、せっかくグローバル市場の事業担当として、海外に出ていく仕事をしているのなら、その経験をブログでシェアをして、どこかの誰かに微力ながら、何かお役に立てれば良いなという気持ちを持っています。
具体的な仕事内容を書くわけにはいかないので、どちらかというと海外旅行か???と思われても仕方のないブログネタが多いですが、
現地で経験した内容は、旅行者にとっても、一次情報として参考にできるのでは?と思います。
ブログの良いところは、実名を出さなくても、個人が自由に考えをアウトプットできるところにあり、気持ち的に楽なところかもしれません。
こんな風に感じている人がいるんだと、地球上にいる誰かの目に留まり、何かを感じてもらえたら、それだけでも意味がある活動かなと思っています。
あわよくば、その人の人生にとって、プラスになるようなエネルギーになればいいなー、ぐらいに思っています。
Facebookを止めた日常
特別に何か大きく変わったことがあるかというと、特に、何もありません。
でも、プライベートな情報の安易な発信をやめたことにより、どことなく開放された感があります。
勝手に発信して、勝手に感じていた束縛感。
不思議なことに、心の自由度は、増した気がします^^
あとは、写真を撮らなきゃっ!という、一種の自ら生み出す強迫観念的な感覚も薄れ、いまでは、別に写真はいいや、と思う機会が増えました。
誰かとつながりを常に感じていたい人には、SNSというツールは人生を豊かにしてくれるものかもしれません。
でも、わたしのように、どちらかというと、気ままに、自由に、特別なつながりや、常に誰かと絡まってることを求めないタイプの人には、SNSというツールは重荷になってしまうものかもしれません。
また、わたしは、膨大な情報にさらされることが苦手なので、自分が欲しい情報だけを見つけに行く、ぐらいの情報との付き合い方のほうが性に合っていると思っています。
それによる弊害としては、最新情報に乗り遅れるリスクだと思いますが、それでもかまわないと思っています。
多くの最新情報よりも、自分が探している情報だけが欲しいです。
また、Facebookをやっていたころは、隙間の時間さえあれば、見に行って、なんとなく、だらだらと時間を浪費していた自分がおりました。
でも、Facebookのアイコンをスマホから削除して、パスワードを入れないと入れない状態にしたことで、
スマホと向き合う時間もめっきり減りました。
もともと、それほど、スマホのヘビーユーザーではないわたしですが、ここ1か月Facebookから離れたことにより、スマホを見ている時間は少なくなり、
肩こり・首コリが軽減したことを考えると、意外と長い時間、Facebookに費やす時間が長かったのかな?、と思います。
大事な人とはアナログで
わたしは、最新技術、デジタル的なハイテクに目を輝かせるタイプではなく、どちらかというと、アナログが好きなのです。
人との付き合いも、会いたい人には、会いに行きます。
会社を休んででも、遠方で交通費がかかっても、会いたいときは、会いに行きます。
大切な人には、わざわざ時間を使って、直筆でお手紙を書く。
↑プラハで買ったポストカードです。
海外出張に出ることが多いので、出張先の隙間時間に、ポストカードを不定期で送ることにしました。
なかなか会えないからこそ、会える時間を大事にする。
人との絡まる割合は、人生において『差し色的な割合』がちょうど良いな、と思っています。
どっぷり、べったり、じゃなくて、ちょうど良い具合に、鮮やかに。
人付き合いも、あんまり、ハンディー過ぎず、なかなか会えないけど、お互いに大事に思っているという間柄が、わたしには心地が良いです。
そんなわけで、先日、出張先のブダペストから友人にポストカードを送りました。
書くスペースがそれほどないので、「こっちは35℃超の猛暑で、ぐったり💦」というぐらいの、短い挨拶文だけ(;^ω^)
ブダペストで、ポストカード買って、ポスカードの書き方をググって、ひとつずつ手書きで書いて、郵便局に切手を買いに行って、、、投函して、、、というのが、何かと大変でした(;'∀')
でも、誰かを思って何かをするというのは、それなりにメンドクサイことでもあり、それが大事に思っている人に時間を費やす実感になるのだと、しみじみ思いました。
そんなわたしは、今日からロサンゼルス出張です💦
では、みなさまhave a nice day
byちびまる