空飛ぶちびまる (自由気ままに)

おひとり様女子のエッセイ

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チャンスの神様は当然舞い降りる

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画像:photoAC熊澤充さん

ワーホリでシドニーに行くも、ぜんぜん仕事が見つからなかった頃、時は1998年にさかのぼります。

 

英会話スクールの時と同じく、『キャラと勢いだけ』で雇ってもらった銀行のアルバイト。

 

採用期間は『たったの2週間』

 

その後が不安であったが、まずは目の前のことだけを見ることにしました。

 

面接で、わたしが答えた質問内容な『はちゃめちゃ』でした。

 

『ワード、エクセルはできますか』という問いに、

 

『できるかと聞かれれば、できると答えます』という具合に、わけのわからない回答。

 

だけど、本当のところは、英会話スクール時代に、パソコンのスクリーンにワードやエクセルの『アイコンを見ただけ』であって、使ったことはありませんでした。

 

要するに、『はったりをかました』のです。

 

ほんとは、嘘が苦手な性なのだが、たぶん、『ものすごく、必死だった』んだと思います。

 

英語もできないし、パソコンもできない自分。

 

特別何かできるかって聞かれても、わたしには、何もありませんでした

 

当時は、『2000年問題』という、西暦が切り替わる際に、金融のシステムが問題なく動くかどうか、誰もわからない中、システムトラブルは許されない、という大きな壁にぶつかる時代。

 

システムの検証や、バックアッププランなどに、すごいお金をかけて対応していたわけで、わたしはそんな時代に、『猫の手でも借りたい』ぐらいのポジション、いわゆる雑用係で2週間ハイヤーされたのでした。

 

わたしは、『猫の手』として雇われました。

 

『コピーとりや、お茶くみぐらい』にしか、役に立たないわたしを、よく雇ってくれたなと、今となっては、まさに『ミラクル』です。

 

こんなわたしを雇ってくれた、当時の上司には頭があがりません。

 

勇気ある決断に感謝。

 

あとで聞いた話だが、わたしの面接に同席した副社長が、『おい、おい、あんなん雇って大丈夫???』と、『え~まじ~!?』という状況だったみたいだが、当時の私の上司は、使えなければ2週間で終わればいいだけ、と考えてくれたのがラッキーでした。

 

シドニーの中心地で高層階のきらびやかな素敵なオフィスでのお仕事。

 

まるで、別世界にきたような気分で、毎日緊張しっぱなしではあったが、上司に頼まれることは、とにかく、速く、間違いなく、『なんでも、頼まれたことは、嫌がらずやる』ことに120%努力しました。

 

当時の社内には、全体の『8割が現地採用の外国人』で、『国際豊かな職場環境』でした。

 

今覚えているだけで、当時の職場には、


南アフリカ
イタリア
フィリピン
ギリシャ
中国
台湾
シンガポール
パキスタン
ベトナム
マレーシア
香港、等

 

バックグラウンドを持ったオーストラリア人(もしくは永住者)と、オーストラリア育ちのオーストラリア人が社内にはいた。でも、不思議なことに、アメリカ人やドイツ人などは、いそうでいませんでした。

 

2002年のメガバンク統合騒動の前の話しなので、わたしが勤務していた銀行は、他の2つのメガバンクと統合し、統合後は社員数も増え、より一層、バライエティな国のバックグラウンドを持つ人たちと一緒に働く、ということを経験しました。

 

合併後は、わたしが覚えているだけで、、、プラスαで、ペルー、フランス、イギリス、と、だいたい、他2メガバンクの社員も、背景のお国は被る人達が多かったです。

 

ちなみに、統合後の私の上司は『ギリシャ人』で、2児の女の子のお母さん。

 

私以上に、日本企業の文化にどっぷり浸かって、日本人的な奥ゆかしさを持っている女性でした。

 

彼女とは、常に、きゃっきゃと笑ってばかりいて、仕事しながらも、無駄話も多かった気がしますが、とても楽しかったです。

 

そんなこんなで、努力の甲斐あって、直属のわたしをハイヤーしてくれた上司の取りはからいで、2週間が4週間、4週間が3ヶ月、3ヶ月が6ヶ月、、、という具合に、私の雇用期間は伸びに伸びていきました。

 

その間に、ワード、エクセル、メールも教えてもらって、なんとか、『使ってる』と言える状態までに。

 

最初は、エクセルなんて、開いたこともなかったから、アイコンをダブルクリックして開く、ってのも知らなかったし、開いた後に出てきたマス目をみて、いったい、『どのようにしたら、このマス目は動くのか』どのようにしたら、このマス目は動くのかと、本気で考えこんだものでした。

 

そんなわたしも、時間が経つにつれて、パソコンにも、英語にも、少しず~つ慣れていって、片言の英語で、社内にいる外国人とも話ができるようになっていったのです。

 

そんな『ド素人x100なわたし』を、1から根気よく教えてくれた、当時の上司には、今でも心から感謝しています。

 

当時の上司は、ちょうど今のわたしよりちょっと若いぐらいのアラフォー女子で、バリバリのキャリアウーマンであったが、ユニークなお人柄で、ずいぶん笑わせてももらいました。

 

そんな彼女から、私は、見よう見まねで、『英語』というものを学んでいきました。

 

同時に、国際豊かな職場から、少しずつ、『国際感覚』を身につけていけたんだと思います。

 

いずれにしても、このチャンスを手にしなかったら、今の私はなかったと思います。

 

わたしは、つくづく、人に恵まれていると、思う今日この頃です。

 

また、経験した国が、『マルチカルチャー』のオーストラリアであったこともラッキーでした。

 

 

byちびまる