画像:photoAC熊澤充さん
なんの取り柄もない自分に嫌気がさして、『このままじゃ嫌だー!』『こんな人生つまんなーい!』と感じ始めた23歳。
英語が喋れるようになりたいと夢を見て、田舎を飛び出した24歳の秋。
恋の勢いで日本を飛び出して、移民大国オーストラリアに上陸したのが26歳のクリスマス。
真夏のオーストラリアで、エメラルドグリーンの海、そして真っ白のビーチを自分のこの目で見た時は、心臓がバクバクする程の興奮した。
海の美しさに感動しつつも、『わたしはやっと、ここまで来たんだ』と、前進を感じた瞬間に胸が高鳴った。
とは言え、実際には一人じゃ買い物さえ満足にできず、オーストラリアという異国の地で、嫌でも直面させられた『無能な自分』。
何度面接に行っても『あなたは要らない』と言われ続ける日々。
何にもできない無能な自分という烙印を押し続けられ、『あんたなんか要らない』って言われ続けると、自分の存在さえ否定されている気がした。
ただただ、悲しくて、寂しくて、悔しくて、涙ばっかり溢れて、泣いてばっかりいた26歳。
あの時の悔しさを、わたしはずっと忘れない。
自分はそんなに出来ない人間なのかと、どん底まで落ちて、泣くだけ泣いた。
でも、どんなに辛くても、悲しくても、泣き続けることってできないもの。
そのことを、身をもって実感した。
思いっきり泣いて、『自分なんて、何もできないクズだ!~無能なんだ~!何が悪い!!』って思う存分グチグチ言ってみると、以外とスッキリして、自然と力が湧いてきた。
それからは、開き直って、『失うものなんて、どうせはじめから、何もないんだから』と、意地も変なプライドもかなぐり捨てて、『まずは、すぐ行動』を繰り返した。
それからというものの、チャンスの神様がさりげなくやってきては、『次のステップの、はじめの一歩』を、ここぞという時に運んできてくれた。
はったりとやる気だけで、2週間のアルバイトで、まずは働くきっかけの切符をもらって、銀行での仕事を手にしたのが27歳の春。
胃痛に悩まされながらも、必死に食らいついたアロマの勉強。
英語が聞き取れなければ、『面倒だなぁ』という顔をされても、何度でも『教えて』と聞きに行く、勇気としぶとさを身につけ、念願のアロマセラピストの資格を取得した29歳の夏。
この頃から、本当の意味での『わたしの自我』が目覚めはじめた。
わたしは、子供の頃から、なーんにも興味を持てるものがなくて、真面目に『自分には、欠陥があるんじゃないか』と思い悩むほど、『これが欲しい、これがやりたい』と本気で思えるもの、興味を持てるものが一つもなかった。
だから、こんなに、がむしゃらに、何かを手に入れたいと思えるようになったのも、自分の意志をしっかり持てるようになったのも、オーストラリアにいって、『あんたなんか要らない』って、どん底まで落とされて、自力で這い上がった頃からだった。
どんなに辛くても、どんなに泣いても、目の前の現実から、逃げたいとは思わなかった。
それはきっと、『英語が喋れるようになりたい』と思う気持ちが、辛さよりもずっと強かったからだと思う。
はじめて、自分の『やりたい』を見つけた私。
毎日が試練だったけど、毎日が楽しかったです。
byちびまる