お掃除は心の平安をもたらす
年末には、日頃の掃除では行き届かないお掃除をします。
わたしの場合は、早めにお休みをとって、のんびり、お天気が良い日に大掃除をするようにしています。
あえてテキパキやらない、のらりくらりと、のんびりと、自宅をきれいにしていく、そういった作業はリラックス効果をもたらします。
日常生活では、たいてい土曜日の朝に掃除をしますが、日頃から気になったところを、ちょこちょこっと掃除をしておくと、週に1度のお掃除も楽ですし、お掃除の時間も1時間ぐらいで済みます。
自宅が清潔に保たれていると、心の平安を保てます。
わたしは、掃除魔ではないので、お掃除の仕方も適当というか、完璧は求めません。
完璧を求めると疲れますし、いつまでたっても掃除も終わらないし、進まないです。
なのでわたしは、7割OKぐらいの気持ちで、『ま、いっか、このぐらいで』という気持ちで掃除をします。
お掃除をする目的は、自分が気持ちよく過ごせる空間を保つことなので、それが達成十分であり、完璧にやったところで、またどのみち塵も埃もすぐたまるのですから、7割クリーン、8割キレイだったらOKとしてお掃除という作業と向き合っています。
大掃除をする日は、日頃のお掃除ではなかなかやれないこと、例えば、床の拭き掃除、食器棚の拭き掃除、窓ふき、カーテンの洗濯、ベランダのお掃除などをします。
お天気の良い日に、のんびりと、ひとつずつ、お掃除をこなしていき、ひとつずつお部屋がきれいになっていくのは、気持ちもスッキリとし、なんとも言えない心地よさを感じます。
キレイになったお部屋に、ボヘミアングラスの花瓶にスーパーで買ってきた200円ぐらいのお花を一輪挿しお部屋を飾ると、気持ちもパッと華やぎます。
断捨離が得意な人、不得意な人
わたしは、それほど物持ちではありません。
必要なもの、好きだなと思うもの以外は、まず買わないし、身の回りにも置かないようにしています。
物が自宅に少ないと、自宅のスペースも広く使え、また、物があまりないので、お掃除も楽です。
わたしは、もともと物持ちではないので、そもそも断捨離というほど捨てるものもないのですが、それでも、やはり1年経つと物が増えていることは否めません。
自分が持っているスペース(家のスペース)と、持っているものの量を考えた時に、ちょっと溢れている感を感じた場合、わたしはすぐに捨ててしまいます(=断捨離が得意な人)ので、わたしは比較的、ものに執着がなく、さっとゴミ袋に入れて捨てられます。
逆に物を捨てられず溜め込んでしまう人(=断捨離が不得意な人)は、ものへの執着が強い人なのではないかなと思います。
また、少しでも思い出が絡むものを捨てられない、という優しい気持ち(名残惜しさ)が物に対してあるからだと思います。
わたしの完全な独断と偏見ですが、断捨離が得意な人は、極端なことを言えば、過去を振り返らない、物と思い出を重ねてみない、過去に生きるより未来志向なタイプ、断捨離が不得意な人は、優しい人が多く、ひとつひとつの物と記憶を重ね合わせ、思い出を大切にするタイプなのではないかなと思います。
自分の生きるスタイルと使うものを重ねて考える
ずっと使い込んできたものは、身につけるものも含めて、ヨレヨレになろうと、ちょっとボロになろうと、なんとなく心地が良くて、捨てられないものです。
「まだ履けるだろう、まだ着られるだろう」という観点で考えると、なかなか捨てられませんが、その、ヨレヨレの下着や衣類を身につけている自分は、自分がなりたい自分の像とマッチしているだろうか、と考えると「こんなのを着ているようではダメだ」と思えて、潔く捨てられます。
高い衣類は買えなくても、リーズナブルなものを清潔に小ぎれいに身につける、それが大事かなと思います。
一度、「えいっ!」とゴミ袋に入れて、ごみ集積所まで持って行ってしまえば、未練はなくなりますし、ごみ集積所まで、一度捨てた衣類や物をわざわざ取りに行く勇気はなかなか沸き起こりません。
なかなか物を捨てられない人、ぜひ、一度お試しを^^
人付き合いも時の経過とともに変化していく
わたしは、前に向かって生きる感が強く、基本的に後ろをあまり振り返らないタイプです。
一時にすごく使ったもの、必要だと思ったものであったとしても、時が経ち不要になれば捨てていきます。
誤解を受けてしまうかもしれませんが、人間関係も同じで、時代と共に、自分自身の考えも、生き方も、外的環境も変化していきますので、その時の自分に合わせて、人付き合いもしていく傾向がわたしにはあります。
「あの人変わったよね」という言葉も聞きますが、人は変わっていっても不思議ではないと思います。
根本的な性質は変わらないのかもしれませんが、外的環境により大きく人生は変わっていくので、ある意味当たり前のことかもしれません。
寂しいことではありますが、自分も相手も、時の経過と経験とともに、考え方も、生き方も、生きる場所も変わっていきますので、ずっと一緒ではいられないとわたしは思っています。
もちろん、奇跡的に長くお付き合いできる人もいますが、そういう人とは、外的環境や生きる上での価値観という部分で、上手い具合に重なり合う部分が多いということだと思います。
人付き合いの場合は『断捨離』と言うのは不適切ですが、お互いが変われば自然と離れていく人もいれば、変わったことで、新たな出会いも出てくるので、自分を取り囲む人付き合いの輪の大きさも、適宜維持されていくものだなと思っています。
どうしても捨てられないものは捨てなくても良い
なんでもかんでも捨てれば良いというものでもありません。
人には、どうしても捨てられないもの、捨てたくないもの、という離れられないものもあります。
それらの物を捨てる必要はぜんぜんないし、ずーーーっと自分が死ぬ時まで、なんなら、自分が死んだら棺桶にも入れてもらって、あの世まで一緒でも良いと思います。
人は理屈だけでは上手くいかないもの。
理屈で考えても解決できないものもあって良いと思いますし、そのほうが人間らしくていいなと思います。
わたしにも、特に使わないし、見ることもないけど、ずーーーっと大切に取ってあるものがいくつかあります。
ひとつは、オーストラリアにある世界で一番白い砂浜の砂。
ビーチの砂を持ち帰ってはいけないと思いましたが、持ち帰ってきました。
わたしにとって、オーストラリアは母国と同じような感覚があり、特にシドニーには特別な思い入れがあります。
真っ白な砂は、あの時のまま真っ白。
あまり中を開けてみることはないけれど、その砂はわたしにとって、大事なものです。
それでは、みなさまも、年末のお掃除と断捨離を心のお掃除と思って楽しんでくださいね♪
byちびまる