両親の年齢を考える
わたしの両親は現在71歳。
わたしが両親に会えるのは年に一度のイベント。
毎年、年末年始を両親と一緒に時間を過ごすことにしています。
子どもの頃は、両親は不死身のように感じていたところがあります。
自分の側にいて当たり前、元気でいて当たり前、両親が病気になったり、死んでしまったりするなんて、これっぽっちも思ってはいませんでした。
子どもの頃、体が弱かったわたしにとっては、母の存在は非常に大きく、そこにいるだけで安心という存在でした。
今でも、わがままで好き勝手に生きている私ですが、10代~20代のわたしは、あまりにも好き勝手に生き過ぎて、両親に要らない心配をかけて困らせたり、たくさん迷惑をかけた時期がありました。
そんな娘はいらない!、家から出ていきなさい!と母に怒鳴られ、19歳で家を出たわたし。
わたしは優等生でしたが、思い込んだらその道を突き進む、融通が利かない子だったので、若気の至りで、勢いに任せて家を出しました。
その頑固さと、まっすぐにしか進めない不器用さは、今でも健全なのですが、当時は、社会経験もなかったですし、今の何倍も身勝手で、自分のことしか考えていませんでした。
でも、その身勝手さがあったからこそ、迷うことなく海外にも飛び出していった自分がいたし、その時の自分がいたからこそ、今の自分があるのだと思っています。
今考えると、ホントに迷惑かけたなぁ、と申し訳ない気持ちですが、その当時のわたしは、わたしなりに一生懸命生きていた結果、迷惑をかけてしまったのだから、今となっては仕方のないこと、過ぎてしまったことはやり直せません。
そんなわたしも40代半ばとなり、自分の年齢も気にするお年頃となり、やっとこの年になって、両親の大切さと貴重さを実感できるようになりました。
毎年、一年ぶりに両親の姿をみると、年老いたなぁと思います。
平均寿命を考えると、両親も、あと生きても10 ~15年ぐらいと考えるのが妥当。
年に一度しか会えないということは、まともに会えるのがあと10~15回です。
そう思うと、なんとなく、とても寂しくも思いますし、少しでも多くの時間を一緒に過ごしたいと感じます。
なるべく一緒に時間を過ごし、たくさん話をして、楽しいことをしたいと思います。
特に父は、40代前半に大病を患ったこともあり、介護レベル4にて老いが激しいです。
父は脳の病気を患ったのですが、ここ数年で脳梗塞を2回再発。
両目ともほぼ視力ゼロ、下半身と左半身がほとんど動きません。
よって、自分では排泄もできません。
飲み込む力が弱いので、食べる際にも激しくむせ込みます。
動かせるのは右手だけなので、ごはんを食べる以外は、一人じゃ何もできません。
何もできなくなった父ですが、母に支えられてなんとか前向きに生きています。
何にもできなくなった父ですが、そんな中でも、時折見せる茶目っ気ぶりを見ると、「あぁ、大事にしないとなぁ」と思います。
母は71歳にしては若く見られるほうですが、それでも、やはり年老いたなぁと実感します。
耳が少し遠くなったとか、新しいことを覚えられなくなったとか、いろいろありますが、それでも、父が倒れた後は、ずっと一家の大黒柱です。
父の介護を朝から晩までこなし、買い物、お料理、お掃除をルーチンでこなす、肝っ玉母ちゃんがわたしの母です。
九州生まれの江戸っ子育ちの母は、気が強く明るい性格で、誰からも慕われ、友達もたくさんいます。
そんな母だからこそ、父が大病に倒れた後も、うちの家族は強く明るく生きてこられたと思っています。
わたしは両親とは、ずっと離れた場所で暮らしているので、なかなか実家には帰って来れず、何から何まで母に任せきりです。
やはり、娘としては心苦しさはあります。
そんなわたしなのですが、せめてもの罪滅ぼしにて、年末年始には長めに休暇をとり、両親と時間を過ごすようにしています。
罪滅ぼしとは言え、実家に帰ってきても、母は全てのルーチンの仕事を自分でやります。
わたしが手伝うよと言っても、「大丈夫!大丈夫!」といって、自分でやります。
ご飯を作るのも、何をするのも、自分でやりたがります。
なさけない話ですが、わたしは実家に帰っても、お買い物の際の荷物運び、洗い物ぐらいしか出番はなく、あとは、母が全部自分でやります。
たぶん、そういった気性なのでしょう。
そして、母が作ったご飯を、「美味しい、美味しい♬」といって、完食するのを見届けると、満足した顔をして、「これは、こうやって作るのよ」とか、嬉しそうに説明する母をみて、「これで、いいんだなぁ」と、勝手に自分の立ち位置に納得しているわたしです。
結婚しないからこそできる親孝行
わたしは現在40代半ばですが、結婚もしてないし、もちろん、出産も子育ても経験なく、独り身です。
なぜ結婚しないのか、ということについては、わたしなりにいろいろと考えはあるものの、両親に対しては、普通に結婚して、子供を産んで、家庭を築くという選択をしない自分のために、寂しい思いをさせてしまったということは自覚しています。
両親のまわりでは、子供が結婚し、孫の話しで持ち切りでしょう。
そういった会話の中で、話題提供ができないどころか、結婚したのか、いつするのかなど、知人に会うたびに聞かれてしまうのですから、とても肩身の狭い思いをさせてしまっていることも痛感しています。
でも、残念ながら、わたしには、結婚式での花嫁姿を見せてあげることも、孫の顔を見せてあげることはできそうにないので、それだったら、独り身だからこそできることをして、両親に精一杯恩返しをしたいと考えています。
独身でいることのメリットは、身軽さです。
また、高給取りでないにしても、特に大きな出費も少ないので、経済的な余裕も、それなりにあります。
そして、身軽なので、両親の都合に合わせて、楽しいことを催すことはできます。
わたしにできることは、両親の余生をできる限り幸せに、楽しく、充実したものにするためのお手伝いをすることです。
わたしが幸せに生きているということ、そして、独り身だからこそできることで、両親が喜ぶことを見せてあげることです。
それは、
〇わたしが心身ともに健康であること
〇仕事で活躍し、社会のお役に立つこと
月並みですが、これが私の恩返し、と思って生きています。
母への想い
わたしは、特に母への想い入れが強いです。
なぜなら、40代前半に父が倒れて、母がひとりで生計を立てて、まだ中一だった私と、高一だった兄を育て上げ、専門学校に進学するお金まで捻出してくれたからです。
その上、父の職業復帰や鍼灸師としての開業をサポートし、その傍ら祖母の介護を20年やり終え、やっと解放されたかと思いきや、今度は父の体が動かなくなり、またもや介護生活に突入。
そんな中でも、隙間の時間に友達と遊びに出かけ、週に一度の体操教室、忘年会だ、新年会だと、友達の輪も広く、とにかく、明るく強く生きているその姿に尊敬の念を抱きます。
こう言うと、男性の3歩後を歩く女性のように聞こえますが、どちらかというと、弱弱しい男性の尻を叩きながら喝を入れ、棒を持って歩いているジャイアンのような女性で、声も大きいし、時に口も悪いし、頭にくれば頑として戦闘姿勢をあらわにする、男性よりも男らしくたくましい女性です。
父曰く、母の介護は、ヤクザに介護されているよう、なんだそう^^;
確かに傍で、父とのやり取りをみていると、
〇ちゃっちゃと動け、このボケ!
〇もう、何やってんだアホおやじ!、もー腹立つわー!
〇あー、もうこのくそおやじ、早くクタバっちまえー!
と、なんとも、荒々しい介護^^;
父のほうは、イヒイヒヒィ~と裏返った声で、もっと優しくやってぇ~、とよだれを垂らしながら笑っているので、思わず「M気質?」と思わざるを得ない一面を見せながら、母にどつかれながら、お尻を叩かれながら、おむつ交換などしてもらってます。
いいコンビねぇ~と、娘ながらに、その両親の姿を感心してみてます。
あの、なんちゃら議員の、
この、ハゲーっ!!! という女性と母のキャラがかぶる一面も^^;
そう母に話すと、ゲラゲラ笑って、うっそぉ~、そぉ~お~?笑と。
わたしはこういう母が大好き。
何ごとも、笑い飛ばす強さが母にはあります。
でも、こんな荒い会話の中でも、言葉とは裏腹に、母の優しさがたくさん見えます。
父は食べる時にむせて大変なのですが、本人は食べるのが大好き。
食欲もあります。
普通だったら、食事の度に、食べ物をせき込んで口から吐き出す人には、なるべく、せき込まない食事を与えます。
それは、もちろん、本人が苦しまないためにということもあるでしょうが、それよりも、わたしが思うに、面倒なことが起こるのを避ける(片付けるのもメンドクサイ)というのが一番の理由ではないでしょうか。
でも母は、父が食べたいであろう食べ物、そして、私たちが食べる夕食と同じ食べ物を父にも食べさせます。
毎回、汁物をこぼしたり、吐き出したりして、怒鳴りながら、せっせと片付けて、父が食べ終わるまで自分は食事をしません。
母は、一日中何もできない父が唯一楽しみにしているのは食事というのを理解しています。
だからこそ、どんなに自分が大変な目に遭おうと、めんどくさかろうが、父には介護食だけではなく、食べたい食べ物を食べさせます。
言葉と態度では見えない、母の優しさを感じます。
また、母はたくさん、父に話しかけますし、たわいのない話をたくさんします。
父のダメさをいじりながらも、ワイドショーの話しから、ニュースの話しから、近所の話しから、天気の話しから、なんでもたくさん話かけます。
そういうところに、わたしは、母の優しさと愛情をたくさん感じます。
わたしは母に似ているようで、母のようにはなれない自分がいると感じています。
母は自分のことより、周りの人のために生きるタイプです。
一言でいうと献身的です。
わたしのように身勝手には生きられないタイプです。
周りから見たら、苦労と忍耐ばっかりの人生を送っている母ですが、本人はスーパーポジティブなので、どんなことでも前向きにとらえる素質があるのか、なんとも思っておらず、人生の楽しみを見つけるのがとても上手なのです。
とは言え、母の余生をなるべく楽しく、華やかにするのがわたしの使命。
楽しい思い出をたくさん作れるように、これから、母をいろんなところに連れ出して、独り身の娘を持つからこそできることをたくさん見つけて、母娘の楽しいライフを謳歌しようと思います。
さっそく、父が介護施設にショートスティする時期に合わせて、4月に母とふたりで箱根温泉の旅を計画しています。
人生は長いようで短いもの。
みなさまも、大切な人と過ごす時間を大切になさってくださいね。
Byちびまる