画像:photoAC fujiwaraさん
優しくなりたい
昨日の朝、テレビをつけると、トランプ大統領支持者が、米国議会に乱入している映像が目に入ってきました。
殺気だった人々の姿。
乱暴に破壊される議事堂の窓ガラス。
亡くなられた方も。
世の中には、たくさんの人々がいて、それぞれ、いろんな考え方を持っていて、多種多様な人々で成り立っているから、衝突が絶えない。
きっと、これからも、衝突がなくなることなんて、ないのだろう。
同じ日のお昼に、また、テレビをつけると、米国ミネソタ州にある病院に勤務している日本人牧師が、1羽の折り鶴とともに、コロナ感染患者の心に寄り添うニュースに触れました。
彼がYoutubeで「折り鶴を送って欲しい」とメッセージを送ると、1,000人以上の見ず知らずの日本人から、折り鶴が16,000羽も送られてきたという。
そして、その折り鶴は、病院に入院している患者さんや、病院関係者により、ひとつずつ、糸を通され、病院の天井や、病院内のあらゆる場所に飾られるという、なんとも心温まるお話。
折り鶴というひとつのサブジェクトを通じて、たくさんの人が心を通わせることができた、奇跡のプロジェクト。
人は、こんなにも、見ず知らずの人々に対して、優しくなれるものなのかと、目頭が熱くなり、また、わたしのハートも、とても温かくなりました。
その素晴らしいストーリーがこちら↓↓↓
ひとつの折り鶴と、他人を思いやる優しさが、こんなミラクルを起こせるなんて、素晴らしいなと思いました。
同じ日に、「闘争心むき出しの人々」と「そっと心に寄り添う優しい人々」に触れました。
人は、時には、戦わなければならないこともあります。
もちろん、わたしも。
でも、できることならば、なるべく、優しい世界に触れている自分でいたい。
そう思いました。
きっと、世の中の多くの出来事は、人の心を傷つけるまで、責めたり、攻めたり、する必要がないであろうことばかりではないだろうか。
人は選択できる
多くの場合、人は、いろいろな局面で、選択権が与えられています。
日々のちょっとしたことでも、すべてが選択の連続。
そのひとつ、ひとつの選択において、できる限り、優しさで溢れる自分でありたいと、願います。
わたしは、なかなか、感情をコントロールできないほうで、自分が想定していたことから、ちょっとでも目の前にあることに相違があったりすると、イラっとしてしまって、不必要に、周囲に不愉快な思いをさせてしまうことも多々あり、日々反省。
心がけ次第で、自分の在り方を変えていけるかもしれない。
さりげない優しさ
さりげない優しさを持てる自分でいたい。
周囲が気づかないかもしれない、そのぐらい、さりげない優しさ。
物にも、人にも。
不思議なもので、物にも、人にも、少しだけ「丁寧に」と意識するだけで、自分のハートもほっこり、温かくなります。
わたしは、せっかちさんだから、油断すると、すぐに雑な自分が顔を出してしまいます。
そんな自分の性質を受入れ、少しでも、優しい世界を作れる側の人間でありたい。
コロナでなかなか、人にも会えないこの世の中。
優しい気持ちを届ける方法は、ひとつではないかもしれないですね。
コロナは、わたしたちから、普通の生活を奪ってしまいましたが、もしかしたら、悪いことばかりではなく、現代のわたしたちに、何か気づかせるきっかけを与えてくれているのかもしれないですね。
当たり前のことが、当たり前にいかない、不便があるからこそ、気がつけることがあるのかもしれない。
そんなことを考えながら、今日も一日過ごしています^^
それでは、みなさまにとっても、優しい世界が広がりますように。
by ちびまる