人生で迷子になった時に戻る場所
日々、仕事やプライベートにおいて、たくさんの事柄に囲まれて生きていると、時々、自分の進む道に迷いが生じてしまうこともあります。
特に、怒涛のように忙しい毎日を過ごしている時は、目の前のことに追われて、自分が生きていく上で、大切なことを見失いがちです。
わたしの場合は、仕事をしている時以外は、基本ひとりで時間を過ごすことが多いので、気を抜きっぱなしだと、気ままに生き過ぎている自分がいる時もあるし、自分自身を見失ってしまっていることさえも、自分で気がつけない時もあるのではないかなぁと思います。
また、何か判断をする際に、迷いが生じて、そこに要らぬ打算などが入ってきたりすると、ますます迷宮入りしてしまい、自分はいったい何をしたいのか、自分にとって何が大切なのか、わからなくなってしまうこともあります。
そんな時、わたしを原点に戻してくれる言葉たちがあります。
それは、偉人の名言でもなんでもなくて、自分自身が考えた言葉たち、言ってみれば、自分が大切だと思っていること、こう在りたいと思うことを、5つに絞って言葉を吟味して選んだ言葉たちです。
他の人にとっては、まったく価値のない言葉たちかもしれませんが、わたしにとっては、大切な唯一無二の言葉たちです。
わたしだけの言葉たちは、いつだって、わたしを支えてくれます。
何歳の時に作った言葉だったか正確には覚えていないのですが、確か34~35歳ぐらいのわたしがつくった言葉です。
35歳ぐらいのわたしは、まだシドニーに住んでいて、いろなことが上手くいかず、辛い日々を過ごしていた時期です。
たくさん、たくさん、自分を見失いそうになりましたし、シドニーという大好きな街での生活が色褪せて、すべてがセピア色の世界になってしまった時期がありました。
大好きだったはずの人とお別れし、アロマセラピストとして事業を成功させるという夢も、諦めた頃だったと思います。
ココロがポキっと完全に折れた時です。
しばらくの間、情緒不安定で、涙ばっかりがポロポロ流れて、人はココロが傷つき過ぎると胸が本当に痛くなるんだなって、身をもって実感していた頃です。
自分のわがままが原因でもたらした結果ではありましたが、精神的にも肉体的にも疲れ果てた時だったと思います。
オーストラリアという異国の地で、仕事もクビになって、自分の夢も諦めて、ずっと一緒に生きていくと心に誓った彼とも別れて、大事にしてきたすべてを失った挫折感は半端なく、ダーリングハーバーのブリッジをひとりで歩きながら、よく泣いてたものです。
今でもその時の自分を思い出すと、胸にこみあげてくるものがあります。
いろんなことを失って、ひとりになった時に、自分は、なんてちっぽけで、孤独なんだろう、自分の存在価値はなんなんだろう、って、いわゆる自信喪失というものに打ちひしがれていた頃、やっとの思いで、前を向いて一歩踏み出そうとした頃だったと思います。
その時に、今後の自分にとって、支えとなるような言葉が必要だと思いました。
落ち込んだ時、迷った時、くじけそうな時に、ちゃんと前を向いて、一生懸命自分の足で歩いていけるように、自分に向けて考えた言葉たちを、今でも大事にしています。
自分なりに、あれこれ考えて、一生懸命に選んだ言葉たちです。
言葉を決めた時に、字がきれいなわたしの親友にお願いして、お習字で清書して頂きました。
当時、わたしの親友は日本にいて、わざわざ、日本から送ってくれました。
彼女には、感謝の言葉しかありません。
清書して頂いたものを、当時のわたしにとっては少々高額な、しっかりとした額縁に入れて玄関に飾ってあります。
わたしの宝物です。
わたしの生きるための指針5ヶ条
わたしにしては、ちょっと大それた指針なのですが、自分がなりたい人間像を意識して書いたものです。
こういう人になりたいなって、思っているものです。
第1条 無限の愛を沸き出でる泉になること
非常にベタですが、愛に勝るものはない、とわたしは真剣に思っています。
愛には、いろんな愛があって、家族に対する愛、恋人に対する愛、友人に対する愛、見知らぬ人に対せる愛、人間以外の生き物に対する愛、物や環境に対する愛、いろいろあります。
わたしは、まだまだ、自分のことが一番大好きであり、自分以上に他の誰か(もしくは他の対象物)を愛した経験はありません。
子どもを産んだ経験もないし、これから産む予定もないけど、子供を持つ親が、自分の子供に対する愛情というのをわたしは知らずにこの世を去ることになりそうです、たぶん。
その愛は、知らずに私は死ぬんだと思うと、ちょっぴり寂しいものです。
そんなわたしでも、やっぱり、愛をたくさん、体からにじみ出せる人間でありたいと願います。
愛することは、優しさにつながります。
優しい人間でありたい、いつか、たくさん、優しくなれる人間になりたいと、心から願う自分がいます。
まだまだ、わたしは体から愛が溢れ出るような人間にはなれてないから、いつか、きっと、死ぬまでにはなりたい、と思っています。
第2条 竹のようにしなやかな強さと優しを養うこと
1番の愛につながるのですが、柔軟な人間になりたい、そして、強くて優しい人になりたいと願っています。
わたしは、自他ともに認めるまっすぐな性格で、まっすぐ過ぎて、まっすぐ過ぎる自分を、時々自分でも止められません。
もっと、柔軟に生きられたらいいのにって、思いますが、今のところ、まっすぐしか進めません。
まっすぐ過ぎるから、時々ポキっと心が折れて、大泣きする自分がいるのですが、まっすぐ過ぎるのは、時に、自分も他人も傷つけてしまいます。
強くなるには、どんなに曲がっても折れないしなやかさが必要かなと、考えていて、竹のように強くて、しなやかで、優しさが感じられる人間になりたいなぁと、願っています。
私なりに、3本進んでは2歩下がり、時には振り出しに戻ることもあるのですが、自分の言動で自分自身が傷つきながらも、その度に学びながら、ちょびっとずつでも、笹のように、しなしなーっと風に優しく揺れられる自分になれたらいいなと思っています。
頑固な自分との戦う時に、読み返す言葉です。
第3条 孤独に負けず自分の真価を高めることに専念すること
わたしは、基本的に、人は孤独な生きものだと思っています。
孤独だからこそ、他人と関わり合って、寄り添って生きるのが人間かなと。
家族であっても、所詮、人はみな個なわけで、誰かと100%分かり合えることはないし、分かり合えないからこそ、興味もあるわけで、わからない溝を埋める努力もします。
自分の真価とは、要するに、自分なりに、自分の生を一生懸命全うする、そういう時間の使い方をすることと、わたしは思って生きてます。
だから、わたしは、自分にも他人にも正直でいたいし、素直な心から見えてくる物事を通じて成長していきたいと考えています。
それが、たとえ遠回りだったとしても。
大それたことはできないかもしれないけど、自分なりに一生懸命生きることは、自分次第でできるかなと、思っています。
第4条 どんなときもひまわりのように笑顔でいること
これも、自分に向けた教訓なのですが、わたしは喜怒哀楽がそのまんま顔にも態度にも出てしまう人間なので、どんな時もひまわりのような明るい黄色の大輪の花のような笑顔でいるっていうのは、かなりハードルが高いのが現実なのですが、できる限り、自分もハッピーに、まわりもハッピーにさせられるような自分でいたいと思います。
笑顔でいること、それも、心からの笑顔でいられること、それを目指したいです。
辛いことも、悲しいことも、悔しいことも、笑い飛ばせる強い自分になりたいです。
第5条 今を生きる
今を生きる。
これは、わたしにとって、とても大事な、大事なことです。
過去を振り返って反省したり、未来を夢見て思い描いたりするのも大事とは思うけど、わたしにとっては、今この時が一番大事です。
今を一生懸命生きないで、どうする、と思ってしまうのです。
今を一生懸命生きる、それには、愚痴を言ったり、落ち込んだリしている暇があったら、前に進むことを考える、ココロもカラダも羽根を休めるのも一生懸命、とにかく、今の自分にとって、必要なことに集中して生きる、ということを常に考えていきたいものです。
わたしは、海外出張も多いし、海外に出かける分、テロに巻き込まれる可能性も考えます。
だから、いつ死んでも、後悔のない生き方だけはしようと、ちょっと大げさかもしれないですが、そう思いながら飛行機に乗って出張に出かけています。
だから、大事な人との時間を大切にして、感謝の言葉ありがとう、お詫びの言葉ごめんなさい、そして、大事な人には、ちゃんと、大事に思っているのよ、愛しているよって言葉でも言える自分でいたいと思います。
まだまだ未熟で足りないところが多い自分ですが、足りないところはあって当たり前、だから努力すればいいと思いながら毎日生きています。
間違えた道に進めば、戻ればいい、もしくは、正しい道に向かって方向転換すればいい、いつだって、気がついた時に軌道修正をかけて、自分がこっち!と思う方向を信じて進んでいけばいいと思っています。
これらの言葉を作ってから約10年。
未だ色褪せず、わたしの心を支えてくれています。
みなさんにとって、自分の生きる大事な指針はなんでしょうか。
みなさんにも、大事な言葉はありますか?
人それぞれ、自分なりの大事な言葉があれば、それを支えに生きていけるのではないかと思います。
byちびまる