空飛ぶちびまる (自由気ままに)

おひとり様女子のエッセイ

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希望の仕事に就くまでの道のり

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画像:photoAC熊澤充さん
 

11年ぶりにシドニーから帰国して、久しぶりの日本社会での生活に大きなギャップを感じながらも、2009年9月に日本での生活をスタートしたわたし。

 

長年の海外生活を経てからの帰国だったので、できることなら、英語を使って、グローバルに仕事がしたかった

 

でも、現実は違いました。

 

今は、海外事業にどっぷリ浸かって仕事をしているわたしですが、最初から、海外事業の担当者として仕事ができたわけではありませんでした。


 

海外事業のセクションがなかった


入社当初は、海外事業のセクションもなかったし、海外事業を担当するポジションもありませんでした。

 

会社としては、製品の輸出入はしていたものの、海外市場に関しては完全に受身のビジネス。

 

英語が堪能な人はひとりもいなかったし、海外のやり取りと言えば、受発注の決まったメール対応ぐらい。

 

誰一人として、海外事業に目を向けてはいなかった組織において、新入社員のわたしが、「海外売上伸ばしましょう! わたしが担当します!」と言ったところで、わたしの意見にまともに耳を傾けてくれる人はいなかったし、希望を言ったところで、聞いてはもらえませんでした。

 

わたし自身、海外生活経験者というだけで、大それたことを言える自信も能力もありませんでした。

 

海外事業の売上は会社全体の1割もなく、会社としては、おまけのような存在でしたし、優先順位は低かったです。

 

帰国後の最初のお仕事


わたしに割り当てられた最初のお仕事は、お水の仕事。

 

といっても、水商売ではないです^^

 

国内市場向けの営業職で、新成分配合スポーツ飲料のを販売する仕事です。

 

わたしが働く会社は、そもそも飲料水業界の会社ではなく、ライフバイオサイエンス系の会社なので、完全に畑も違うので、会社もわたしも、ぜーんぜん経験がないままスタートした事業でした。

 

それは、体を張る仕事でした。

 

B to C の事業でしたから、個人のお客様向けに、お水の新成分の説明から試飲会まで、あらゆるところに出かけて行ってプロモーションをするのがメインの仕事でした。

 

結果として、失敗した事業だったのですが、製品開発から営業~販売までの全部を担当したので、製品を世に出すという良い経験をさせていただきました。

 

体を張る仕事


スポーツ飲料ということもあり、結構、体を使う仕事をしました。

 

たとえば、

 

1.マラソンの練習会で10キロ走る
2.炎天下の中、山道20キロのウオーキングコースを下見する
3.10キロ以上のカートンの配達

 

など。

 

水なので、結構重たいんですよね。

 

力こぶができました。

 

今でも、変な力こぶがあるので、逞しい腕をしてます。

 

残念ながら、この事業は業績不振で廃止となりました。

 

営業で長距離の電車通勤を経験


一日の8~9割が普通電車での移動という辛い日々を経験しました。

 

これは、正直、結構凹みました

 

仕事を辞めようかと、真剣に思ったぐらいです。

 

ここでは詳しくは書かないですが、時間をコストと考えない人達もいるのです。

 

わたしにとって、毎日の時間を、どのように過ごすのかは、とても大事です。

 

なので、1日のほとんどの時間が、電車に揺られていて、それも、仕事ができる環境ではないというのは、わたしの時間を浪費している気がして、虚しさがこみ上げ、けっしてハッピーな状況ではありませんでした

 

3.11で全てが変わる


2011年3月11日

 

多くの人にとって忘れられない日となりました。

 

わたしはこの日、上野駅に向かう新幹線の中にいました。

 

大都会東京で被災。

 

上野駅に放り出され路頭に迷いました。

 

幸い、ネットカフェからスカイプにて会社に連絡ができ、神田にご自宅がある社員のご自宅でお世話になり、翌日無事に、自宅に帰ることができました。

 

わたしの実家は南相馬市にあります。

 

わたしの家族も、わたしも、いろいろと影響を受けました。

 

避難民となり、わたしが住む居住地へ家族がやってきて、バタバタと対応に追われる時間が過ぎていきました。

 

余震が続き、わたしの家族も大変、ということもあり、わたしは、外勤営業から内勤になりました。

 

その後、国内の営業事務を担当し、わたしの有効活用ということで、英語のことならすべてわたしに、という雰囲気が社内で出来上がり、英文契約書、海外商談対応、トラブルシュートなどをしているうちに、いつの間にか、海外事業担当者的な仕事が増えていきました。

 

3.11 

 

日本にとっては、未曽有の災害。

 

でも、わたし個人にとっては、この日をきっかけに、全てが良い方向に転換となりました。

 

TOEIC900取得、そしてMBAも取得する


心のどこかで、海外事業の責任者になりたい という気持ちが芽生えていたのだと思います。

 

自分のキャリアにとって、何か大きくプラスになるものが欲しかった。

 

周りに認めてもらえる、仕事を任せてもらえる、きっかけとなるものが欲しかった。

 

それが、TOEICの 900超え、そして、MBAの取得だったかもしれません。

 

MBAを取ったところで、何も待遇は変わらないよ、と言われていたけど、実際には、ひとつ、ひとつのチャンスを手にし、努力を重ねることで、わたしの外的環境は少しずつ変わっていきました。

 

海外担当課ができ、主任という役職を頂いて、スタッフもひとりつけてもらって、海外にも一人で出張することを認めて頂けるまでになりました。

 

わたしにとっては、大きな前進です。

 

海外出張も、最初は、『何にもバックグラウンドがないから、無理でしょう』と言われてましたが、一度チャンスをもらって、持ち帰ったものを認めて頂き、それからは、認めて頂けるようになりました。

 

今のわたしが、希望の職につけたのは、MBAをとったから、TOEIC900以上とったから、それだけではなく、むしろ、努力をしたから、頑張ったから、という点と、自分が生み出すアウトプットを認めてもらえたからだと、思っています。

 

わたしは、幸運だったかもしれません。

 

でも、幸運は、自分で引き寄せたと思っています。

 

周りから『無理でしょう』と言われても、自分を信じてひたむきに、頑張って努力したから今の自分があると思っています。

 

何かを目指して、ひたむきに努力をしていれば、必ず見ていてくれる人がいます

 

だから、わたしは、努力は報われると思っているし、価値のある行動と思っています。

 

これからも、明るく、前向きに、自分のやりたいこと、目指したいことに向かって、頑張りたいと思います。

 

もしも、どこかで、自分はダメだ、とか、他の人より劣っている、とか、平均以下だ、とか、努力しても無駄だ、と思っている人がいたら、どうか、諦めないでほしい

 

だって、わたしも少なからず、そういう自分と向き合った時代があったのだから。

 

諦めるのではなく、途中で、自分のやりたいことが変わってきた、だから、方向転換する、というなら良いと思います。

 

それも自分が選ぶ人生

 

でも、何か自分にとって大事なことを決めるときは、自分の心にしたがって決めた方が良いと、わたしは思います。

 

また、やりたいのに、やれない、あと一歩のところで諦めるというのは、もったいなかなと思います。

 

わたし自身、まだまだ、ぜんぜん、自分がやりたいことをやりきれてはいないし、自分が欲しい結果を出すこともできていません。

 

人生これからです。

 

これからも、前を向いて、1歩でも、2歩でも、前に進んで、「わたし、頑張っているな、前に進んでいるな」と感じながら、生きていきたいなと思っています。

 

疲れたら、休んでもいい、止まってもいい、泣いてもいいし、落ち込んでもいい、愚痴を言ってもいい。

 

でも、思う存分、休んで、止まって、泣いて、落ち込んで、愚痴を言ったら、あとは、上を向いて、前を向いて、一歩を踏み出そう^^

 

byちびまる