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おひとり様女子のエッセイ

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マスク着用は任意に。個人の判断に委ねられ、どうする?わたしは外しました、発表のその日から。

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画像:photoAC beauty-boxさん

 

マスク着用は任意に

 

2023年3月13日。

 

やっと待ちに待ったその日がやってきた。

 

マスク着用義務からの解放。

 

政府から正式に「マスクの着用は任意とし、個人の判断に委ねる」と発表され、わたしは、その日から、すぐマスク外しました。

 

まわりは、99% マスク着用していましたが、わたしはマスクせずに生活してます。

 

昨年11月から欧米に出始めたわたしは、マスクを外した日常が、いかに開放的であるかを思い出し、「あ~、なんで日本はこんなに対応が遅いのか。」と思ってました。

 

正直なところ欧米諸国において、コロナは過去となりつつあり、誰もケアしている感がありません。

 

もちろん、医療現場においては、まだコロナ患者の対応や、また実際にコロナに感染し苦しんでおられる方もいるかと思いますが、一般的な人々の日常という括りで考えると、欧米と日本のその対応において、大きなギャップを感じてます。

 

日本は遅い。とにかく、遅い。

 

ようやく、2023年3月13日にマスク着用の義務化が緩和され、マスク着用は、個人の判断に委ねられるアナウンスがあり、わたしはとても嬉しく思ってます。

 

マスクを外さない日本人

 

下記、興味深い記事を拝見しました。

 

マスクはこれまでも任意だったのに…それでもマスクを手放せない日本人の「事なかれ志向」は実に情けない(プレジデントオンライン) - Yahoo!ニュース

 

海外営業にて国外に出て、日々特に欧米各国の企業と仕事をしているわたしは、上記の記事の内容に、一部共感できる部分があります。

 

日本人の事なかれ志向の傾向は、好きじゃありません。

 

また、あまりにも周囲の目を気にする人たちも、好きじゃありません。

 

何より、そういうの、つまらないなーと思ってます。

 

自身で確固たる意思があり、「わたしはマスクを着用する」というのだったら良いと思うのです。

 

それは、自身が何らかの理由で、マスクを着用するほうを選ぶというなら、それは個人の自由であり意思であり、尊重すべきとわたしは思います。

 

例えば、

 

〇花粉症だから

〇保湿できるから

〇ウイルス感染したくないから

〇マスクが好きだから

〇心地良いから

〇周囲に配慮したいから

 

など、何でも良いのですが、「自分がそうしたいから、そうしてる」というのが大事。

 

ただ、わたしが嫌だなーと思うことは、「まわりの目が気になるから」という理由で、マスクを外したいとは思うけど、周りの流れに従い、外さないというその姿勢。

 

集団主義、協調性、周囲への配慮など、日本人の国民性として、それ自体は素晴らしい面もたくさんあるし、否定はしません。

 

でも、自分がどう考えるかということよりも、周囲からどう思われるかということばかりにとらわれ過ぎている人は、個人的には好きではないです。

 

3月13日に社内でマスクを外していたのは、わたしと社長と役員一人、たった3人だけでした。

 

それ以外の社員は100%マスク着用してました。

 

理由は実際に聞いてないので、その背景については正確にはわからないですが、街に出ても、肌感覚ではありますが、99%以上の人がマスクを着用してました。

 

外にいても、屋内にいても、どこにいても。

 

仮に100%まわりの人がマスクしてても、もしも、自分に判断する自由が認められているのであれば、わたしはマスクをしないです。

 

とは言え、頑なに「わたしはマスクを絶対しない、どんな時も!」というわけではなく、もしも、目の前にいる人から、「自分は感染リスクが高いから、マスクをして欲しい」と要望されれば、わたしは快くマスク着用します。

 

また、例えば、病気で免疫力が低い患者さんとの面会や、高齢者と密に話をする場合などは、自ら進んでマスクをし、相手が心配しないように配慮したいですし、相手の感染リスクをできる限り抑制したいと思いますから、マスクを着用します。

 

そのあたりは、臨機応変にシチュエーションに合わせて、自分の判断でマスク着用するか否かを決めてます。

 

自身で決める勇気

 

わたし自身は、長年、個人主義社会で生きてきたので、常に「あなたはどう考えるの?どう思うの?何を選択するの?」と聞かれるので、自分の意思に従い言動することは、わたしにとっては自然なことです。

 

でも、集団主義色が強い日本社会においては、自分の意思が大半の人たちと異なる場合、自分の意思を表に出すことが難しい人が多いのだなぁと、今回のマスク着用が個人の判断になった際の人々の反応を見て実感しました。

 

日本にいる多くの日本人は、周囲と異なる自分を受け入れるのがとても難しく、居心地の悪さを感じるのだと。

 

この社会の状況は、会社においても同じで、周囲と異なる意見を主張する、周囲と異なる行動をすることに対して非常に消極的というか、できる限り目立ちたくない、失敗したくない、変だと思われたくない、非難されたくない、結果責任を取りたくない、という気持ちが前面に出る人が多いのだろうなぁと思います。

 

外国企業から「日本企業は決定が遅い、権限者でも決定しない、できない。」という嘆きをよく耳にします。

 

「決定できないのなら、なんのために会議に参加してるのだ、何のための時間なのだ」とフラストレーションを覚える欧米人も少なくありません。

 

正直なところ、わたしも欧米人と同じように、日系企業に対して同じ印象を持っています。

 

決定が遅い、リスクや責任を取ろうとする人がいない

=黙る、しゃべらない、自らの意見を発言しない人が多いです。

 

それは、企業の衰退につながりますし、個人も成長しません。

 

次々と決定し、リスクをとって、時には失敗して反省し、改善を積み重ねて前進できる企業は強いし魅力的です。

 

わたしもそういった企業で働きたいと考えてます。

 

だから、今の会社(組織)の体質を、人の新陳代謝を促すことで変えていきたいと思っています。

 

正直なところ、年齢がある程度いっていると、よっぽど衝撃的な何かがないと、人は変わることができないと感じてます。

 

マスク着用するか否かの議論は、たいした話ではないかもしれませんが、日常のこういった、ちょっとした一コマで、「自分はどうしたいのか、何を選択するのか」を真剣に考え、自分の選択に責任を取りたいものです。

 

来週から、また長期で海外出張に出ます。

 

逆に欧米ではマスク着用している人口は少なく、ほとんどといってよいほど、Noマスクです。

 

そんな中、わたしは、飛行機の中や、空港、学会会場などではマスクを着用してます。

 

なぜなら、長い海外出張時に万が一コロナに、もしくはそれ以外のウイルスに感染し体調を崩すわけにはいかないからです。

 

マスク着用で全てのリスクを回避できるとは思いませんが、少なくとも、着用しないよりは、少なからずリスク回避できる確率は高くなる、そう考えてます。

 

きっと、周りには「あいつ、まだマスクしてんのか」とか、「マスクしても意味ないのにね」、「なんだか遅れてるね」なんて、いろいろと思う人もいるでしょう。

 

でも、そんなこと、わたしは気にしないです。

 

だって、マスクを着用するか否かはわたしの自由であり、わたしの個人の考えにより判断されるものだからです。

 

まわりに迷惑をかけているならまだしも、そうでなければ、まわりがなんと思おうと、わたしの知ったこっちゃないです。

 

見ず知らずのすれ違っていくだけの人が、自分を見てどう思うかなんて、考えたって何かできることはないですし、そんなことを気に病むのは、時間とエネルギーのムダでしかありません。

 

それよりも、自分がどうしたいか、どうすることが快適なのか、力を発揮できるのか等、自分の意思で決めて、その決断に責任をもって生きる方がずっとずっと楽しいし、自由でいられます。

 

今回の出張は、UK、スペイン、ドイツと3週間ほど周遊し、たくさんの人たちと会って、話をたくさんして、現地から学んでくるつもりです。

 

それでは、みなさま、have a nice day

 

by ちびまる