空飛ぶちびまる (自由気ままに)

おひとり様女子のエッセイ

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新入社員とのジェネレーションギャップを楽しむ

 

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一年が始まる

 

一年間には「3つの始まり」があります。

 

1つ目:元旦(年の始まり)

2つ目:4月(会計年度の始まり)

3つ目:誕生日(歳の始まり)

 

どの始まりも、身が引き締まる気持ちで迎えるのです。

 

4月は、日本においては、会計年度のサイクルの始まりのところが多く、わたしが属する会社も同じく4月がはじまりの月です。

 

わたしは、海外事業担当なので、各国の取引先と数字の話をするときには、ほとんどの企業が1~12月のサイクルが会計年度であるため、1月に実績レビューをすることも多いのですが、実際に、わたしが数字を追うサイクルが3月~4月なので、今日(4月2日月曜日)が、その始まりの日となります。

 

今日から、わたし自身のポジションも大きく変わり、責任と裁量が増えることになります。

 

楽しみ9割、不安1割。 

 

エネルギーだけは満タンです。

 

今月は米国からの来客があり、そして5月からは海外出張の嵐がはじまりますので、走り抜けられるようにしっかりと体力をつけないと、と思っています。

 

新入社員とお花見

 

4月と言えば、新入社員のお仕事スタート。

 

スタートする前に、ちょうど先週末に、桜が満開になったこともあり、「まずは、お花見しよう!」ということで、適当に声がかけられ、わたしも、その頭数のひとりで、行ってきましたお花見。

 

ちなみに、、、わたしは、いつも、盛り上げ役で頭数に入れられることが多いです。

 

特に、年上のおじちゃまたちから^^;

 

話しは脱線しますが、わたしは、花の中で桜が一番好きです。

 

1週間でパッと開いてパッと散る

 

1週間だけ、多くの人を魅了するために美しく咲き誇る桜。

 

なんとなく、胸がキュンとするというか、せつないというか、その美しさに心が奪われます。

 

短命で人を一瞬で魅了する桜に憧れながらも、100歳まで長生きしようとしている自分にもギャップを感じつつ。

 

そんなわけで、お花見は大歓迎♪

 

ふたつ返事で参加しました。 

 

わたしは、つまみ担当でしたので、からあげ、シュウマイ、餃子あたりを持参。

 

駅の改札でみんなで待ち合わせ。

 

「イケメンだよ」と言われて、どんだけイケメンなんだろう~♬と心躍らせながら、みんなで待っていたところに、やってきました、イケメン男子。

 

確かに、目がきりりとして整った顔立ち。

 

おぉぉ~、と思いました^^

 

久々に清々しい若者のを拝見した感じ。

 

桜もみれて、イケメンにも会えるなんて、ラッキー♬

 

目の保養をさせていただきました。

 

ちなみに、わたしが属する会社は、離職率がえらい低いので、新人君が入ってくるのは珍しいのです。

 

それもイケメンが入社してくるなんて、良い兆しじゃないですか。

 

組織に新しい人が入るということは、新しい風が吹き込まれるということなので、とても喜ばしいことであり、とってもwelcomeなことなのです。

 

イケメン、、、とばかり言ってしまうと、ご本人に失礼ですので(容姿ばかりが取り柄ではないと)、彼のお人柄的をお話しますと、まず、若いですが、落ち着いたものの話し方で、誠実で、おとなしく、凛としていて、しっかりと自分の意見を持っている感じです。

 

頼りになりそうな、これからが楽しみな若者です。

 

これから、一緒にお仕事をさせて頂くのがとても楽しみです。

 

とは言え、わたしとは部署が異なるので、あまり仕事上絡まることはないのですが。

 

わたしより20歳も歳下の彼。

 

なるべく、馴染みやすいようにと、フレンドリーな雰囲気を演出したつもりではいるのですが、どうかなぁ。。。。ちょっと、盛り上げすぎちゃったかも^^;

 

うんざりしてなきゃ良いけれど。 

 

まぁ、あまり気を使いすぎて、過保護にしてもよろしくはないので、あとは適当に、ご自身でなんとか組織になじんでいただいて、自分なりの居場所、仕事を見つけて欲しいと陰ながら願っています。

 

日本独特の初対面の質問

 

はじめて人に会った時に、会話を楽しむ際の話しのネタで、日本と海外(特に欧米)では大きなギャップを感じることがあります。

 

日本人の場合、

 

〇恋人いるの?

〇結婚してるの?

〇年いくつ?

 

など、いきなり、パーソナル(プライバシーにかかわる個人的な事柄)な質問から入る日本人をたくさんお見かけします。

 

日本の場合、採用試験の面接でも、こういったパーソナルな質問を受けることもしばしば^^;

 

国際ビジネスにて商談する場合には、取引先の相手方に対して、こういったパーソナルな質問は大変失礼に当たることがありますので、気をつけましょう。

 

わたしはオーストラリアに長らく居住していましたが、人種が雑多に入り混じる社会ですので、宗教も含め、既婚か未婚か、年齢、性別までも、プライバシーの領域であり、踏み込んだ質問はタブーとされています。

 

よっぽど親しくなり、ある程度、お互いを知った後であれば、ご本人からパートナーの話しや家族(こども)の話しなどがでれば、そこから話を広げて、いろいろ伺うことはできますが、中には、性的マイノリティ、同性愛者の方々もおりますので、その辺りの質問は配慮が必要です。

 

また、出身地や、ジェネレーション(血統がMIX)の人たちも、自分のIDについて、コンプレックスを持っている人たちもいるので、そのあたりについても、配慮が必要です。

 

オーストラリアの社会においては、履歴書に性別や年齢、既婚か未婚かなどの情報提供は義務ずけられておらず、また、雇用主もその情報提供を強要してはいけません。

 

なぜなら、その情報をもとに、採用するに当たりDescrimination (ディスクリミネーション:差別)が生じるリスクがあるからです。

 

性別や年齢、そして家族構成情報を採用基準にするのは、「不公平/差別」につながるという考え方も少なからずあります。

 

よって初対面において、こういったパーソナルな質問が許容されるのは、日本特有と思っておいたほうが無難です。

 

そんなわたしも、常に、彼氏はいないのか、できないのか、結婚しないのか、子供はいないのか、などなど、いろんな質問を受けるので、さまざまな局面で、「やだなぁ。。。メンドクサイなぁー」と思うところがあります。

 

こういった質問をしてくるのは、圧倒的に日本人のオジサンが多いです。

 

日本人のオジサンたち、特に年増のレイディへの質問はご配慮くださいね^^;

 

とは言いながら、わたしもどさくさに紛れて、イケメン新人君に、「彼女いるんだ!え、どこに?」と聞いてしまった。。。

 

遠距離だね、どうやって会うの?など、本人にとっては、余計なお世話極まりないことを、根掘り葉掘り掘り下げて、その場のネタに盛り上げてしまいました。。。

 

猛烈反省m(_ _)m ゴメンナサイ。

 

20歳の年の差を楽しむ

 

20歳って、、、結構な年の差ですよ^^;

 

話しかけるも、どんなことに関心を持っているのか、探りながらの会話です。

 

もちろん、彼にとっては、全員が新しく出会う人であり、そりゃ緊張もするでしょうし、最初は名前覚えるだけでも精一杯でしょうから、相当疲れると思うんですよね、お花見ひとつにしても。

 

自分以外の人達は、全員知り合いで、それも自分の知らない社内の話しで盛り上がられても・・・という状況に、どうしても陥ってしまいます。

 

でも、会社の人で集まってしまうと、どうしても会社の話しで盛り上がってしまうのが常。

 

まぁ、彼もこれから、その話の中に出てくる人たちと一緒に時間を過ごしていくのだから、聞いておくのも損ではないか、と思いつつ。

 

20歳も下だと、まずギャップがあるのは、

 

〇知っている歌・歌手

〇年代特異的な話題

〇価値観(大事にするもの)

 

でしょうか。

 

価値観については、大きな括りでの大事にするものは同じ方向性でも、具体的な話しになると、お互い「えーなんで?」と思うギャップはあるものです。

 

花見に参加したメンバーは、全員彼より少なくとも10歳は上だから、彼らもわたしと同じく、どんな話題を振れば、彼がリラックスして会話の中に入りやすいかなど、考えて振ってはみるものの、結構ギャップがあるのよね。

 

例えば、50~60代のヒット曲、「神田川」

 

ギリギリ30代は知っていても、やはり20代になると厳しい。

 

もしかしたら、懐メロで知っているかもしれないけど。

 

でもなぜか、カラオケでは尾崎豊のI love you とか歌うらしいので、「うーん」と頭を悩ましてしまいます。

 

かぐや姫の神田川

 

尾崎のI love you

 

違いは何か。

 

ビジュアル?

 

カリスマ性?

 

尾崎も80年代、、、だと思うんだけど、曲をカバーしている人が多いから、若い人たちにもなじみがあるのでしょうかね^^;

 

彼と話をしながら、自分の20代を思い出していました。

 

まだ、地元にいた頃で、「わたしの人生、こんな田舎まちで埋もれて終えたくない!」と、危機感が強くて、南へ、南へ、どんどん南下(上京)し、そのまま、南半球オーストラリアまで南下したのが20代後半

 

彼との話を通じて、当時の自分を懐かしんでしまいました。

 

少なくとも、当時のわたしより、イケメン新人君のほうが、間違いなくしっかりしてそう。

 

ぜひとも、自分なりに自分の花を開花させてほしいな^^

 

20年年上のおばちゃん(わたし^^;)は、遠くから見守っています。

 

それでは、みなさま have a nice day

 

byちびまる

信頼関係チームビルデイング 人は指図では動かない

 

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天才だけが許されるスタンドプレー

 

組織の中で働いていると、時折見かけるのがスタンドプレーましぐらのひと。

 

スタンドプレーで走ってしまう人の特徴として、能力の高さが特徴ではないかと感じています。

 

ある程度、器用に何でもできてしまい、また、頭の回転も速いから、仕事も早いため、周りの人が遅く見えてしまう、自分よりもできない人に見えてしまう、自分が他より優れている逸材であると、錯覚してしまうのです。

 

だけど、残念ながら、特に日系企業における「集団主義」の組織の中では、スタンドプレーヤーで能力がそこそこ高くても、チームとして上手く能力の発揮ができない人は、評価されません。

 

磨けば光る能力が高い人材なのに、能力が埋没してしまう残念なケースも散見されます。

 

たくさんの人が集まる組織で働く以上、組織内の人たちを、まずは「個人」として存在を尊重し、その人たちの持ち味、そして、その人たちが日々取り組んでいる仕事へ理解と尊重を示す必要があります。

 

よっぽどの逸材、まわりがあっと驚く「こいつは、すごいぞ、ただものじゃない」と、尊敬に値する極端な能力の差が認められない限り、組織の中でスタンドプレーで突っ走ったところで、誰からも協力を得ることがず、努力の割に結果が伴わず、くすぶってしまい、疲弊して終わってしまいます。

 

それは、とても残念なこと。

 

せっかく、能力が高いのに、思うように評価されず、力も発揮できず、花が散ってしまう。

 

そういう人に限って、とても前向きで、エネルギッシュで、熱意があることが多いのです。

 

日々組織で働いていると「パレートの2:8の法則で成り立っている」というのは、あながち嘘ではないというか、いろんな意味で納得がいく場面があります。

 

〇企業の売上8割は、全社員のうち2割の社員が生み出している。

 

〇顧客の売上8割は、全顧客のうち2割の優良顧客が生み出している。

 

〇製品の売上8割は、全製品のうち2割の銘柄が生み出している。

 

〇仕事の成果の8割は、費やした時間の2割の時間で生み出している。

 

根拠は?

 

と聞かれると、「これです」という実数を出すのは、売上が絡む事柄以外は難しかったりするのですが、マンパワーに関しても、「そうかもしれない」と、思う現場に直面したりします。

 

 2割の優秀な社員が鍵

 

 企業の存在価値は、価値のある製品やサービスを創造し、売上・利益を上げること。

 

価値のある製品やサービスでなければ、人は対価を払わない(価値を見出さない)。

 

そのためには、価値のある生産活動・創造活動が必要になります。

 

そのためには、それを牽引できるチームが必要になります。

 

価値ある創造活動をするために、社員全体の2割の人が、頭と能力をフル回転して、手元にある素材(ヒト、資金、技術)の活用の仕方を考えて、それを製品やサービスというアウトプットに変換していく必要があるのかなと思います。

 

そういった組織を牽引するチームメンバーの能力を最大限に引き出すには、高次元のモチベーションが必要なわけで、わたしが個人的に感じているところでは、高次元のモチベーションを生み出すためには、個人的な給与などの対価よりも、責任と自由裁量を与える「任される感を持つこと」が大事なのではないかなと感じています。

 

もちろん、個々人の生活環境によって、モチベーションというのは異なるかと思いますし、「やっぱり給与がモチベーションの全て」と思う人もいるかもしれないですが、給与が高くても、毎日元気に、心が躍るような仕事をすることがでなければ、いずれ疲弊して、Give up という状況に追い込まれるリスクが高いと思います。

 

指図で人は動かない

 

第二次世界大戦後、日本はゼロからのスタートを余儀なくされ、食べていくために働かなければならない、仕事なんて選んでられない、生きていくことで精一杯、という時代が日本にはあったと認識しています。

 

その後、日本は急激な経済成長を遂げ、高度成長期と呼ばれる時代に突入し、いけいけどんどん、高級車やマイホーム、海外旅行など物資的な欲に駆られ成金生活を夢見て、がむしゃらに、馬車馬のように働くのが当たり前、自分のためというより、会社のために働く、という時代があったことも認識しています。

 

上司の命令は絶対、上司に誘われれば飲み会も断れないなど、ムリをしてでも上司の命令には従わなければならないという風潮は、時代と共に風化しつつあります。

 

まだまだ古い体質の企業はたくさんあると思いますが、パワハラが原因で体調を崩した社員は会社を相手取り訴訟を起こせる時代です。

 

会社としても「これが会社の命令なんだから従え!」なんていうマネジメントの仕方では、社員を制する(というか活用し利益を生み出す)ことは、なかなか難しい時代となりました。

 

物資的に戦後の昭和の時代とは違い、今の若い世代には、

 

〇高級車が欲しい

〇マイホームが欲しい

〇昇進・昇格したい

 

など、ガツガツした物欲を満たす欲望はあまり感じられず、どちらかというと、

 

〇きちんとお休みが欲しい

〇定時に帰宅したい

〇プライベートを確保したい

 

という時間の過ごし方を重視する印象を受けます。

 

そして、若い人なりに、自身のしっかりとした価値観や意見を持っているため、頭ごなしに「上司の命令だ!つべこべ言わず従え!」という、命令型・指図型のマネジメントでは、もはや機能不全、誰もついてきてはくれないですし、チームとしては全くワークしません。

 

上に立つ人にとって、求められる能力は、手元にある人材を巻き込んで、その人たちの能力を引き出し、活用し、利益を生み出す組織体にすることだと思います。

 

そのためには、今、目の前にいる人たちと向き合い、彼らを受け入れ、彼らを理解し、どうすれば、よりプラスに動き、組織に利益をもたらす人材として存在することができるかを考え、実際に利益を生み出す組織にしていく必要があります。

 

あいつはできない、こいつはダメだ、なんて言っている上司=無能な上司・・・ではないかと。

 

いくら、まるごと人を取り換えたところで同じです。

 

部下やチームのダメなところを、ぐずぐずいっている上司こそ、だめな上司。

 

チームが上手く機能しないのは、上にたつ人の実力不足、ただそれだけです。

 

人の能力なんて、さほど変わらない、とわたしは思っています。

 

もちろん、頭の良し悪しはあるかもしれないけど、それでも、さほど同じ人間だもの、それほど大差はないと思っています。

 

気持ちよく、能力を発揮してもらえるような環境づくりを周りに作ってあげられて、かつ売上・利益を上げていけるようになりたいものです。

 

それでは、みなさま have a nice weekend!

 

byちびまる

過重労働(オーバーワーク)に気をつけよう 仕事を減らす工夫を考える

 

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過重労働、オーバーワークに気をつけよう

 

世間で騒がれる過重労働=オーバーワーク。

 

問題になっていますね。

 

仕事とは、ほどほどに向き合わないと、体を壊してしまう原因になります。

 

仕事は、仕事ができる人に集まってきます。

 

また、頼みやすい人=Noと言えない人、のところに集まってきます。

 

そして、時に、すでに、いっぱい、いっぱいでキャパオーバー(機能不全)なのに、断り切れず、頼まれた仕事を引き受け続けてしまう=終わらない仕事増えてしまう人がいます。

 

また、仕事が好き過ぎて、自ら仕事をライフワーク、まるで趣味のように、向き合ってしまう人(←わたし)も、結果的に、長時間労働を自ら進んでしてしまうタイプの人間もいます。

 

わたしのように、好きでやっているタイプの人は、精神的ななストレスは少ないですが、40代半ばという年齢もあり、パソコンワークが多いということもありますので、目・肩・腰、どちらかというと物理的に身体に負担がかかります。

 

プレミアム・フライデー = ひとによっては、迷惑な制度

 

あるニュース番組の街頭インタビューで答える中間管理職の多くが、どちらかというと迷惑、機能していないという回答でした。

 

わたしも、個人的には、あまり意味のない制度と感じています。

 

少なくとも、わたしにとっては、ほとんど意味のない制度

 

なぜなら、私の場合は、海外の取引先やお客様の対応が多いので時差もあるし、また、どうしても片付けなくてはならない仕事が目の前にあれば、時間をとって片付ける必要がありますから、「金曜日の夕方は仕事しない」と決めるわけにはいかないからです。

 

わたしは、金曜日だろうが、月曜日だろうが、自分が休める時に、自分の意志でしっかり休みますし、自分の仕事のスケジュールに合わせて、長期休暇をとったり、代休を消化する場合は、週休3日制にして、休みをつくります。

 

目の前に、重要な仕事があるのに、強制的にそれをほっぽり投げて、休みを取れと言われるほうが、逆にストレスとなります。

 

それだったら、ある程度、自由裁量で、個々人で、「わたしは、ここで、休んでおくね」という感じで、チームメイトとコンセンサスを得ながら、休める時にしっかり休養を取るほうが、効率的であり健全です。

 

例え、平日ど真ん中の昼間でも、急な休みの申請でも、大きな問題にならないのであれば、仕事もまわるし、社員の心と体の健康を維持できるように思います。

 

過重労働を回避するには

 

人の処理能力(キャパ)は、それぞれですし、人には得意不得意があります。

 

また、ものごとをハッキリ言えるタイプ、言えないタイプ、雑多な情報の中から、要点をまとめられるタイプ、そうでないタイプ、人の言葉を気にしないタイプ、気にするタイプ、いろんな性格もあります。

 

ある程度、切り捨てご免で断捨離をしながら、業務内容の優先付け、自分がやらなくても良い仕事は割振りをして、自分で仕事を抱え過ぎない工夫をすることが大切です。

  

どのように、断捨離するか。

 

〇自分にも人にも完全を求めない

〇断捨離後のインパクトの度合を見極める

〇業務の収益性を考える

 

〇重要・緊急⇒1番

〇重要でないけど緊急⇒2番

〇緊急じゃないけど重要⇒3番

〇重要でも緊急でもない⇒切り捨て 

 

仕訳した業務の中でも優先をつければ、おのずと、重要度が高い仕事が明確になりますし、また、仕事の仕上げ具合も100%を求める必要があるのか、7割OKなのか、それとも、まずは3割程度の絵コンテ的なもので良いのか、などを判断します。

 

また、何かを人に頼んだ場合、7割出来上がれば上々と考えたほうが上手くいきます。

 

インパクトが低いものは気にしない

  

時々、お見かけするのが、しょーもないところを、ものすごい勢いで、間違いを指摘する人。

 

「うん、確かにそうだね、間違ってるね、でも、それって、どれだけ、全体にインパクトを与える問題なのかしら?」と思うような指摘がほとんど。

 

気がついた人が修正して、フォローをすれば済む話。

 

イチイチ全てのケアレスを大ごとにしては、大事な仕事が前に進まない。

 

わたしにとって、大事な仕事は、

 

〇売上・利益に直結

〇リスク回避・問題解決

〇チームビルディング

 

大きく分けて、この3つです。

 

企業の存在価値は、もの・サービスを創造し、売上・利益をあげることです。

 

これに尽きます。

 

全ての業務を同レベルで対応してては、リソース(時間と労力)の注力ができません。

 

利益を生み出す活動をしているか見直そう

 

短期的に利益を生み出せない活動は、見直しが必要です。

 

また、中長期的に価値を生み出す可能性があるものへの活動も、見直しが必要です。

 

そして、その活動について、定期的なレビューをすることも大事です。

 

やみくもに、可能性があるかもしれない、と思って全てに手をつける、そして、いつか目が出るかも・・・と、手放せないのは、お掃除ができないゴミ屋敷に住むリスクを抱えるのと同じです。

 

1~2年の間に、一度も使わなかったものは、その後も使わない可能性が高いです。

 

1~2年の間に、棒にも箸にもひっかからない案件、光が見えない案件を、「いつか、きっと」と宝くじをあたるような感覚で期待するのも同じことです。

 

点ではなく面をみて仕事をしよう

 

ひとつの点を深堀するのは、よっぽど信念があって、人生を賭けるぐらいの気持ちがあることであって、自身で責任をとれることなら良いですが、まわりを巻き込むには責任が伴います。

 

なぜなら、リスクが高いからです。

 

企業で働く場合は、たいていの場合、雑多な業務をこなしながら、重要課題に注力しなければならないことが多いです。

 

業務全体を紙面に広げた場合、面を見ずに、点だけをみて(それも角っこの点)、効率やインパクトを考える前に、その点から出発して仕事を進め、やみくもに深堀してしまう人をたまにお見かけします。

 

木を見て森を見ず、という状況。

 

全体像(面)を遠目で確認しないまま、自分が着手した点から、次の気になる点を、どんどん深堀してしまって、結局どこを目指し、何を目的とした作業をしているのかを見失ってしまうケースも散見されます。

 

全てを「こうあるべき、これが正しい」という点に固執してしまうと、100%を求める過ぎて、大事なポイントを見失います。

 

確かに、細かいところをみてしまうと、「あ、これも直さないとね、あ、これもダメじゃん、あ、これも間違ってる。」みたいな箇所は、組織の中でたくさん見つかります。

 

そうすると、人は、まずはその情報を管理したがります。

 

管理表を作成することが目的になってしまって、いつ、どこで、どのように活用し、その管理表を売上・利益につなげていくのかを考えないまま、管理表のエクセルやデータベースばかりが増えていき、日の目を見ないまま、社内サーバーのフォルダー内に格納されて終えるエクセルファイルをたくさん見かけます。

 

正直いって、役に立たない情報をいくら完璧に管理しても無駄です。

 

管理表を作る前に、一旦立ち止まって、その管理表がどれだけ活用できるのかということを想像してから作業に着手したほうが良いです。

 

自ら責任をもって迅速に決断を

 

余計な作業に時間が取られるケースとして、自らが責任をもって迅速に決断し、ものごとを進められないがために、いったり、きたり、いつまでも、ぐずぐずと誰も、何も決められない、責任の所在が不明確なため宙ぶらりん、ものごとが進まず時間だけが過ぎ去るケースがあります。

 

自ら進んで責任をもって、迅速に決断して、段取りを進めたほうが話は早いですし、最短で仕事を終えられます。

 

ただし、自ら進んで責任をもってものごとを進めるとしても、押さえるべきキーパーソンには丁寧な説明と報告をし、事前に同意を得ておき、コンセンサスを得た上で、ものごとを進めることが大前提です。

 

周りに同意を得ずに、勝手に進めては、反感を買うか、反対意見が後からでて、もめてしまいますし、面倒な人間関係に時間を取られます。

 

そうならないように先手を打って、丸く納めつつ、プロセスの迅速化を図ると、仕事がはかどります。

 

考えても答えが出ないことで悩まない

 

自分がいくら考えても、悩んでも、解決しない事柄があります。

 

それは、相手がどう思っているのか、相手がどういう状況なのか、直接確認できれば良いですが、確認をすることもなく、憶測で悩んでいるケースを散見します。

 

憶測はあくまで憶測。

 

確認できないのであれば、相手のあることを、あれこれ悩んでも時間の無駄です。

 

また、自分が影響を及ぼせないことを、あれこれ悩んでも答えは出ないです。

 

頭を悩ませるのなら、自分自身が動けばなんとかなること、もしくは、相手から協力が得られる事柄だけです。

 

悩む価値のあるもの、そうでないものを切り分けて考えて、悩んでも仕方がないことは、早い段階で切り捨てるということをすると、時間短縮になります。

 

自分の仕事をコントロールできるようになると、建設的な仕事の進め方が可能になります。

 

わたしも、まだまだ、まわりに振り回されて、オーバーワーク気味なので、自分自身の戒めのためにも、オーバーワークの回避について、考えてみました。

 

みなさまも、どうぞ、健やかなライフを^^

 

byちびまる

 

事実ベースの情報収集の難しさ フェイクニュース混在の情報社会との向き合う

 

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何をもって信憑性を判断するのか

 

インターネットが普及し、SNS: ソーシャルネット・ワークキング・サービスが生活の一部に溶け込み、膨大な情報に囲まれて生活するわたしたち。

 

SNSの普及とともに、一般人の誰もが、自由に自分の考えや思い、そしてあらゆる情報をまとめて、インターネット上で発信できる現代。

 

そういうわたしも、こうやって、自分が思ったことを、「ブログ」というツールを使って、好きなことを自由に、文字に落としてアウトプットをしている訳なのですが、自分の価値観、自分の経験ベースの知識、自分が考えている方向性、世間から収集した情報ベースの結論に関して、あくまでも、「わたしの考え・わたしの結論」であって、それが正なのか否かについては答えは出ず、また、わたし以外の誰かにとって、賛同いただけるものなのか否かも、わからない。

 

もちろん、わたし自身は、わたしが信じる道を生きていくわけなのですが、わたしの生き方や考え方を、他の誰かに押し付けるのは筋違いというもので、自分の人生に責任を持てるのは自分だけなのだから、他の人の人生はそれぞれ彼らのものであって、彼らの自由と責任のもと、生きているということを、忘れてはならないと思いながら、アウトプットをしています。

 

まずは、自分のアウトプットした情報を含めて、個人の主観が大きく反映されているということを認識しつつ、日々自分自身が囲まれている膨大な情報の中から、情報の信憑性について、どのように自分なりに見極めていくか、とても重要なことでもあり、また、とても難儀なことでもあるとも考えています。

 

MBAコースで学んでいる時にはじめて、情報発信を生業としているマスメディア、それも、ゴシップ雑誌ではなく、ビジネスマンが日々目を通すであろう「新聞社」が毎日発信するニュースであっても、それを発信する企業の特徴により、偏った目線の情報になっているということを知りました。

 

もちろん、どこの新聞社や情報を商材として取扱う企業においても、事実確認をした上で、嘘ではない情報発信をするのが基本かもしれませんが、その情報を発信する時の言葉の選び方、文章のニュアンスによって、同じトピックスの情報を伝えてはいても、真逆の印象を受ける可能性さえあることを学びました。

 

言葉は、使いようで、いかようにもできる、要するに「伝え方・表現の仕方」によって、人を熱狂させることもできるだろうし、感動させることもできるだろうし、逆に怒らせてしまったり、関心を寄せてもらえないなど、言葉遣い次第で他人への影響力が変わってきます。

 

わたしの中で、「情報の信ぴょう性」を判断するための答えは、明確には出ないのですが、情報収集する際には、下記のことを念頭に置きつつ、情報に触れるようにしています。

 

〇発信元が企業か個人か

〇発信者の身元確認の可否

〇発信者の情報発信の傾向

〇文章表現の過激度合い

〇文章から感じ取る執筆者の人柄

〇考えの根拠となる参考情報元

〇多角的な考え方かどうか

〇情報発信の目的が誠実かどうか

 

など、でしょうか。

 

結局のところ、世の中に存在する情報というのは、何が真実で、何が虚かという判断は、裁判においても冤罪があるように、見極めるのは非常に難しいものと理解しつつ、さまざまな角度の情報と向き合う必要があるのだろうと思います。

 

今の時代、フェイクニュースというのが当たり前のように、自分のまわりに存在しますが、それは、悪意のあるもの、そうでないもの(本人も信じているが真実ではないもの)など、いろいろです。

 

フェイクニュースや誤った情報から、逃れることは、今のところ難しそうです。

 

フェイクニュース、および個人の主観で偏った情報に、自分がさらされているということを認識しつつ、自分なりの評価の指標をもって、情報の取捨選択をし、自分の仕事や生活に役立てていくのが大切だと思います。

  

事実の裏側を考える

 

わたしは、ライフバイオサイエンスの業界で仕事をしています。

 

ライフバイオサイエンスの学術的なバックグラウンドを持っていないので、なかなか、細かいところの研究について、理解するのは困難な場合が多々あるのですが、関連分野(例えば、アルツハイマー病、老化、糖尿病、腎臓病、動脈硬化など)の自社製品に関する市場調査目的にて、海外の研究者が発表した論文を読む機会があります。

 

研究論文というのは、毎年、膨大に発表されており、研究社会においても、その良し悪し、データ取りの信ぴょう性というのが、「うーん、これはどうなんだろう???」と思うものがあります。

 

理由は、研究そのものへの疑問というより、実証データ蓄積に使われている資材の品質に対しての疑問です。

 

研究のプロセス、実験自体は、しっかりと設計され、トレースもできるものであっても、その実験を行う際に使うツールの良し悪しまで、どれだけ精査して、実験スタートしているのだろうと、疑問に思うものがあります。

 

論文の中には、Method and Materials といった説明書きがあり、どこのメーカーのどの製品を使用して、どんな方法やプロセスを踏んで、実験を行ったのか、という説明が記載されている箇所があります。

 

そのMaterials = 使用ツール、例えば、タンパク質を定量するためのツールだとか、検知するためのツール(判定ツール)が、どれだけ正確性が高く、ロット間差も低く、一貫性のあるアウトプットができる性能を持ったものなのかを、事前に評価(Validation)をどれだけやっているのか、そのあたりが不明瞭な場合がほとんどです。

 

使用ツール(購入物)の選定には、多くの要因が絡んできます。

 

一番大きいのが予算の問題。

 

できるならば、安価な材料を使いたいと思うのは、どこの世界でも一緒。

 

また、できるならば、多くの人が使っているもの(ブランド)を選んだ方が安全そうだと思うのも、どこの世界も一緒。

 

一般商材(一般人が消費するもの)の場合は、多くの人が使っているブランド(例えば食品など)を使うというのは、どことなく安心感を得やすいですし、また、長年、大きな市場を占めている企業の製品は信頼性が高いのが常です。

 

市場を占めている製品は、多くの場合、先発品(市場に一番乗りで入ってきたもの)で、ブランディングに成功したものですが、例えば、その製品を有する企業が特許を持っている場合、競合他社の市場への参入は認められません。

 

そうなると、1社独占的な市場となり、「使う側も、1つしか選択肢がないので比較検証のしようがない」となり、その製品の本当の良し悪しを判断できぬまま、採用するしかないという状況が発生します。

 

また、どんなに先行品の性能に疑問があっても、後発品の品質が良いものであっても、ブランド力が低く、後発品の場合は、市場参入がとても難しく、先行品の市場をひっくり返すのは至難の業です。

 

先発品で、市場には競合品がない場合、その1製品にて、実験データの蓄積がなされ、そのデータ蓄積の結果をもとに、結論付けをされていく場合、仮に、その製品の性能(正確性、再現性)が実はイマイチ・・・だったとしたら、本当は「正」ではないかもしれない科学的なデータに裏付けされている情報が、専門家の正の結論として世の中に拡散されるというリスクがあります。

 

また、科学の世界においても、使用する試料や資材の入札=お金が絡む=利権も絡むという状況があるので、一概に、サイエンティフィックに公表された情報であったとしても、それを100%信じるわけにはいかない、と考えています。

 

大半の世論が右が正しいという方向性でも、それが本当に正しいかどうかは、誰にも分らない。

 

もしかしたら、少数派の世論のほうが、真理をついているのかもしれません。

 

結局、真実を語るというのは宗教を語るのと同じく難しい問題であり、人によって、正と捉える見方が異なることもあるため、最後は、自分の信じる道を、自分の5感で見極めて進むしかないと考えています。

 

だからこそ、いろんな角度からの意見や情報をまずは集めて、その中から、総合的に、「わたしは、こう思う」という選択をしていく必要があるのかなと、思います。

 

過剰なタイトル、キャッチコピーなどに、惑わされないよう、地味線で取捨選択していこうというのが、今のところ私の結論です^^

 

では、have a nice day

 

byちびまる

MBA取得から4年目の春、遅咲きのキャリアアップ

 

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何も待遇は変わらないよ、と言われて挑んだMBA

 

2011年の秋、MBAコースの入学を決めたわたし。

 

大学に行っていないわたしが、いきなり大学院に進学するのだから、少なからず周囲からの反対、というか心配と抵抗(ついていけるのかと)がありました。

 

大学院でクラスメイトになる人たちは、大手企業で働く出世クラス(すでに部長クラスの人たち)の40~50代、や起業家志向が強いエネルギッシュな20~30代、または、外資企業でバリバリ働くキャリア志向の人たちばかり。

 

それも8~9割が男性で、東大、慶応、早稲田、東京理科大など、日本人なら誰でも知ってるような日本では名高い大学卒の人が多い中、特に何の専門もなく、大卒でもない、特に何の役職もない、いってみれば、ただの平社員のOLが、優秀、エリート、と呼ばれる人たちと一緒にMBAコースに挑むというのだから、周りが心配するのも無理はありません。

 

BBT大学大学院というオンラインキャンパス(遠隔受講が可能なMBA)は、外資経営コンサルタント会社で有名なマッキンゼー・アンド・カンパニー(McKinsey & Company)で日本支社の社長を務め、アジア諸国においても有名人の大前研一氏が学長の大学院、MBAコース。

 

大前さんが、大学院のMBAコースについて、学長としてスピーチしているビデオを拝見しました。

 

「はっきり言って、しんどいですよ、MBAコースは。」=入学するなら覚悟して、みたいなメッセージでした。

 

「ついていけるかな・・・」と、一瞬怯みましたが、わたしの気持ちは決まってました。

 

入学の敷居は、比較的低かったので、ありがたかったです。

 

確か、3人ぐらいに、相談というか意見を聞いたと思う。

 

MBAコース、受けようと思うけど、どう思うって。

 

MBAといっても、海外の名門大学のMBAではなく、画期的なオンライン受講で、アカデミック重視ではなく、実際にビジネス、そしてマネジメントに関わった実力者の教授から学べる実践重視のMBAコース。

 

最短2年間で、少なくとも総額300~350万円はかかる投資。

 

わたしが信頼する知人3人から頂いた同じフィードバックは、

 

「それだけお金をかけても、待遇は何も変わらない可能性が高い。」ということ。

 

「それよりも、わかりやすい資格の取得、例えば翻訳家、通訳家、など、スペシャリストになる道のほうを目指したほうが、いいんじゃない?」というご意見。

 

要するに、MBAって、「なんとなくすごそうだし、聞こえはいいけど、どこか頭でっかちで、実際には役に立たなそう、具体的に何がスキルとして残るのか?」という、モヤモヤとした漠然とした疑問が払しょくできず、「ほんとうに、300万円もお金を投じる必要性あるの?」という懸念のほうが大きかったのです。

 

でも、わたしの意志は固かった。

 

グローバルビジネスというものは、どうすれば展開できるのか、術を知りたかったし、また、事業分析、販売戦略とは、いったいどうやって考えれば良いのかなど、具体的で実践的な術を知りたい気持ちのほうが強かった。

 

相談は、自分の意志を確認するかのような作業に過ぎませんでした。

 

最初から、もう自分の中で決めていたし、最後も、自分で決めました。

 

わたしの場合、最終学歴が、オーストラリアのシドニーにある、アロマセラピストの資格を取ったNature Care Collage というところ^^; 

 

成績証明書の取り寄せをする必要があり、結構大変でした。

 

また、2名からの推薦状も必要でした。


当時と以前のわたしの上司(今お世話になってる会社の取締役)に、推薦状をお願いしました。

 

「まだ、早いんじゃないの、MBAなんて」(=生意気)というフィードバックを受けながらも、頭を下げてお願いしました。

 

推薦状の内容については、わたしは知りません。

 

でも、お二人のご協力のおかげで、わたしは無事にMBAコース・グローバリゼーション専攻科に入学することができ、最短の2年間で、それも自分でも想像もしなかった首席で卒業して、それもご褒美として、学費50%の返金を頂いて、実施150万円ぐらいでMBAを取ることができました。

 

平日1日5時間、土日は1日10時間ぐらい時間を割いて、TOEIC Speaking, Writtingのスコア取りの勉強、個人の課題(週に多い時で5科目)提出と受講、クラスの議論参加、グループワークに研究活動(調べもの)、家族と旅行中であってもパソコンを持っていって、夜な夜なひとり暗闇の中でオンラインクラスの議論参加などをやりながら、勝ち取った首席と受講料の半額ゲット。

 

たぶん、人生の中で、一番集中して、何よりも最優先にして、取り組んだ時間でした。

 

今となっては、MBAそのものについては、自分の中では、それほど大きな意味を持つものではないですが、2年間、自分が費やした時間と労力、プロセス、そして経験については、価値があるものと思っています。

 

MBAコース参加前の自分と、MBAを首席で卒業した後の自分は、頭の良し悪しは以前とほとんど変わらないにしても、それをやり遂げた自分への自信はつきました。

 

一言、念のため、ここに記しますが、MBAを首席で卒業したからといって、わたしの頭が特別良いという意味ではなく、どちらかというと、努力の量を褒められた感じです。皆勤賞的なもの、とわたし自身は捉えています。

 

わたしには、ただ、他の人より、時間を確保しやすかったのと、そして、時間を使う努力ができた、ただそれだけです。

 

MBAを首席で卒業したからと言って、みんながあっと驚くような、素晴らしい、画期的な事業戦略プランを打ち立てられるわけでもなく、分析ができるわけでもなく、知識が豊富という訳でもありません。

 

アカデミックな内容は、驚くほど、キレイさっぱり、わたしの頭の中の消しゴムが、消し去ってしまい、正直なところ、あんまり覚えていません。

 

あまりにも覚えてなくて、恥ずかしいぐらいです。

 

でも、何事も、「なせば成る」ということがわかって、自信がついたことは、間違いありません。

 

2年間、多くの時間と労力を費やしたMBA。

 

得たものは、考える力と組織への理解です。

 

どんなに巷で有名どころの企業に属したって、それなりに組織の課題があり問題もあり、そこには多くの人が関わっているので、上手くいかないことが多いです。

 

自分の居場所を決めるのは、自分であって、その居場所(組織)には、すでに存在している人たちがいるのだから、そこにいる人たちの力を活用して、成果を出す努力をする必要があるということを学びました。

 

やってよかった、MBA

 

やっと外的変化がもたらされた

 

大学院卒業後、お金という待遇の誘惑に負けて、外資系のポジションに揺らいだ時期もありましたが、わたしは、なんだかんだと、理由をつけて、今の企業に留まりました。

 

理由は、グローバルビジネスに関わっていたいから。

 

住まいは日本、仕事は海外、外向きに仕事で、いろんな国の人たちと関わり、いろんな国を訪れて、いろんな経験をしながら、ビジネスをしたかったから。

 

自由に提案して、実行できる仕事の仕方がしたかったから。

 

今、わたしが属している企業には、それを可能にする環境と素質があります。 

 

大胆なことはできないけど、ちょっとずつ、ちょっとずつ、ジワジワと、世界へ挑戦。

 

組織変革のため、上の人、横の人、外部の人に働きかけて、いろんなことを、文書に落として提案し、働きかけをして、実行してきた結果、やっと、4年目にして外的変化ががもたらされ、責任と裁量が増えて、それなりのポジションに就くことを実現しました。

 

だいぶ遅咲きのキャリアアップですが、これから、もっと自由に、いろいろ提案して、やりたいことを進めていける土壌がやっと整いました。

 

勝負はこれから・・・

 

もっと自由に、責任と裁量をもって、仕事ができるポジションに就けました。

 

勝負はこれから、です。

 

わたしの仕事は、海外市場において、会社に売上と利益をもたらすこと。

 

その仕組みづくりを加速して、地球規模で、営業&マーケティングのチームビルデイングをしていきます。

 

それも、社内ではなく、各国に根づいた社外の現地の会社と。

 

国も、言語も、文化も、商習慣も違うビジネスパートナーによるチームビルディングを行って、最大限外のリソースを活用して、自分が属する会社に利益をもたらし、最終的には自分にも、その対価がまわってくるように、働きかけをしていきたいと思います。

 

日本の田舎の中小企業から、グローバルビジネスへ!

 

羽ばたけ!きらめけ!飛び立て! 日本の技術!

 

これからが楽しみです^^

 

byちびまる

ブログ歴6ヶ月 はじめて1日200PVを超える プロセスを楽しむ

 

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自分なりの、ブログとの向き合い方

 

「思いは言葉に」

 

わたしがお世話になっている、ブログ運営サイト、はてなブログのキャッチコピー。

 

素敵なキャッチだなと、思います。

 

シンプルかつ、ストレートに伝わる言葉(キャッチ)ですね。

 

この言葉をそのまま受けて、あまり難しいことは考えずに、自分が感じたことや思いをブログに綴るようにしています。

 

本来ならば、

 

〇記事ひとつひとつの目的(何を誰に伝えたいのか)

〇読み手が欲している情報

 

を意識して、アウトプットをしないと、「価値のある情報」には、なかなかな繋がらないのだろうけれど、あまりにも、「価値のある情報のアウトプットを・・・」と考えてしまうと、下手すりゃ思ってもいないことを、妙に飾りをつけてアウトプットしてしまう気がして・・・、それでは、自分の個性は出ないし、つまらない、真実ではない、と思っています。

 

そもそも、趣味で始めたブログ。

 

もちろん、「ブログサイトの収益化」という視点ではじめたブログではありますが、わたしの場合は、本業が別にあり、隙間時間にブログと向き合う毎日なので、趣味路線のほうが色濃く、ブログとはほど良い距離感で付き合うように(というか、それしかできない、というか、そうでなければ続かない、、、)しています。

 

ブログをスタートした当初は、さまざまなブロガーの人の記事を読んでは、「よ~し!わたしもがんばるぞぉ~!」みたいな、妙な現実離れした意気込みがありましたが、ブログを日々運営しているうちに、自分の立ち位置、自分の生活、自分の健康、自分の優先順位、そして、ブログと自分の距離感や向き合い方などを考える必要性がでてきます。

 

何をするにしても、それなりの、、、

 

〇労力

〇コミットメント

〇時間

 

が必要になります。

 

要するに、投資が必要になります。

 

ブログに全てを賭けている、という人の場合は、もちろん経済的な生活もかかってくるだろうから、悠長なことは言ってられないだろうし、そもそも、ブログ1本で生計を立てている、いわゆるブログのプロの方々と、自分を並べては失礼ですし、それはダメだろうと思っています。

 

立場をわきまえる、ということでしょうか。

 

ブログで生計を立てておられる方は、ブログのプロなわけですから、その方々と、自分を同じ土俵で考えること自体、大きな勘違いということも、最近、やっとわかってきました。

 

「わたし」と向き合う限り、わたしは、

 

〇サラリーマン(組織に属し、サラリーを頂いている身)

〇ブログ以外の本業に時間を費やす身

 

であるということ、実感せざるを得ない状況です。

 

よく聞く「不労所得」ですが、ブロガーと呼ばれる方々も、基本は、価値ある情報をアウトプットする=大変な情報の収集とアウトプットの知識と経験をしているわけで、それにかける時間については個人差があるにしろ、不労ではないのであって、それなりに、時間と労力は費やしていると思うのです。

 

すでに「カリスマ性」を確立したお方は、「不労」であっても「所得を得る」ことを実現されている場合があるにしても、わたしのような庶民にとっては、やはり不労所得なんぞは、ほぼ別世界の事であって、そもそも、不労を欲しているかと言えば、そうでもないかもしれない、という凡人だったりもするのです。

 

不労所得=幸せ というのは、もしかしたら、何か、特別な、才能をお持ちの方でなければ、その環境は楽しめないのかもしれないとさえ、思ってしまう、究極の凡人の才能を持っているわたしにとって、ブログというのは、やはり「趣味」となるものなのでしょう。

 

凡人ながらも200pvを超えた嬉しさがある

 

ブログスタート当初の私のプレビュー(PV)数は、おそらく、ふつーにブログをはじめた、人並みの友人の数を持った人よりも、ダントツ少ない、、、10PV以下、10PVなんて、おこがましい、3とか5とかのPV数でした。

 

そんなわたしのPV数が、ブログ開始6ヶ月目にして、200PV/日を超えるというのは、ある意味、奇跡に近いというか、何らかの形で、Googleなり、yahooなりの検索により、わたしの記事リンクを目にし、クリックをして頂いて、それも、数分間でも時間を割いて頂いて、つたないわたしの文章を読んでくださった方々がいるというのは、ありがたいことこの上ない気持ちでいっぱいです。

 

この忙しい世の中、ど素人の記事に、数分でも時間をさいて、見ず知らずの第三者に読んでもらえるというのは、正直、奇跡に近いこと、だと思うのです。

 

果たして、その方にとって、わたしが書いた文章がどれだけ、何の役に立ったのかどうかまったく見当もつかず、もしかしたら、「ふーん」と、なんとなく思われただけだとしても、なんとなく、ありがたいことだなと、思うのです。

 

ブログで生計を立てることに全力をささげている人は、それに収益が伴わなければどうしようもないことかもしれませんが、わたしにとっては、一日、1円でも、10円でも、利益が上がるという現象は奇跡であり、例えそれがなかったとしても、見ず知らずの人が、何らかの理由にて、数分でも時間をかけて、自分の文章を読む、という行為をしたということに、なんとも感慨深い気持ちになります。

 

 

ほぼ毎日、くだらないことも含めて、日記のように更新しているわたしのブログサイトではありますが、記事数がひとつずつ増えていることの証のように、PV数が着実に伸びるというのは、ある意味、「なるほど」と思うのです。

 

ブログというのは、9割の人が、その反応のなさと収益化の遅さにゲンナリして止めてしまうそうですが、例えば、その残り1割に自分が入ったとした場合、その1割の中でも、細分化(セグメントで別けられる)のだろうなと思うのです。

 

わたしの場合、間違いなく、収益化には成功していないセグメントに属する訳ですが、そのセグメントの中に置いて、わたしというのは、「何のために、わざわざ、時間を割いて、思いを言葉にして、何かしらアウトプットをしているのかしら」と思うと、感慨深いものがあります。

 

人によっては、「ムダ、そんなのやめてしまえ」と言う人もいるでしょうし、「面白いね、続けてみたら?」という人もいるでしょう。

 

わたし自身においては、なんだか、まだよくわからないけど、なんとなく、面白い、、、と思っています。

 

わたしがアウトプットすることって、9割以上がしょーもないことだと思うのですが、それでも日々PV数が伸びて、少なからず、人の目に触れることが「増えている」という現象が面白いな、と思うのです。

 

特に、アクセス解析をして、この1記事、1PVだけど、15分という滞在時間。

 

1PV=1人だけど、その人にとっては、何か、役に立ったのだろうか。。。

 

と思うと、それだけでも、意味があったんじゃなかろうかと、なんとなく、思う訳です。

 

役に立つというとおこがましいですが、何か、自分の経験が、どこかの誰かにとって、何かしら少しでも参考になるんだったら、その1記事のアウトプットは、意味があったんじゃないかな、と思えるわけです。

 

それって、なんだか、嬉しいなって、自分は思います。

 

自分の知らない誰かの、何かのヒントになるアウトプットができる自分になれたら本望だわ。

 

byちびまる

頭のふらつき、めまいは突然に。めまいの原因特定は難しい。

 

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初めての経験、頭のふらつきとめまい

 

なんとなく、頭がくらくらするような、カラダがふわふわするような、大したことはなかったのですが、おとといの午後から、体調不良に

 

頭を少し動かすと、なんとなく、くらっと、ふらふらっとする感覚。

 

なんとも表現しがたい気持ちの悪さ

 

目が疲れているのかなと思い、メガネをとって、頭を下げて目頭を押さえると、そのクラクラ感がさらに悪化するという現象に悩まされました。

 

我慢ができないほどのクラクラ、ふらふら感ではなかったので、通常通り、仕事をして、少し早めに残業を切り上げて帰宅。

 

だんだん、平衡感覚に自信がなくなり、そのまま自宅のソファーで横になるも、だんだんと、胃のほうもムカムカと、うーっ、と、具合が悪くなりました。

 

時々、くらっと、ふらっとくる経験は持ってはいたものの、こんなに数時間に渡り、めまいが続くのは初めてで、どうにもならない、このふらふら感に、不安でいっぱいになりながらもベッドに入りなんとか就寝。

 

わたしにしては珍しく、食欲がなくなるという具合の悪さ。

 

栄養ドリンクだけを口にしただけで、その日は寝ました。

 

翌朝になっても、頭のクラクラ、体のふらふらが良くならず、胃のむかつきもおさまらず、早めの対処と思って、会社を休み、2~3時間睡眠をとって病院へ。

 

何科を受診すべきか悩む「めまい」

 

めまいは、原因特定が難しい病状のようです。

 

総合病院の受付にいって、具合が悪くなってからの状況と、心当たりを全て伝えると、何かを受診すべきか、益々わからなくなる、という状況に陥りました。

 

わたしが受付の問診で答えた内容。

 

〇クラクラ、ふらふら、平衡感覚の異常を感じる

〇それに伴い、嘔吐はしていないが、食欲がない

〇目の疲れ、こめかみの上に頭痛

〇肩凝り、首凝りがひどい

〇生理がはじまる直前の生理痛

〇ストレス、疲れ

〇就寝時、胸がズキっと違和感(左胸下横向き時)

〇就寝時、頭の側面の軽い痺れ(横向き時)

〇就寝時、手のしびれ(横向き時)

 

など、ちょっとした不快感も全て話しをしたところ、

 

〇内科(生理痛、ホルモンバランス異常)

〇整形外科(肩凝り、首凝り)

〇循環器内科(心疾患の疑い)

〇脳神経外科(脳疾患の疑い)

〇耳鼻科(耳の問題)

 

など、「どこの科を受診しますか?」と、逆に質問され、わたし自身、何が原因かはさっぱりわからなかったので、困り果てたのですが、

 

「内科、整形外科は、本日受診はできません。」

 

「耳鼻科は当院では受診できません。」

 

「でも、循環器内科と脳神経外科なら、これからすぐ受診が可能です。」

 

ということでしたので、

 

〇めまい止めの薬が欲しい

〇本日中に受診したい

〇心臓と脳の問題は一番心配

 

という理由から、循環器内科と脳神経外科のどちらも受診しました。

 

めまいの種類は大きく分けて2つ

 

めまいの種類は大きく分けて2つのようです。

 

その①前庭性めまい

 

前庭性めまいは、大きく分けてまた2つ。

 

(1) 末梢前庭性めまい

 

〇メニエール病:難聴や耳鳴りを伴う回転性めまい

 

〇前庭神経炎:難聴や耳鳴りを伴わない、突発的なめまいとふらつき。

 

〇良性頭位性めまい:難聴・耳鳴りなどを伴わない、頭の位置により生じる一過性の回転性めまい。

 

(2) 中枢前庭性めまい

 

〇脳腫瘍

 

〇小脳・脳幹出血ならびに梗塞

 

〇椎骨・脳底動脈循環不全

 

その②非前庭性めまい

 

〇血圧異常・心疾患(不整脈など)

 

〇貧血

 

〇低血糖

 

〇頸椎性めまい(頸椎のずれなど)

 

〇心因性めまい(自律神経失調症)

 

〇神経変性疾患(脊髄小脳変性症、パーキンソン病)

 

など。

 

良性頭位性めまい?

 

わたしの場合は、頭の位置が変わることで、めまいがひどいということで、回転性めまいではないものの、「良性頭位性めまいでしょう」と診断されました。

 

ぐるぐる回転するめまいではなく、クラクラ、ふらふら、のめまいだったのですが、原因は、よくわかりません。

 

いずれにしても、お薬を飲んで、たくさん睡眠をとった結果、めまいは、ほぼなくなったので、おそらく、

 

〇疲れ

〇肩凝り、首凝り

〇月経前

〇気温の激的な変化

 

が重なり、不定愁訴の結果かなと。

 

まずは、体を冷やさず、ストレッチをのんびりしつつ、体を休ませることにしました。

 

対照的な専門医に受診

 

この度、循環器内科と脳神経外科の2つを受けたのですが、同じ症状を訴えた際に、あまりにも2名の医者の対応が異なったので、ご紹介します。

 

はじめに、つい最近、テレビで池上さんと「渡る世間は鬼ばかり」の橋本さんとの対談で、

 

「最近の若い医者は、患者を診ずに、病状のデータだけを見る」と、こぼしているのを拝見しました。

 

要するに、最近の若いお医者様は、患者の話しに耳を傾けず、患者が抱えている悩みと向き合わず、ただ単に、病気の症状(データ)だけを見て、診察をしていることへの不満です。

 

おそらく、医師不足、そして、たいした症状でもないのに来院する患者が多すぎる=えらい忙しい、という現状もあるのかもしれないのですが、わたしも、橋本さんの気持ちがわかるーと思うような、シチュエーションに遭遇しました。

 

はじめに、循環器内科を受診し、若い男性の先生。

 

一言でいうと、ものすごく横柄

 

目線もあまり合してくれません。

 

詳細は割愛しますが、わたしが悩みを打ち明けると、全てにおいて、全否定してきて、一蹴されました。

 

わたしの父は41歳の時に、くも膜下出血で大病を患い、身体障碍者となりました。

 

ある日、カテーテルを専門としている循環器内科の先生に、「遺伝もあるから、定期的に心臓と脳はチェックしておいたほうがいいよ」と、アドバイスを受けていたので、自分もそのリスクがあることを心配していると伝えたら、「あなた、まだ若いでしょ!?それも4年前にMRI受けて問題なかったんでしょ!?じゃぁ、問題ないでしょ!」と、まるで、子どもがぐずぐず言っているのを制する親のように、「もう、メンドクサイなー」という心の声が聞こえてくるようでした。

 

それも、目線はずっとパソコンでデータを打ちながら、わたしが話をしている際も、先生がわたしに話をする際も、です。

 

お忙しいのは、わかります。

 

また、その先生にとっては、くだらないと思うような悩みをわたしが打ち明けたのにもイラっとしたのでしょう。

 

それにしても、ものすごく横柄で、患者をバカにしていると感じてしまうほどの態度。

 

わたしの悩みは、その先生にとっては、バカげたくだらない悩みだったのかもしれません。

 

その先生がわたしに伝えたことは、正しいことかもしれません

 

でも、わたしは、この先生には、二度とかからない、と思いました。

 

具合が悪くて受診している患者を不愉快にしてどうするのだ?と思った次第です。

 

ぐずぐず言う患者を制するにしても、言い方っていうものがあるだろう、と思うのです。 

 

次に、脳神経外科の女性の若い先生に診て頂きました。

 

こちらの先生は、まずは「どうされましたか?」と優しく問いかけ。

 

何より、雰囲気と表情、そしてそのまなざしと声が優しい。

 

わたしと目線を合わせて、話しを聞いてくださいました

 

循環器内科の男性の先生に打ち明けた内容と同じ内容を、その女性の先生に打ち明けたところ、「それは、お辛いですねぇ。」と、まずは、わたしの不安と悩みを受け止めてくれた上で、「めまいとは?」を、紙面をもって、わかりやすく説明してくれて、良性頭位性めまいではないかなと、診断してくれました。

 

この先生は、患者を人として扱い、気持ちを汲みとってくれました。

 

とてもスマートで品性がある先生だと思いました。

 

また、同様に、父が脳の病気で大病をしたことを話し、自分も心配ですと伝えたところ、「それは心配ですね、4年前にMRIを受けたのですね。動脈瘤というのは、1年で1mmぐらいずつ大きくなるものなのですが、心配でしたら、再度MRIを受けられることをお勧めします。」と言われましたので、再度MRIを受けました。

 

結果的に、脳の状態は問題なしで、一安心でしたが、わたしの場合は、ストレートネックという、通常みられる頸椎の自然なカーブがなく、まっすぐなので、首の筋肉が凝りやすいようです。

 

「めまいは、首の凝りから起こることもあります。スマホをみることなどは、ほどほどにしないとですね」とアドバイスを受けました。

 

MRIを受ける必要はなかったのかもしれません。

 

でも、結果として、自分の脳は問題なしということが確認でき、大きく安心しましたし、また、自分がストレートネックという特徴を持っていることもわかりましたので、生活習慣を正していくことも意識が高まりました。

 

患者は、難しい医療のことは、正直わからないことだらけです。

 

具合が悪くなると、心細いですし、不安だし、いろいろと、怖いのです。

 

だから、専門知識を持っている先生のご意見を伺いたくて、受診するのです。

 

専門的な知識を持って、日々患者さんを診ている医師から、「大丈夫ですよ、安心してくださいね」と言われることほど安堵することはありません。

 

具合が悪い患者を目の前に、上から目線で患者の言葉も気持ちも汲み取らずに、頭ごなしに、「そんなことあるかいな!」みたいな言葉を吐き、患者を委縮させる先生もいれば、患者の気持ちを汲み取りつつ、専門医としての知識をフルに活用して、適切なアドバイスを、優しさをもって接してくれる先生、わたしだったら、間違いなく、後者の先生にお金を支払って受診します。

 

病は気からとも言いますが、患者は専門医に相談をして、意見を聞いて、それを自分で咀嚼して納得することで、安心したり、病気を受け入れることができ、そして、自分の意志で最終的に判断して、対処することができるのだと思うのです。

 

海外では、緊急性が伴わない限り、まずは、GPという一般医に診てもらって、病状などを伝えて、身体(病状)の悩みを相談します。

 

一般医の良し悪しは、いかに患者の報告から、病状を把握し、腕の良いスペシャリスト(専門医)を紹介できるか否かで決まります。

 

まず、大きな病院に行くことはありませんし、行くときは入院したり手術する時ぐらいです。

 

日本では、具合が悪いと、最初から「病院」に行き、総合受付で、その日の混み具合や、ヒアリングで何科を受診するかを決める感じで、いきなり専門医との問診に入るのが問題なのでは、と思います。

 

いずれにしても、医者には、患者の具合いを気持ち(不安など)も含めて、診て欲しいなと思います。

 

短い時間でもいいから、せめて、しっかり、目を合わせて、「どうしましたか、お辛いですね、お大事になさってください」と、一声ぐらいかけて欲しいものです。

 

わたしの場合、たいした症状ではなく、すぐに改善できたので良かったですが、ずっと原因がわからず、改善も見られず、ひとりで悩んでいる患者さんは、たくさんおられるのではと思います。

 

すぐに解決策を提案できなかったとしても、話しを聞いてあげて、気持ちを汲み取るぐらいは、医者であっても、隣人であっても、誰でも、できることではないかなと思います。

 

優しい社会に生きたいものです。

 

byちびまる

健康維持の基本は食事から ややぽっちゃり長寿路線でいこう

 

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朝から栄養たっぷり!の食事を頂く

 

こちら、先週土曜日の朝食メニュー。

 

朝食というより、朝10時以降のごはんなので、ほぼブランチです。

 

ビタミンC摂取を念頭に、彩が良くて、自分が食べたいなというものを取り入れました。

 

〇トマトジュース

〇ミニトマト

〇アーモンド

〇ブロッコリー

〇キウイフルーツ

〇アボカド

 

これらの食材は、ビタミンCが豊富です。

 

ご飯には、

 

〇ひじき

〇シラス

〇わかめ

〇白ごま

〇お酢

 

が混ぜてある、ミネラルたっぷりのごはんです。

 

その上に、ドーンとハンバーグ(ローソン)。

 

これはただ、食べたかっただけ

 

栄養うんぬんより、食べたい欲望を満たしたかっただけ。

 

コーンスープは、なんとなく、飲みたかったから、ちょい足し。

 

サラダには、ローソンの蒸し鶏チキンを3切れのっけて、タンパク質の補給

 

そして、ナチュラルチーズのカマンベールチーズ1切れを入れて、鉄分も補給

 

あとは、亜鉛、マグネシウム、カルシウムのサプリを頂き、腸内環境を整える。

 

カロリーは気にしていませんが、見た目も、味も、ボリュームも、栄養も、満足のいく食事でした。

 

食事は、楽しさも大事

 

何ごとも、ほどほどに、が大事で、食べたいものだけ、しこたま食べるのも良くないし、健康に良いからといって、つまらない、心の踊らない食生活ばかりでも、人生つまらないです。

 

健康も大事だけど、食事をするのは、人生の楽しみのひとつなのだから、十分に楽しんで、心も体も元気で、ニコニコじゃなくちゃ、何のために生きているのか、と思うんです。

 

こんなわたしなので、スリムボディーを目指すダイエットはさっぱり、ですが、ほどほどに、健康も考えて、アイスやデザート、お酒やお菓子、食べたい時は、食べちゃうことにしてます。

 

だって、好きなんだもん、

 

お菓子も

 

アイスも

 

甘いものも。

 

でも、毎日、好きなものを好きなだけ食べてたら、そりゃ、カラダにも毒でしょうから、例えば、毎日、ちょこっと食いするのも良いし、週末には、お菓子も好きなだけ食べる、などでも良しとしてます。

 

飲み過ぎ、食べ過ぎは体に毒だけど、ほどほどに食べて、それで、気持ちもウキウキで、毎日ハッピーに過ごせるなら、ガチガチにストイックに、イライラ、ギシギシと節制するよりも、心身共にいいんじゃないかと、勝手な解釈ですが、思っています。

 

きっと、わたしのようなタイプは一流のアスリートのようにはなれないけど(そもそも目指してもいなけど)、自分なりのハッピーライフは、過ごせるんじゃないかなと思います。

 

人生は、楽しむためにある!

 

そして、微力ながら社会に貢献できる自分であれば、それでいい。

 

多くを求めず、肩の力を抜いていこう

 

でも、だらだら食べるグーたらなだけじゃダメだから、食べるなら、なるべく動く!

 

これが基本だと思うので、

 

気がついたら1,000kcalも消費してた! 

 

な~んて、夢みたいな運動法がないかしら?と思いつつ・・・

 

運動しているとは意識せずに、楽しんでいるうちに、知らず知らずにたくさんカロリー消費できるような、何か仕組みはないかしら?と、いつも考えながら生きてます。

 

まだ、名案みつからず^^;

 

ややぽっちゃり長寿路線でいこう

 

ナイスボディで、美しくなりたい!

 

とは、思うものの、なかなか、ストイックに頑張れない自分(/._.\)

 

ずーーーっと、ダイエットなんて、成功した試しがありません(_ _)チーン

 

お腹スッキリ、すらりとした背中、手足、出てるところは出てて、ひっこめるところは引っ込める、引き締まった女性らしい肉体美、憧れますねぇ

 

でも、今までの人生、そんな体にはなったことがありません。

 

そもそも、手足が短い、背も低い。

 

世間に誇れる、胸も尻もなく・・・。

 

いつ時、自分のカラダをみても、「あーあー。。。」と思うのですが、それでも、理想の体型になれてないということは、それほど、容姿の改善に本気じゃないってことなんだと思います。

 

それよりも、美味しいものを食べたい欲求が勝る、これが現実。

 

いっそのこと、そういった実現困難な夢を見るのはやめておいて、長寿路線のややぽっちゃりで、健康第一のカラダを目指したほうが現実的かも、と思う今日この頃です。

 

パンダがうらやましい

 

まるっこくって、もこもこで、転がるだけで喜ばれる、上野動物園のシャンシャン

 

そこにいるだけで愛される存在。

 

うらやまし~~~^^

 

パンダは、あんなにまんまるで、特別何か、芸ができるわけでもないけど、あれだけ人を熱狂させられるのだから、すごいなーと思います。

 

パンダって、大人になっても、頭と胴体の比率が変わらず、ずっと、赤ちゃんの時と同じ比率だから、大人になっても愛らしいと思われるそうです。

 

いるだけで愛される、いるだけで人を癒せる存在って、いいなー。

 

でも、パンダは、希少な存在だからこそ価値がある、というのも事実。

 

たとえば、そこら中に、どこをみても、シャンシャンのようなパンダがいっぱいいたとしたら、たぶん、今ほど人々は熱狂しないでしょう。

 

だって、いつでも、どこでも見られるんだもの。

 

なかなか見られない、会えない、珍しい生きものだからこそ、一生に一度ぐらいは、見てみたいとなるんでしょうね。

 

ちなみに、和歌山県のアドベンチャーワールドには、パンダが12頭もいるそうですね。

 

和歌山でパンダ12頭、繁殖成功の理由とは:時事ドットコム

 

だけど、上野動物園のシャンシャンほど、話題にはならない^^;

 

知らないのはわたしだけ、だった、もしかして???

 

同じパンダなのにね。

 

なんでだろう?^^;

 

わたしは、どう転んでも、パンダにはなれっこないのですが、せめて、ぽっちゃりでも、愛嬌があって、まわりに微力ならがらも必要とされ、愛される人間を目指そう^o^

 

それでは、みなさま have a nice day

 

byちびまる

 

食生活の見直し 作り置きお弁当のおかず6品をつくる

 

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気がつけば、コンビニ惣菜ばかり

 

最近、忙しさにかまけて、まったく料理をしていない自分。

 

作るものといったら、サラダとお味噌汁ぐらい^^;

 

平日の帰宅はだいたい20時以降。

 

それから、ジムにお風呂に入りに行って(運動せず・・・)、帰宅するのは、だいたい21時前と、どうしても食事の時間が遅くなりがちな今日この頃。

 

退社⇒ジムのお風呂⇒コンビニ⇒帰宅

 

というルーチンになってしまいました。

 

コンビニでは、なるべくお弁当は買わずに、少しでも健康的なお惣菜を選んではいるものの、やはり、これでは毎日の食事が味気なさ過ぎる・・・

 

食事というのは手を抜けば抜くほど、味気ないものとなり、元気もなくなってしまいます。

 

栄養補給すれば良いというものではなく、食事は、心を満たしてくれるものではければいけませんね。

 

最近、お弁当のおかずも適当過ぎる、というか、冷凍食品やそのまま野菜を乱用し過ぎということで反省。

 

久しぶりにお料理しました。

 

レンジでチンのお弁当のおかず

 

久しぶりにお料理とはいっても、手の込んだものではなくて、スーパーで手頃だった食材をなるべく時間をかけずに、ささっと作れるレンジでチンメニュー。

 

つくりおき食堂byまりえごはんさん、素晴らしいレシピをたくさん掲載してくれています。

 

こちらのサイト、完全にお気に入り。

 

何が良いって、

 

〇メニューが豊富でわかりやすい

〇簡単に手に入る食材と調味料

〇レンジでチン 5 ~10分程度

 

と、

 

〇野菜を切って

〇調味料を混ぜて

〇レンジでチン!

 

たったこれだけのメニューが多いのです。

 

早速つくってみました!

 

レンジでチン!ナスの煮びたし

 

レンジで簡単。人気のおすすめ常備菜レシピ。なすの煮びたし | つくりおき食堂

 

ナスが3本198円でしたので、ナスの煮びたしをつくりました。

 

食べやすいように乱切りで頂きました。

 

ナスを耐熱タッパーウエアに並べて、調味料を混ぜたものをレンジ(3+2分=合計5分)にかけてお終い。

 

めっちゃ簡単で、味もしっかりしみてて美味しいです。

 

レンジでチン!鶏もも肉のバターポン酢味

 

魅惑の組み合わせ。鶏もも肉のバターポン酢 | つくりおき食堂

 

こちらは、唐揚げ用の鶏もも肉を買ってきて、お酒と鶏ガラスープをかけて5分レンジでチン。

 

その後、ポン酢とバターを混ぜて終わり。

 

鶏ガラスープがなかったので、コンソメスープで代用しました。

 

また、ポン酢がなかったので、ゆずぽんで代用しました。

 

こちらも、しっかりお肉に火が通っているし、やわらかいし、味もしっかりついてて美味しいです。

 

レンジでチン!鳥ひき肉と豆腐のハンバーグ

 

レンジで簡単。人気のおすすめ常備菜レシピ。ふわふわ豆腐ハンバーグの作り方。 | つくりおき食堂

 

こちらは、、、ちょっとアレンジしちゃいました。

 

パン粉がなかったので、代わりに玉ねぎのみじん切りを入れて、にらをいれてみました。

 

じゃっかん、餃子の中身っぽくなってしまいましたが、美味しく仕上がりました。

 

青ネギの卵焼き

 

何かと便利な青ネギ。

 

卵4つに青ネギいれて、そしてマヨネーズとめんつゆを入れて、ふわふわ卵焼きをつくりました。

 

こちらも、混ぜて焼くだけですので、簡単です。

 

マヨネーズを入れることで、ふわふわ感が増します。

 

豚バラとニラの炒め物

 

こちらも、ニラと豚バラを、

〇ごま油

〇お酒

〇めんつゆ

〇本だし少々

〇豆板醤ちょっと多めに

〇ラカンカちょっと多めに

 

甘辛の炒め物にしました。

 

スタミナつきそうです。

 

ミックスキノコの炒め物

 

しいたけ、えりんぎ、舞茸、しめじ、を適当にフライパンにいれて、オリーブオイル、塩コショウで焼くだけです。

 

こちらも、健康的ですし、重宝します。

 

料理は心を満たしてくれる

 

わたしは、料理が嫌いではありません。

 

大好きかって聞かれると、毎日はしてないので、それほどでもないのでしょう。

 

でも、週末に、のんびりと、あれこれ、新鮮な野菜を使って料理をするのは好きです。

 

不思議なもので、コンビニの出来合いものは、それなりに美味しいのに、どういう訳か、心は満たされないんですね。

 

でも、自分で作ったものや、誰かに作ってもらったご飯というのは、心が満たされます。

 

この差は、何なのだろうと、いつも思いますが、やはり、火・水・風を入れたご飯というのは、エネルギーの高さが違うのでしょうかね。

 

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こちら、今日のお弁当^^

 

ランチタイムが楽しみです♬

 

毎日同じ、お弁当のおかずが登場しますが、それでも、やはり、コンビニの総菜や冷凍食品ではなく、自分で作ったおかずのほうが、なんとなく、気持ちが満たされます。

 

それでは、今日もみなさん、元気に♬

 

have a nice day

 

byちびまる

海外市場で働くのが好き、でも住むのは日本が一番

 

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海外経験したからわかる日本の良さ

 

「意外だね」って、言われることがあります。

 

それは、わたしが「日本での暮らしが一番」と思っていること。

 

シドニーに長年住んで、国際感覚も養って、マルチカルチャーな人種の中で生きる方が心地よいと感じている、と話した後に、「でも、日本での暮らしが一番」というから、ギャップを感じるのでしょうね。

 

わたしは、日本人だけの社会より、さまざまな人種がごっちゃまぜになっている社会のほうがほっとする、という部分も確かに持っているのですが、でも、衣食住を考えると、それとこれとは別、と感じているところがあります。

 

シドニーに長年住んだ後、その後仕事の関係で、主に米国とヨーロッパに1~2週間の出張に出かけることが多いのですが、住む環境としては、日本に勝る場所はないなと感じています。

 

それも大都会じゃなくて、大都会近郊の地味なマイナー地域。

 

シドニーに長年住んで、いろんな国の都市に滞在して至った、わたし個人の結論です。

 

シドニーはわたしの故郷

 

本当の故郷は福島ですが、わたしはあまり福島には思い入れがありません。

 

本当の意味で自我の目覚めを感じたのがシドニーだったから、かもしれません。

 

わたしにとって、シドニーは特別な街

 

でも、不思議と、シドニーに戻りたい、また住みたい、とは思わないんです。

 

11年前に日本に帰るまでは気がつけなかった日本の良さ。

 

年齢、経験、仕事、タイミング、いろいろ重なった今だからこそ、住むのは日本が良いと感じられるのかもしれません。

 

なぜ、日本に住みたいのか

 

たぶん、今のわたしを囲む環境も大きく影響しているのだと思うけど、日本はなんだかんだ言って、

 

〇安全

〇ご飯が美味しい

〇便利

〇衣食住が安い

〇四季が美しい

〇温泉三昧

〇ご当地グルメが多い

〇清潔

〇ハイテク

 

など、生活しやすい環境が整っています。

 

要するに、物理的な面で、他の国と比べると、便利で快適なんだと思います。

 

日本人だからこそできる、細かい部分への気付きや配慮、創意工夫と知恵、そして常に新しいものを追い求める飽きっぽい国民性が生かされ、次々と「あー、こんなのが欲しかった!」という便利で面白いグッズや、グルメやサービスなどが生み出さされる社会、それが日本です。

 

他の国や都市では類似性が見られない、衣食住への創意工夫そして日本特有の歴史的文化がとてもユニークで興味深いと、日本人ながらに感じています。

 

わたしは大都会では生きられないタイプだけど、海外へ出れば出るほど、日本って、興味深い国だなと、しみじみ思います。

 

先進国で、ほぼ単一民族の国ニッポン。

 

外国人が増えたとはいえ、圧倒的に日本人が多いし、日本の文化が色濃く残る文化と習慣があります。

 

日本は、なんだかんだ言って安全

 

海外出張でいろいろなところに出かけるからこそ、痛感していることですが、なんだかんだ言って、日本はものすごく平和ですし、安全です。

 

街を歩くのに、そして夜道を歩くのに、そんなに緊張せずに済みます。

 

でも、ヨーロッパやアメリカにおいては、常に危険と隣り合わせです。

 

日本でも物騒な街はあるのかもしれませんが、少なくとも、わたしが今住んでいる街においては、深夜にひとりで、酔っぱらって歩いて帰宅しても、まず、危険な空気は感じません。

 

本当にありがたいことです。

 

食べ物が美味しい

 

日本に住みたい理由、食べ物がおいしいというのは、大きな理由です。

 

よく聞く話で、どこに海外旅行に出かけても、フランス料理、イタリアン、など、確かにその土地で食べる場合は美味しいものもたくさんあるけど、結局、日本で食べる、イタリアン、フランス料理など、各国の料理のほうが、ずっと美味しいというご意見、一理あります。

 

わたしも先日、イタリアにいって、美味しいワイン、チーズ、ハム、スパゲッティ、ピッザなど、本場のイタリアンを食してきました。

 

確かにその場では、とても美味しかったのです。

 

でも、不思議なことに、現地で調達してきたチーズやスープストックなど、日本で食べてみると、なんというか、クセが強すぎるというか、日本の自分の自宅で食べた時は、どうにもこうにも味が強すぎて、やっと食べたきった、というのが正直なところ。

 

環境が変わると美味しかったものも、美味しくなくなる、という経験をしました。

 

味覚というのは環境に大きく影響されるのですね。

 

おそらく、イタリアで食べたからこそ、美味しい食べ物だったんですね。

 

フィレンツエの街の雰囲気だったからこそ、美味しかったのだと思います。

 

でも、ふと、日常に戻ってみると、自分が作る、パスタのほうが美味しかったりします。

 

また、日本で食べるフルーツやお米など、品種改良されて、糖度があがり、ますます美味しい食材が市場に出てきます。

 

まだまだ、わたしは世界を知らない身なので、一概に言えませんが、少なくとも今の私は、日本にある食べ物が一番美味しいと感じています。

 

でも、パンは例外。

 

パンは、ドイツやフランスなど欧州のパンが美味しいです。

 

わたしが、海外出張から帰ってきて、まずは食べるもの。

 

それは、お寿司です。

 

それも、好きなものをすし屋のカウンターで。

 

ウニ・いくら・牡丹エビ・中とろ

 

これらを冷酒と一緒に頂く。

 

「寿司と日本酒」

 

世界で一番美味しい組み合わせ、と思ってます。

 

日本の利便性には敵わない

 

日本のコンビニ。

 

日本での生活しか経験したことない人には、気付けないかもしれませんが、日本のコンビニってすごいですよ!

 

セブンイレブン、ローソン、ファミマなど、あれだけの品揃えをもって、それも24時間営業、 フレッシュな総菜やお弁当も取り揃え、それも数百円で満足できる食べ物の数々を安心・安全な一定の品質で提供し続ける日本のコンビニ、世界に誇るべき文化とサービスだと思っています。

 

コンビニは、海外にももちろん存在しますが、日本のコンビニのような品揃え、商品回転の速いコンビニは、海外においては、まず、見たことがありません。

 

海外のコンビニは、キオスクと呼ばれるところも多く、せいぜい、ガム、キャンディ、ポテトチップス、新聞、水、バスのチケット、タバコ、、、ぐらいでしょうか。

 

セブンイレブンも海外にありますが、惣菜といえば、乾いたパンの不味そうなサンンドイッチぐらい、それも6ドルぐらいします。

 

1つのサンドイッチで650円ぐらいしちゃうんですよ。

 

それも美味しくない。

 

日本なら美味しくて、新鮮なサンンドイッチが200円代で買えます。

 

日本のコンビニは素晴らしい。

 

日本のコンビニの存在が、当たり前になったわたしの生活。

 

日本からコンビニが突如消えたら、ものすごく寂しくなっちゃうし、困るわ〜。

 

最近は、日本社会にちゃんと反映されている総菜の品揃え、例えば、小分けパック1~2人前の焼き魚、ハンバーグ、ロールキャベツ、そしてサラダの数々、手軽に夕飯の食卓に使えそうなお惣菜が手ごろな価格で手に入ります。

 

それも、健康的な意識も高く、カットキャベツやレタス、そして、スーパーに行きそびれた人のために卵やお豆腐など、ちょっとしたデイリ―フードもそろえていて、まさに便利なお店!

 

ほとんどの総菜が、レンジでチンすればすぐ頂けてしまう、それも袋から取り出す時の注意書き(ここまで書くか!と思いながらも)、切りやすい袋など、日本のおもてなし精神がいたるところに垣間見れ、「あーありがとう、日本のコンビニ」と感謝の気持ちでいっぱいです。

 

街全体が清潔

 

外国からの来客者がまずひとこと。

 

「ゴミ一つ落ちてないね!きれいだね、日本は」と、街の清潔さに感動します。

 

確かに、あまり道端にゴミとか落ちてないですね、少なくとも私が住む街には。

 

そして、公共のトイレもたいてい清潔。

 

ショッピングセンターやお店のトイレは、まず安心してはいれます。

 

それも無料で借りられる!

 

海外のトイレは、あまり清潔ではありません。

 

また、ヨーロッパでは、公共トイレは有料なところが多く、常に小銭を持っていないければいけないという煩わしい点もあります。

 

日本のトイレのハイテクノロジーは、世界に誇る技術

 

あー、日本に生まれて、そして日本に住める権利があって幸せって、思います。

 

リビングコストが安い

 

シドニーに住んでいた頃、アパート探しに苦労しました。

 

移民が多く、それも、みんな住みたい場所は、シティにバスや電車行きやすい近郊の地域。

 

そうなると需要と供給のバランスが崩れて、アパート探しは争奪戦

 

1物件に30件の申込みが入り、借りる側はなんとしてでも、アパートに入居したいので、賃料を自ら吊り上げるという現象まで起き、移民で、学生だったりすると、まず、賃貸契約までたどり着けず、シェアハウスでの生活を余儀なくされます

 

私が最後に住んでいたアパートは、1K(20sqmぐらいでシャワーのみ)で12万円ぐらいでした。

 

それでも、まだ安い方でした。

 

今わたしが住んでいるアパートなんて、広さ40sqm以上、バス、トイレ別、ダイニングとキッチン別、駐車場付きで、シドニー時代のリビングコストの約半分

 

それも快適で安全・安心。

 

帰国してから9年間、一度も引っ越しをしたことがないです。

 

それぐらい、快適で過ごしやすい住まいなのです。

 

衣類にしても、海外では、大したデザインでも素材でもないのに結構高いです。

 

それに比べて日本は、ユニクロなど、それなりのクオリティを維持して、リーズナブルな価格の衣類を販売しています。

 

ありがたい存在です。

 

家電ひとつとっても、シドニーで在住時は、新品で家電を買うことは、まず、なかったです。

 

ほとんどがセカンドハンド(リサイクル)品を買うのが常ですが、日本では、ヤマダ電機、コジマ電気など、電化製品(それもハイテク)をずらりと品揃え、それもリーズナブルに手に入るものもたくさんあります。

 

食べ物も、コンビニはもちろん、日本の外食は安いです。

 

米国やヨーロッパでは、税金+チップがありますからね。

 

ヨーロッパは、VAT(付加価値税)がだいたい20~25%ぐらい取られます。

 

米国では、税金10%ぐらい+チップ15% ~20% ですからね、結構な金額になります。

 

日本の居酒屋なら、2~3時間飲み放題、食べ物8~9種類で下手すりゃ3,500円ぐらいで済ませられます

 

ラーメン1杯にしても、日本だったら500円以下で食べられるところもありますが、海外なら1,200 ~2,000円ぐらいしちゃいます。

 

こんなわけで、日本という国は、庶民に優しい

 

四季が美しいニッポン

 

日本にいると、1年間季節に合わせていろいろな行事があり、楽しいですね。

 

わたしは、日本の季節の花が好きで、花を見に行くこともとても楽しいです。

 

〇冬・お正月

〇冬・雪景色(雪遊び)

〇春・梅

〇春・桜・菜の花(お花見)

〇春~初夏・つつじ~あじさい

〇夏・ひまわり、花火、海水浴

〇秋・紅葉

〇冬・イルミネーション

 

季節に合わせて、小旅行に出かけることもできますし、花とグルメ、そして温泉などを組み合わせて、日本全国をターゲットにしたら、無限大に遊びに行きたいところがあります

 

ご当地温泉とグルメ

 

日本の面白さのひとつ、ご当地の温泉とグルメ

 

これは、ものすごく、、、楽しいです

 

お昼から、ビールや日本酒を飲みながら、お蕎麦食べたり、お寿司食べたりしながら、ご当地グルメをつまみ食いして、温泉はいったり、ぷらぷら街歩きしたりするのが、至福の喜びです。

 

それも、日本全国、その土地特有の食べ物があり、そしてお酒があり、そして、温泉がある!!!

 

日本って素晴らしい。

 

日本人は親切で勤勉

 

わたしは、日本人に生まれたことを誇りに思います。

 

日本人は、基本的に親切で、まじめで、働きものです。

 

わたしも、そうでありたい。

 

海外と比べて、日本のここがダメだ、あそこがダメだ、と言われることもたくさんありますが、わたしは、総合的に、日本という国も、日本人という国民性も好きですし、誇りに思っています。

 

今、結構言われているのが、日本の技術の流出

 

中国など、発展途上で若い人口がとてつもなく多い国には、敵わないところが出てきており、少々押され気味のニッポン

 

高度成長期の時のようなニッポンには、もうなれないとしても、日本だからこそ生み出せるもの、量より質で勝てる技術は、まだ存在していると私は信じています。

 

それでも、日本はまだまだ、素晴らしい技術も持っている企業もありますし、日本人としての気質もまだまだ、世界に誇るべきところが、たくさんあるとわたしは信じています。

 

わたしが日系企業で、それも中小企業で働くことに魅力を感じているのも、そこにあります。

 

日本のキラリと光る技術と品質を、国際社会に役立てていきたい

 

素晴らしい日本で暮らしながら^^

 

では、みなさま、have a nice day

 

byちびまる