画像:IB ANTONI.DK WONDERFULCOPENHAGENポストカード
あなたは自分を好きですか
あなたは、自分のことを好きですか?
それとも、自分のことが嫌いですか?
『好きです』と即答できる人は、自信がある人だと思うのです。
『嫌いです』と即答できる人は、自信がないのかもしれません。
遠い昔、わたしは、自分が好きではありませんでした。
そして、自信もありませんでした。
今のわたしは、自分が好きです。
そして、自信もあります。
わたし個人の経験、そしてひとつの事例として、興味がある方は、先を読んでいただければと思います。
今、自分が好きになれない人、嫌いな人、自信がなくて悩んでいる人へ、ひとつだけ伝えたいことがあります。
それは、『わたしもそうでした。でも、未来は自分次第で、いくらでも変えられる』ということです。
自分を好きになれない苦しみ
自分を好きになれない、というのは、
辛く、悲しくて、苦しくて、そして寂しいものです。
少なくとも、わたしはそうでした。
辛くて、悲しくて、苦しくて、そして寂しかったです。
自分を好きになれない背景には、
〇自信が持てない
〇コンプレックスが強い
〇他人と比較し、劣等感を感じる
〇上手く社会になじめない
などがあるでしょうか。
自分を好きになれないということは、自分を大切にする気持ちも芽生えない、ということにもなるかと思います。
自分を大切にできない人は、周りの人を大切にすることもできません。
大切にしているつもりでも、それは『あなたのためを思って』と、恩着せがましい余計なおせっかいになっているかもしれません。
そして、相手は、『まずは自分がハッピーになりなよ』と思っているかもしれません。
周りの人を大切にできないと、
周りからも距離を置かれるれ、
孤立する、というリスクもあります。
まわりと上手く馴染めないというのは、とても居心地も悪いし、自信もなくなり、毎日も、なんとなくつまらなく、景色が灰色というか、心が沈んでしまいます。
そんなわたしも、一番輝く10代~20代に、ずどーんと深く沈んでました凹
でも、わたしなりに、一生懸命生きて、自分のことが好きになりました。
わたしが、気がついたら自分を好きになれてた、克服方法をご紹介します。
自分が好きじゃなかった時代
画像:里の樹「森のおはなし」ポストカード
10代~20代前半のわたしは、自分があまり好きではありませんでした。
何が好き?と聞かれても、
特別好きなものが見当たらない
何がしたい?と聞かれても、
特別何かしたいことが見つからない
何が得意?と聞かれても、
特別何も誇れる特技もない
どう思う?と聞かれても、
何も考えが浮かばない、など
頭の中が空っぽで、何も言えない。
自分の意見というものがなくて、学生時代はクラスメイトとの雑談の時間=休憩時間が一番苦痛で、居場所がありませんでした。
自分で、自分がよくわからなかった、深く考えたこともなかったので、どうして自分には意見がないのか、ぜんぜんわからなかったのです。
誰かに意見を求められるのが怖くて、そして誰とも共感できるものが見つけられなくて、自分は能力的に欠陥があるんじゃないかと本気で悩んだ時期もありました。
また、自分の行動も、どこか表面的というか、一生懸命やっているようで、実は一生懸命やっているふりをしている自分がいることを自分で知っていたので、そんな自分が薄っぺらい人間に思えて嫌でした。
一生懸命やっているふりをしているだけの自分に、結果を残せるはずがありません。
パッとしない学生時代を過ごしていました。
そんな自分に追い打ちをかけた事件がありました。
社会人になって、営業の仕事に初めて就いたときのことです。
熱血の上司に、
なんで、できないの?
なんで、わからないの?
なんで、そう返す?
感情はないの?
営業トークのロールプレイをしている時、そして、ただ雑談で話をしている時でさえも、なんで、あなたはそういうリアクションしかできないの?、という攻撃にあっていました。
上司としては、この子(わたし)を何とかしようと思ってくれ愛のムチのつもりだったのだと思うのですが、わたしにとっては苦痛の一言でした。
わたしの言動、存在そのものが、どうしても上司の意にそぐわず、がっかりされる、イラっとされる、というのが常でした。
わたしの行動全てにおいて気に障る先輩もいて、何をするにも『うるさい!』と捨て台詞を言われてしまう自分がいて、息を吸うのも気が引ける・・・という、窮屈極まりない環境に身置く時代もありました。
また、職場でなくても、近隣の住民や大家から、
〇ごみの捨て方が悪い!
〇夜の帰宅が遅すぎる!
〇男を連れ込んでいる!
(確かに、その時は彼氏がいたので一緒にアパートに帰ったこともあります。)
わたしの行動すべてが気に入らない、夜帰ってくるのをずっとカーテンの陰から見張っている、みんなでこそこそわたしを見て話している、後ろ指差される・・・みたいな、とにかく凹む事が多過ぎて、ほんと、全てが嫌になった時もありました。
突然早朝に、アパートのドアを勝手に大家に開けられて、自分が捨てたごみ袋を玄関にぶちまけられたこともあります。
今思うに、わたしの行動・言動にも問題があったのだと思いますが、自分では何が悪かったのか、さっぱりわかりませんでしたし、今となっても、なぜそこまで嫌われたのかわかりません。
わからないからこそ、まじめに、自分には何か欠陥があるのかと、本気で悩んだ時期もありました。
どこにいってもうまくいかない、嫌われてばかりの自分。
情けないやら、苦しいやら、涙ぽろぽろ流してばかり。
『人間失格』
そんな言葉が頭をよぎることも多々ありました。
そして、何においても、自分が何を感じているのか、何をしたいのか、どう思うのか、さっぱりわからなくて、とにかく、ただただ自信がなかったのです。
自分は、普通の人よりも、何においても劣っている、そして、レベルが低い人間だと思い込んでいた時期もありました。
周りに認めてもらえない、なぜか嫌われる、なぜか怒られる、後ろ指差される、そんな毎日が続いて、心がささくれて、生活が乱れまくった時期もありました。
家にひとりで、いてもたってもいられなくて、唯一わがままを言っても許してくれる友人を夜中に呼び出して、近所の河原に連れて行ってもらって、話を聞いてもらって泣いたこともありました。
たぶん、寂しすぎて、どうしようもなかったんだと思います。
なぜ自分を好きになれなかったのか
画像:里の樹「森のおはなし」ポストカード
それは、どうしてか。
一番の理由は、『自我 (ID: Identity)』と『自己(Personality)』に気づけなかったから
ではないかと思っています。
自我とは:
端的に言えば、自分が考える「自分」が「自我」(identity)。
自分と他人を通しての「自分」が「自己」(Personality)です。
リバータリアン心理学研究所より引用
『自分が考える自分』もわからなかったし、『他人を通して考える自分』も、さっぱりわかりませんでした。
自分がどんな特徴のある人間で、何のために生きているのか、どこに向かって生きているのかも、よくわからないまま、20代前半まで生きていたように思います。
自我の目覚めは海外で
画像:里の樹「森のおはなし」ポストカード
わたしは、変わりたかった。
このまま、うだつの上がらない、パッとしない、つまらない人生で終わりたくなかったのです。
わたしは、輝きたかった。
その時は、まだ、具体的な『輝いた自分』のイメージはありませんでした。
でも、輝きたかった。
キラキラしたかったのです。
今のままじゃいけない、そう思ったのです。
今のまま終わりたくない、ただその焦燥感だけで、思いつくままに、自分を動かしていた気がします。
なんの具体的な計画も戦略もないまま、ただ、がむしゃらに、なんとなく、
〇海外に行ってみたい
〇留学したい
〇英語が話せるようになりたい
と、漠然とした憧れだけで、誰に相談するでもなく、なんの準備もないままに、勢いだけで海外に出ました。
英語がペラペラの、かっこ良い女子になってみたかった、ただそれだけの動機です。
なんとなくカナダ、と行き先を決めていたのですが、出会った彼氏がオーストラリア人だったという理由で、初めてパスポートをとって、オーストラリアに飛び立ちました。
英語なんて、全然できませんでしたし、お金だって、確か60万円ぐらいの貯蓄高だったと思います。
一言でいえば無謀、でも、その無謀な行動が、わたしの人生を切り開くきっかけになりました。
はじめて一人で飛行機に乗って、オーストラリアに降り立ち、彼氏の車でビーチに向かった際に見た海の青さと美しさは、今でも鮮明な感動として心に残っています。
坂道を下った先に広がるエメラルドグリーンの海と白い砂浜のビーチ。
人生で初めて、大きく胸が高まり、本当に胸がドキドキして、『自分は生きているんだ!』ということを実感したことを覚えています。
それ以来、わたしはシドニーに11年間住みました。
その間に、いろんなことを経験し、そして自分のいろんな感情にも触れました。
わたしの自我の目覚めは、シドニーでの生活を通して経験しました。
自分を好きになるために実践してきたこと
自分を好きになるには、『自信』が必要不可欠であるとわたしは考えています。
自信さえつけば、自分の強さと弱さを知ることにもなるので、自分を受け入れる勇気、そしてある意味潔い諦めのようなものも生まれてきます。
そうすればしめたもので、他人と比較する必要もなく、『自分』を主軸に生きればいいので、ぶれることも少なくなると思います。
自分を理解し、自分を受け入れ、自分を生きれば、自然と自分が大好きになりますし、周りの言動などに左右されることが少なくなりますので、毎日が楽しくなります。
1.自分で決める
まるで鉄砲玉のように、打ったら最後、親には2週間で帰るねといっておきながら、実際には11年間もシドニーに住んでいました。
海外に行くと決めたのは、まぎれもなく自分です。
誰にも相談はしませんでした。
相談したところで、決めるのは自分だと思っていたからです。
オーストラリアに行くことも自分で決めました。
そしてシドニーでの過ごし方も自分で決めて11年間過ごしてきました。
辛いこともたくさんありました。
苦しいこともたくさんありました。
たくさん、失敗もしました。
たくさん、恥もかきました。
だから、たくさん泣きました。
でも、自分で決めたことだから、どんな決断も、どんな経験も、一ミリたりとも後悔はありません。
自分で決めて、自分で行動に移し、結果は全て自分で責任を取る。
これを繰り返すことで、決断も早くなりますし、経験により感覚も身についてくるので、失敗しても、かすり傷程度で済む選択ができるようになってきます。
不安でも、わからなくても、答えが出なくても、たくさん、たくさん悩んでも、なんとか自分で進む道を選ぶのです。
この繰り返しが、自信につながっていきました。
2.まずは行動する
まずは、動いてみる、そして結果については、後で考えます。
まずは行動してみる、というのは、自信をつける近道だと思っています。
行動した結果、たとえ失敗したとしても、不思議と、行動を起こせた自分を誇らしく思えるものです。
それは、行動してみた人にしか味わえない感覚です。
まずは、えいっ!っと、行動に移してみる、小さな一歩を踏み出す努力を積み重ねてみます。
そうすると、いつのまにか、自然と、まずは動いてしまう自分に出会えるはずです。
3.孤独と自分を知る
見知らぬ外国の土地で、ひとりポツンと街の真ん中にいると、
〇わたしは、なぜここにいるのだろう
〇わたしは、どういう存在なのだろう
〇わたしは、どう生きたいのだろう
〇わたしは、なぜ生きているのだろう
〇わたしの存在価値は、何なのか
など、『わたしは、なんなのだ?』と、嫌でも自分と向き合う、自分を見つめる、孤独を味わう機会がたくさんありました。
わたしが、はじめて、寂しさではなく、孤独を味わった場所はシドニーです。
人間は、孤独な生き物なのだと実感したのも、その時です。
孤独というのは別に悪いことではなくて、孤独を知るからこそ、人にも親切に、そして優しくもなれると思うのです。
シドニーというマルチカルチャーな街で過ごしたことで、自分というIDはもちろんのこと、日本人としてのIDも強く感じるようになりました。
日本人としてのわたし。
個人としてのわたし。
彼と別れて、仕事も失って、経済的に恵まれているわけでもなく、他の人と比べて秀でるものもない自分と向き合うのは、それは、それは辛く、心細いものでした。
でも、ひとは、悲しみと寂しさのどん底に落ちてしまった後は、落ちていける場所さえなくなって、それ以上、下には行けず、泣くだけ泣いたら、嫌でも上に這い上がってこれるもの、ということも身をもって学びました。
何日も、何日も、泣き続けることはできないものなんだと、その時初めて知りました。
泣くというのは、ある意味、浄化される行為でもあるので、泣いた分だけ、すっきりするというか、立ち直りも早く、そして、ひとまわり皮が厚くなるというか、ちょっとやそっとじゃへこたれない精神力が養われてきます。
そして、恐ろしいほどの、開き直りの精神が生まれてくるものです。
4.自分に嘘をつかない
普通、ひとは大人になると、自分の欲求よりも周囲との調和を優先するようになる、
と、わたしは感じています。
周囲との調和や譲り合いの精神、そして自分よりも相手のことを考えて、自分の欲求は抑え込むようになりがちです。
いろいろと理由を並べて。
遠回しに周りのせいにしながら。
社会一般的には、我慢することも大切で、それが美徳であり、感動ドラマも生れます。
でも、わたしは、我慢することより、周囲との調和よりも、自分の欲求を最優先にして生きてきました。
自分に常に正直でありたい、それがわたしの生きるポリシーです。
進め方はいろいろ違いはあるものの、自分に嘘はつかない人生を歩むことを大事にしてきました。
わたしの生き方が正しいとは言いませんし、万人受けするとも思いません。
でも、わたしには、わたしの人生に責任があるので、自分の好きなように生きることにしています。
自分の欲求に素直に生きてきたから、例え明日、自分の身に何かがあってこの世を去ることになったとしても、『あーしておけばよかった、こーしておけばよかった』など、後悔はありません。
だから、自分ができなかったこと、やらなかったことを、他の誰かのせいにすることもありません。
自分がやりたいことをやってきたので、誰かの人生を羨む気持ちもありません。
素敵ね~、と思うことがあったとしても、それはその人の人生であって、わたしの人生ではないのだから、嫉妬する必要がありません。
これは、自信を持って言えます。
ある意味、とてもわがままに生きてきたからこそ、例え事故か病気で何かわが身になにかあったとしても、我が人生あっぱれ!とも思っています。
自分がやりたいと思っていたことをできなかったのは、他の人のせいではありません。
それは、自分がやりたいことをやらないと、自分が選んできた結果であり、それは自分の責任です。
それがわかれば、地道に、時間がかかろうが、いつ達成しようが、自分がやりたいことをできるように努力をすればいいだけであって、コツコツ1歩ずつでも進めばいいのだと思います。
そして、自分の言いたいことは恐れず口にします。
それが原因で、たとえ誰かの雷が落ちたり、ケンカになっても。
メンドクサイ自分なのですが、わたしは相手に対しても正直でありたいです。
5.自分を許す
わたしには、ダメなところがたくさんあります。
容姿だって、背は小さいし、おなかは出てるし、顔だって、年を取ればシワも増えるし、シミだってできてきて、決してきれいだなーという容姿ではありません。
顔や体型なんかは、自分の個性なのだし、それを他の誰かと似たようにしようとしたところで無理があります。
努力したところで、思うような顔や体になれないことに、大切な自分の資源「時間と労力」を費やすのはもったいないなと思います。
どんな美男美女だって、3日も見てれば普通に見えるし、その人の内面が外見よりも劣って見えれば、それこそ災難。
逆に、容姿はそこそこ、もしくはブサイクだったとしても、中身にきらりと光るセンスが見えれば、2倍にも3倍にも素敵に見えることだってあります。
だから、容姿にそれほどこだわる必要はないと思っています。
また、運転は下手だし、ゲームやクイズも弱いし、スポーツもダメ、小学生でもわかりそうな一般常識や算数もダメ、友達も少ないし、社交性も低い、などなど、
短気だし、深読み・先読みも苦手、ましてや、相手の一歩、二歩先まで見て、気の利いた行動なんてできないし、飲み会では女子力は低いだの、気が利かないだの言われっぱなしで、、、
自分は頭が悪いなーと思うところもたくさんあります。
ダメなところを探せばきりがないほど、えらいたくさん、ほこりのようにでてきます。
でも、ダメなところも一切合切自分なのだし、それを否定したところで、何か良いことがあるわけでもない。
逆に肯定する必要もなく、ただただ、『これがわたしなのだ』と受け入れるしかないのです。
良いところもあれば、ダメなところもある、両方あるからバランスが取れててちょうどいいんじゃないかとさえ思います。
ダメなところを直すつもりもないし、卑下するつもりも、さらさらないです。
でも、心から、『こういう態度は良くないな』とか、『こういうことができれば素敵だな』とか思うことがあれば、即実践します。
自分のダメなところがあるから、自分には味があり、誰かにとっては魅力的と思える要素かもしれないと、自分の都合の良いように考えるようにしています。
わたしは自分に甘いです。
そして他人には厳しいです笑。
人によっては嫌な奴、かもしれません。
でも、それでもいいと思っています。
だって、世界中の全員の人をハッピーにすることなんてできないのだから。
You cannot make everyone's happy.
というのは、シドニー在住の際に出会ったヨガの先生に学んだ言葉です。
偶然、身近にいる人が、自分のおかげで!?unhappyだったとしても、ごめんなさいね、でも、これがわたしなのとお伝えするしかありません。
どうしても、ケミカル的に合わなければ、自分がその場を去ればいいだけ。
自分がハッピーになれない場所に、自分を無理に置いておく必要はないと思います。
6.自分を生きる
他人が自分をどう思うのか、を考えるほど無駄なことはないと思っています。
周りの人が自分をどう思うかはコントロールしようと思ったってできないし、できないことを考えてもしょうがないことです。
それなら、自分の人生を中心に生きて、なるべくハッピーにいることのほうが、ずっと簡単ですし、それならコントロールできます。
自分のハッピーは自分で作る。
わたしは、自分の人生をよりよく生きることに関しては貪欲です。
かといって、バリバリのキャリアウーマン、上昇志向という感じでもないのですが、自分が幸せ、自分が楽しい、心地良いという空間に身を置き、なるべく自分の欲求を満たすことに資源(時間とお金)を使うようにしています。
また、他人と比べて生きることほど無駄なものはないなと、このお年頃になってようやくわかってきました。
以前は、もっとお金持ちになりたい、もっと、かっこ良い女になりたい、など、背伸びした時期もありました。
でも、よくよく考えると、なぜ、もっとお金が欲しいのか、なぜ、かっこ良い女になりたいのか、理由が曖昧だったりもします。
そもそもわたしは、物欲がそれほどないですし、できることならエコな生活がしたいし、物だって増やしたくないので、それほどお金を使う場面も思いつかない、というのが本音です。
わたしの知らないゴージャスな世界があるのかもしれないので、知らない世界を経験してみたいという野望はありますが、基本的には、素朴な庶民的な生活が自分には似合っていると思っています。
7.努力する
わたしは『努力家』と言われます。
そして、『まじめ』とも言われます。
わたしが努力をする理由は、自信を持つためです。
努力した分だけ、必ずリターンはある、というは経験から学びました。
努力は裏切らないです、たぶん。
努力は自信貯金です。
だから、努力は惜しまないことにしています。
もちろん、一瞬投げ出して、何にもしない、ぐーたらな自分になる時もあります。
でも、さんざんぐーたらして、怠けたら、落ち込むことと一緒で、いつまでも怠けてばかりはいられななくなります。
一度、放り投げて逃げ出したら、ちゃんと元の場所に戻ってきます。
そして、もう一度、目の前にあることと向き合います。
どうしても嫌になったら、仕方ないので、潔く捨てます。
せっかくの一度きりの人生ですから、自分の思うように生きたほうがいいです。
そしたら一度区切りをつけて、違う方向で努力をすればいいと思っています。
わたしが今までに努力して、成し遂げてきたこと。
〇旅行会社で働いたこと
〇海外生活を経験したこと
〇海外で生きる術を身につたこと
〇英語を習得したこと
〇アロマセラピストになったこと
〇海外で大手企業に勤めたこと
〇海外で起業を経験したこと
〇TOEIC900点突破したこと
〇MBAを首席で取得したこと
〇大学院の奨学金を獲得したこと
〇海外事業担当責任者になったこと
〇マネジメントの役職を得たこと
など、です。
これらのことは、約20年以上かけて成し遂げてきました。
途中で、たくさん転んで痛い目にあって、会社をクビになったり、泣いて泣いて、放り投げて、誰かを傷つけて、誰かに傷つけられて、、、
いろんなことを経験しながらも、なんとか、自分がやりたいことを自分なりに成し遂げてきました。
これから、自分の人生がどこに向かうのかわかりませんが、『何とかなる』という根拠のない自信があります。
8.自分のポリシーを貫く
わたしは、自分なりの生きるポリシーを持っています。
基本的には、ざっとキーワードを並べてみると
〇前向き
〇明るく
〇愚直に
〇楽しく
〇正直に
みたいなところです。
自分なりのポリシーをもって生きれば、誰かとぶつかったって、何かにつまずいたって、なんとか前に進めます。
わたしは宗教とかは特になにもないですが、自分なりに信じていることがいくつかあります。
わたしなりの生きる5か条は、親友に清書してもらって、額に入れて玄関に飾ってあります。
9.心地良い環境に身を置く
わたしは転職をたくさんしています。
転職は慎重に・・・というCMがありますが、確かにそうなのですが、わたしは第六感に従って、自分が生きる環境を変えてきました。
覚えている限りでは、
1.旅行会社
2.英会話スクール
3.日本食レストラン
4.大手銀行
5.IT系の会社
6.不動産会社
7.行政団体
8.ライフバイオサイエンス
転職7回!!!
シドニーにいる間は、アロマセラピーサロンを二足の草鞋で運営したりもしました。
学生時代は、新聞配達、コンビニや結婚式場でのバイトもしました。
道中いろいろ苦楽がありましたが、今となっては、すべて良い経験でしたし、今の自分の肥やしになっているのは間違いないです。
ひとつ残らず、すべての経験が今につながっています。
10.自分と向き合う
わたしは、いつの時代も、いろいろあったにしろ、常に真剣に、自分のその時代の人生と向き合ってきました。
シドニーにいた時代は、英語もろくにわからず、買い物ひとつ満足にできず、その辺で遊んでる小さな子供より、何もできないと、落ち込んでいた自分を手に取るように覚えています。
英語がわからないから、電話ひとつとるのが怖くて、電話のベルが鳴るたびにドキドキ、グズグズしていた時のことも鮮明に覚えています。
すべてがチャレンジ過ぎて、胃が痛い、逃げ出して穴に隠れたい、なんてこもしょっちゅうありました。
でも、自分の人生を諦めなかったし、投げ出さず、色んなところに飛び込んで、荒波に揉まれてきました。
いつも、本屋に行っては、なけなしのお金で、高額な日本書籍(それも、ほとんどハードコピー)を買っては、ノートと鉛筆をもって、『自分が今できることが何か』を考えて、書き出していました。
また、勇気を振り絞って、現地の事業家が集まるビジネスネットワークにも参加したりもしました。
何のとりえも自慢話もひとつもなかったわたしですが、事業家にアポイントをとって、ひとり会いに出向いたこともありました。
厳しい人には、激しくいろいろ突っ込まれては、悔し泣きをしながら、転んでは起きてを繰り返して、シドニーでは生きていました。
そして、自分でやりたいこと、なりたいことなどを、ひとつずつ、失敗しながらもチャレンジして、日々を過ごしてきました。
自我に目覚め、自己を知り、自分の湧き上がる感情に正直に生きてきました。
その結果、わたしはいつのまにか、自信をつけていって、自分を受け入れて、自分を好きになれたのだと思います。
わたしの経験が、誰かの役に立つかはわかりませんが、もしも、
〇自分が嫌い
〇自信がない
〇意見が言えない
〇上手く生きられない
〇自分の価値がわからない
という方にとって、何かひとつでも、ヒントになるようなことがあったら幸いです。
人生は、自分の考え方、行動、そして努力次第で、いかようにも素敵なものに変えられると、わたしは信じていきてます^^
そして、誰にでも、生きやすい場所、生きやすい生き方が、それぞれあるはずです。
ご近所さんと同じ生き方じゃなくてもいいじゃないですか。
自分なりの道を自分の足で歩いていければ^^
一生懸命、自分と向き合って生きている人は、必ず天使が前髪のあたりをさっと通り過ぎますから(^^)
長い文章を最後まで読んでくださってありがとうございましたm(_ _)m
みなさまにとって素敵な人生でありますよに。
byちびまる