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グローバルに働く女子のブログ

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父、介護施設に入る。母、介護から解放される。40過ぎの娘が今思うこと。

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わたしの母

 

わたしの母は、九州生まれ、東京育ちで、ちゃきちゃきの江戸っ子でした。

 

母の父は事業家で、昭和20年代に、お手伝いさんを3人も雇えるほどの経済力を持ち、ほぼ毎日のようにお客様やら従業員やらを自宅に招き大盤振る舞いの大宴会、母のお母さんも毎晩の宴会のもてなしに忙しく、わたしの母はお手伝いさんに育てられました。

 

幼少期の母の実家は経済的に豊かで、当時の衣類はすべて、生地選びから始まり、祖母とおそろいのデザインのオーダーメイド。

 

お嬢様育ちの母ですが、気質はおてんばで、木登りしたり、チャンバラごっこをしたり、棒を振り回して、男の子を引き連れて街を歩く女版ジャイアンのような存在だったらしく、夜暗くなっても、あっちこっちほっつき歩いて遊んでいたらしいです。

 

小学生の頃に母の家族は上京し、中学に上がる頃には、母の父が急死。

 

生活は一変し、借金を抱える貧乏どん底生活を経験したらしい。

 

そんな母は、就職1年目に、東北のど田舎生まれ、ど田舎育ちの父と恋に落ち20代前半に結婚。

 

わたしと兄の二人の子供ができたタイミングで、父の実家に引越し、ど田舎での生活が始まりました。

 

今となってはどこから見ても田舎のおばちゃんですが、本人曰く、若いころの母は美人で、芸能界からもスカウトされるほど美人だったらしく、手先も器用で仕事も結構できちゃうので、上役にちやほやされる気があったようです。

 

いつでも明るく楽しそうに上役さんと仲良くしている母は、度々やっかみを受けていじめを受けたそうですが、持ち前の明るさと気の強さで、そんなイジメはなんとも思わず、逆に倍返しでイジメ返したらしい^^;

 

どうも、親分肌のようです、うちの母。

 

そして、その親分肌は家庭でも。

 

生活のために、どんな仕事でもチャレンジし経験してきた母。

 

昭和の時代に大ヒットしたソニーのウォークマンの部品組み立て工場での仕事や、生保の営業、化粧品の営業、幼稚園の先生、給食のおばさん、内職など、職種を問わず、家族を養うために何でも仕事をしてきました。

 

お嬢様で、東京育ちの母が、東京のネオンもなければ、娯楽もほとんどない、ど田舎で、よく腐らずに明るく逞しく生きてきたなぁ~と娘ながらに関心します。

 

「いろいろ、大変だったね」と言っても、

 

「あら、結構楽しかったわよ」とさらりと言い返す。

 

そう、わたしの母は男前なのです。

 

長年にわたり、父方の母から嫁いびりを受け、あげくの果てに、人生これからという40代前半、父がくも膜下出血(脳内の大動脈瘤の破裂)にて倒れ、大黒柱不在の中、母は、わたしの家族を一人で背負う立場に追い込まれました。

 

父方の祖母には、たくさん意地悪されたにもかかわらず、そんなイジメも持ち前の明るさと気の強さではねのけ、母性本能と責任感の強い母は、意地悪ばあさんの面倒を20年も見ました。

 

ばあちゃんのお葬式の日、棺桶を除くと、ばぁちゃんの顔の横になぜかメロンパンがむき出しに置いてあり、「お母さん、なんでメロンパン入ってるの???」と聞くと、「だって、ばぁちゃん、メロンパン好きだったから入れてあげたのよ、うふふ。」と。

 

「メロンパンはないだろう・・・」と思いながらも、やっと母が介護から解放され、やれやれと思っていた矢先、今度は、父の介護。

 

さすがの母も「えぇぇぇぇーやだー、もう」と弱音を吐いたが、そんなのも1日ぐらい。

 

なんで母は父と結婚してしまったのだろうか・・・

 

「美人だったんだから、もっと、いい男他にいたでしょうが」

 

と何度も母に言うのだけれど、

 

「だって、しょうがないじゃない、好きになっちゃったんだから。」

 

「その時は、恰好が良く見えたのよぉ~」

 

「その時は、こんなくそおやじになるなんて、わからなかったんだものぉ笑」

 

と、母。

 

娘ながら、「男、見る目ないなぁ」と思った次第ですが、母と父が結婚したおかげで、わたしがここにいるのだから、「お父さん、でかした、よくお母さんと結婚した」と思うしかないのです。

 

結婚もしないで自由奔放に生きているわたしからすると、どうして、そんなに大変な境遇に耐えられるのか、わたしだったら放り投げて身勝手に出て行ってしまうかもしれないのにと、ただただ関心するばかり。

 

生きていくために仕事をして、そして育児、そして介護、母の人生は、他の誰かのために捧げる人生のように思えてならないのだけれど、そんな母は、誰が見ても、どこから見ても、明るくて、いつも元気で前向きで、とにかく笑うし、友達も多く、なんだかいつも楽しそうなのです。

 

わたしの母、恐ろしくスーパーポジティブ。

 

どんな境遇でも、楽しみを見つける天才。

 

どんな境遇でも、「あ~最高~♪」というのです。

 

その反面、気性が強く、口がべらんめ~調なところろも多々あり、介護されてた父曰く、「やくざに介護されてるみたい」というほどの荒々しさを垣間見ることしばしば^^;

 

とはいえ、娘のわたしが見ている限り、そこにはちゃんと愛があるのです。

 

どんなに口が悪くても、父の好きなもの、好きなことをいつも考えて介護してくれています。

 

きっと、それを父も知っているのでしょう。

 

今でもわたしの父は、母が一番好きなのです。

 

わたしの父

 

わたしの父は、ど田舎生まれ、ど田舎育ち。

 

うだつの上がらないサラリーマン、でした。

 

ただし、どこかミーハーな気質があり、母曰く、若い頃はおしゃれで、物知りで、一緒に時間を過ごしていて、とても楽しくって、都会の男に見えたのよ、とのこと。

 

一言でいえば、「素敵♪に見えたのは、幻だった」という感じでしょうか。

 

わたしの父は、母と出会って結婚したのが人生最大の幸運であったと、娘のわたしは思います。

 

不器用で、生真面目で、頑固者で、子供っぽいところもあって、何かにつけ、母に迷惑をかけてる父。

 

40代前半で大病に倒れ、視力を失い、定期的な発作もあったため、約10年間、何もせずに家でじーっと過ごすしかなかったのですが、人というのは、何の目的も、やることもなく、ただただ毎日時間を過ごして生きていくというのは、辛いものでしょうね。

 

父も父なりに生きていく道を考え行動し、人生の大勝負、母の大反対を押し切って、指圧・あんまの国家資格を取るべく、那須塩原に3年間住み込みの合宿・修行に出かけ、見事国家試験に合格。

 

50歳過ぎてからの、見知らぬ人との共同生活、勉強漬けの生活は、しんどかったと思います。

 

父方の兄弟の支援を受け指圧・あんまの治療院を設立し、大病から17年ほど自営で仕事をしてきました。

 

両目を失明したため、点字での勉強だったらしいですが、まずは、点字をひとつずつ覚えるだけでも一苦労。

 

おそらく、他言語で、国家資格を勉強するようなものです。

 

その上、筋肉・神経、体の仕組みをすべて覚えて、東洋医学を勉強し、その新たに得た知識と技術で、月額手取りで20万円を稼げるぐらいになったのだから大したものだと娘ながらに思います。

 

ブランクが10年ほどあったものの、最終的には一家を支える大黒柱に返り咲いた父は、とっても、えらかったなと思います。

 

ある日、実家の大掃除をした際に、講義を録音したカセットテープ、そして点字ノートが大量に出てきて、「血のにじむ努力をしてつかみ取った仕事だったんだね」と、努力家である父を、とても誇らしく思いました。

 

父が急激に弱ってきたのは、4~5年前ぐらいから。

 

発作止めなど大量の薬を何十年も飲んできた父、いろいろと体に不具合がでてきます。

 

薬の副作用だって、そりゃいろいろ出てきます。

 

軽い脳梗塞を2回起こし、それ以来、足腰が急激に弱くなり、歩けなくなり、次第に寝たきりの状態となり、嚥下障害も強くなり、排泄も一人じゃできない、今では介護4です。

 

ここ4~5年間、母はずっとひとりで、朝から晩まで父の介護をしてきました。

 

遠く離れているわたしは、父の日、母の日、誕生日、そしてお正月に贈り物をするぐらいで、なんの役にも立ちません。

 

実家を売却

 

ずっと住んできた実家を今年の春に売却しました。

 

父の名義だけでなく、父の兄弟全員も名義人であったため、売却手続きには1年ほどかかりましたが、みなさん協力的で、スムーズに売却手続きが済みました。

 

その家にずっと住み続けることもできましたが、「お母さん、もう、しがらみから開放されて身軽になって、残りの人生楽しんでよ。」という一言から、「それもそうね」という話になり、決めれば早い母の行動、さっさと決めて売却しました。

 

実家売却にて入ってきたお金は兄弟4人で等分。

 

わたしの家族に残ったお金は、わたしも兄も受け取り放棄し、母に全部あげました。

 

だって、わたしも兄も、父と母になぁ~んにも、してあげてないんだもん。

 

そんな大金を頂く理由はありません。

 

とはいえ、新しい家が買えるほどの金額でもないのだけれど、余生を楽しむには、それなりの金額です。

 

母が苦労して、父の分まで子育てして、一家を支えて、ばあちゃんの面倒を20年もみて、その上、実家の売却手続きも、父の介護もやってくれた分、それぐらいのご褒美があっても良いでしょう。

 

たくさん、楽しいことに時間とお金を使ってほしいです^^

 

父、介護施設に入る

 

わたしの母も父も今年で72歳。

 

生きるといっても、せいぜいあと10年、長くて20年ぐらいでしょう。

 

いくら元気な母でも、72歳の体で日々の父の介護は大きな負担。

 

ここ1~2年は、ヘルパーさんに助けを求め、週に2回ほど介護施設で時間を過ごし、月に1度お泊りをする日もありましたが、それでも、母の負担はとてもつもなく大きなものです。

 

「お父さんを施設に預けて、残りの余生を楽しみなよ。」と、ここ数ヶ月言い続けて、母も迷う時もありましたが、運よく、ずっとうちの家族(じいちゃん、ばあちゃんも)がお世話になっている病院の施設に空きが出て、父を預けることができました。

 

ずっと長年お付き合いのある先生がいる病院なので、家族全員が安心ですし、何より、母が長年の介護生活から解放されたことは、何よりの幸運です。

 

父もすんなり、病院生活を受け入れてくれて、病院食も美味しいって完食するらしく、父も母もハッピーです。

 

父の本当の心の内は、わからないですが、きっと、母を気遣っての対応でしょう。

 

母もなんだかんだ言って、1日2回ほど病院に顔を出し、父の顔見てはイラっとすることばっかりで、先日も、「父のおでこをティッシュボックスでパチーンと叩いてやったわ!」と笑。

 

病院内のスタッフに発見されたら叱られることを知っているみたいで、隠れてやったらしい^^; 

 

でも、父もちょっとの刺激があったほうが、ボケずにいいかも^^

 

父も母も好き同士で結婚した相手。

 

「そこには、確かに愛がある」

 

でも、どこまで言っても個として生きるのが生き物の性。

 

お互いを開放するというのも愛の証だと思います。

 

40過ぎの娘が今思うこと

 

まず、両親には感謝しかありません。

 

また、わたしは母も父も、それぞれ違った面で尊敬しています。

 

そして、大好きです。

 

わたし自身は、現世においては結婚も出産もしないことを選んだのだけれど、結婚して、子供をもって、家族と時間を過ごしていくという人生も素晴らしいと思っています。

 

今、娘として母に思うことは、

 

誰かのためではなく、自分のために生きてほしい。

 

大変なことではなく、楽しいこと、ワクワクすることに時間とお金を使ってほしい。

 

この2点です。

 

人生は、楽しいもの。

 

きっと、今までの母の人生も、決して苦しいこと、大変なことばかりではなく、その分、楽しいこと、嬉しいこともたくさんあって、苦労の中にも幸せな人生だったのかなと、母の今を見ていればわかります。

 

父には、「お疲れさま」と「ありがとう」と「よく、がんばったね」です。

 

父と母の結婚は、どちらかというと、美人でモテモテだった母が父を好きになって、お付き合いして結婚した、という図式のようですが、母が父を好きになった理由が、ちょっとわかる気もします。

 

うちの父、頑固なんですけど、素直なんです。

 

また、一生懸命で、とてつもなく努力家なんです。

 

どうしようもなく、身勝手で子供じみているところもあるのですが、なんというのでしょう、憎めない笑顔だったり、ふるまいだったり、するんです。

 

そういうところが微笑ましく思ったり、なんとか支えてあげたいと思うポイントなんでしょうね。

 

いずれにしても、この父、この母の子供で、わたしは幸せだなと思っています。

 

特別に、、、何のとりえもないんですけどね、わたしの両親^^

 

母からもらった代々の指輪

 

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こちら、昨年、伯父(母方の兄)が他界した際に、母から譲り受けた代々の指輪。

 

曾祖母(母方のひいおばあちゃん)からの代々の指輪です。

 

本当は、わたしがお嫁に行く際に渡すつもりだったけど、お嫁に行かないようだから、今渡しておくねと言われ、いただきました。

 

時代を感じる指輪Boxと伊勢丹の文字。

 

何の石かわからないのですが、ひとまず、受け取りました。

 

これをわたしは、誰に繋いでいくのか、それが問題です。

 

今のところ、まだ真剣に考えてはいないですが、おそらく、わたしは99.9%子供を産まないと思うので、誰かわたしにとって大切な女性に受け継いでいくことと思います。

 

しがらみからの解放

 

柵(しがらみ)とは、塞き止め絡むように束縛するもの、という意味があるようです。

 

「世間のしがらみ」とはよくいったものですが、家族、親族、近隣、友人、同僚など、要するに人生において自分と関与する人たちとの関係性のことをいうのでしょうか。

 

「おひとりさまが好き」、「結婚もしない」、「子供も産まない」というわたしは、どこか遠い昔に、世間のしがらみに関して、嫌な思いをしているのかもしれないですね。

 

わたしは世間体を気にしたり、自分が興味のないことに時間を取られたりするのがあまり好きではありません。

 

できることなら、誰とでもつかず離れずといった、ゆるい関係性で生きていたい。

 

つかず離れずだけど、お互い人としての信頼感や大切に思う気持ちは大事に持っていて、必要な時にそっと寄り添う、そして心が温まった後には前に向かって個として強く生きていきたい、そういった人生観を持っています。

 

だから、今この時を自分の生をどう使うかを自分で決めて、やってみたいことをやる、心に従って進むことをしたい。

 

人は、いつどこで、突然死んでしまうかなんてわからないものだし、生きたとしてもせいぜい数十年。

 

いつ途切れてしまうかわからない命ならば、やっぱり今この瞬間を大事に生きて、いつ死んじゃっても悔いはないと思えるように、やりたいことをやっておいた方がいいって思うんです。

 

そこには責任と自由が背中合わせでありますが、しがらみから解放されているということが条件かなと思います。

 

わたしの母は、長い間、わたしが思うに、結婚という名のもとに、多くの人と関わり、しがらみの中で、大きな責任を背負って時間を費やしてきたと思うのです。

 

それは、不幸だったということではなく、人生のひとつの経験として全うした時間であり、母は母なりに自分の人生を選択し、家族のもとを去らず、重たい責任を背負って、わたしたち家族の絆を培う軸となってくれました。

 

これからは、母として、妻としてではなく、個として、いままでやってみたかったけどできなかったこと(旅行や趣味など)、個の自分と見つめ合い、個の自分を楽しむ時間を過ごしてほしいなと思います。

 

人生、楽しくなくちゃね♪

 

今日も一日皆様にとって良い日でありますように。

 

have a nice day

 

by ちびまる

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