画像:photoACチョコラテさん
どんなに優良な大企業にいても
最近仕事で、新たな出会いがありました。
誰もが羨む優良な大企業にお勤めしている方々。
業績は右肩上がりで、グローバルにも成功している大企業。
洗練されたオフィス、最新の技術や設備を備え、傍からみれば、福利厚生もさぞかし手厚いのであろうと思いますし、きっと、世の中の大半の人たちに比べれば、経済的にも恵まれ、なんの不自由もない暮らしを手に入れている人たち。
なのに、それなのに、びっくりするほど出てくる、愚痴、悪口、陰口、不平不満の嵐。
正直、ものすごく、驚きました。
一見、とても幸せなのだろう(たぶん、幸せなんだと思うけど)人たちで、また、優秀な人たちです。
優秀であることは間違いないのでしょう。
それなのに、こんなに恵まれているのに、止まらない不平不満と愚痴。。。
いろいろと、考えさせられました。
人の幸せとは、いったいなんなのだろうかと。
わたし自身、大手グローバル金融企業に長年勤めた経験があるので、なぜ、一見何の不自由もない人たちが、これほどまでに不平不満を抱いているのだろうかと、自分の経験も振り返り、考えてみました。
自分の当時の感情なども重ねてみながら考えてみました。
なぜに、彼らはハッピーではないのだろうかと。
なぜに、彼らから、あれほどまで、ネガティブな言葉が出てきてしまうのだろうかと。
自分の存在価値と意義
わたしの経験とは、また違うと思うけど、想像するに、その組織内において「自分の存在価値と意義」が、あまり感じられないのではないかと。
あまりに大きな企業に属すると、その組織内において、自身の存在はとてもちっぽけに思えてしまいます。
自分が何かを提案したところで、動いたところで、組織が動くことはまずない。
何千人もいる組織の中のひとりである自分が、経営トップの中枢におり、なんらかの影響力を大きく持つのであれば、きっと違うはず。
自分が意見したところで、自分が提案したところで、自分が属する組織において、たいした影響力がないことが常であり、その無力感というか、自分の手ではどうにもすることができない感が、自身の存在価値・意義の実感を希薄にしてしまうのではないだろうかと。
組織内において、自分の存在価値や意義をあまり感じられないと、組織のいろんなことについて外野的な感じになり、組織のダメなところ、至らないところが目につき、そして、少なからず、そのダメだなぁと思う状況を作っている経営層に対して不満を抱くのではないかと思います。
人は、いい所より、ダメなところを見つけるほうが得意で、そして、それを評価するのが大好きな生きもの。
批評や評論するほうがずっと楽で、また、気持ち良かったりもします。
だから、ついつい、愚痴、悪口、陰口、噂話、批評や評論をしてしまう。
わたしだって、知らず知らず、いや自覚しながらも、怠けるとついやってしまいます。
そういう時は決まって、自分が描く理想や、やりたいことなどが上手く進まない時。
ついつい、自分以外のせいにしてしまう。
でも、ネガティブなことを言うだけ言った後というのは、何とも言えない後味の悪さ。
それは、きっと、わたしだけじゃなく、誰の心にも残るんじゃないかな。
当事者意識が大事
結局のところ、「当事者意識」というのが鍵なのではないかと思います。
良くも悪くも、今周りで起きていることは、少なからず自分も関わっていることであれば、自分の行動も何かしら影響していると考えられるかどうか。
そして、それが自分の理想や目指す先と乖離があるのであれば、どうすれば、ベターな状況に持っていくことができ、また、自分はどのように貢献できるのか、それを考えるのが大事かなと。
大きな組織に属していると、「自分なんて所詮歯車」と思ってしまうかもしれません。
でも、例え歯車であっても、自分の時間や人生をどう過ごすかは自分自身が決められること。
所詮歯車と思って投げやり、腐って過ごすのか、もしくは、自分自身がその場所を選んで居るということを意識し、「なぜ、自分はここで時間を過ごすのか」を考え、自分の時間をより価値あるものに変えていくことを考えるか、それは自分次第です。
存在意義を感じる場所で生きる
わたしは、これまで9社ぐらい経験し、今の組織に落ち着いています。
タイミングや、年齢的なところ、出会い、相性など、いろいろあると思いますが、今の場所に居ることを決めているのは、紛れもなくわたし自身。
傍から見れば、「なぜ?」と言われます。
「もっと、他にオプションあるでしょう?」と。
わたしが働く会社は、業績も良くないし、洗練もされてないし、片田舎で年収だってそれほど高くないので、傍からみれば、ダメダメな企業に見えるからだと思います。
下手すりゃ、数年でどこかに買収されてしまうかもしれないし、倒産するかもしれない。
じゃぁ、なぜ、今の場所に留まるのか。
ずばり、わたしにとって、心地が良い場所だからです。
そして、比較的自由に仕事ができ、また、それなりに認めてもらえるからです。
年収や暮らしを考えれば、50歳手前で、「えーそれだけー」と思うところもあります。
また、大企業の煌びやかな洗練されたオフィスで、お洒落に仕事をするというのもいいなーって思う時もあります。
でも、一方で、大企業で働くのは、「退屈するだろうなー」と思います。
今の場所でも、「こうだったらいいのになー」と思うことは山ほどあります。
でも、不思議と、それほど不満はありません。
たぶんそれは、自分がその組織にいる意味(意義)を感じているからだと思います。
どんなに小さくても、どんなに洗練されていないとしても、その場所が、自分の居場所だと思える居心地の良さがあるのであれば、わたしは、そこが自分の生きる場所だと思ってます。
幸せは自分次第
わたしは、以前に比べ、自分でいうのもなんですが、不平不満が口からでるのは減ったと思っています。
また、最近、人の陰口や悪口も、聞くことはあっても、以前ほど、言わなくなったなと自分で感じています。
きっと、それは、ある意味「受け入れた」のだと思います。
どんな組織であれ、いろんな人がいて、持ってる能力もそれぞれだし、性格も千差万別で、仕事に対する思いも、姿勢も、アプローチも、みんな違うのだということが、最近になって、少しだけ理解できるようになってきました。
「わたしだったら、こうはしない」と思うことは、受け入れるのが難しかったりしますが、なるべく、「あ、この人は、こういった考え方なのね」と思うようにしてます。
また、仕事についても、最近、自分がイラっとしてしまうことについても、深追いしないことで、なんとかやり過ごすことができるようになってきました。
「大抵のことは、大したことではない」
と思えるようになって、必要以上にあらゆるところに足を突っ込まないように心がけ、「ここは、もう、任せてしまおう」と思える機会が増えてきました。
任せるからには、細かく見ない。
ほどよく手放すことで、意外と自分も、周りも上手くいくということが、ちょっとわかってきました。
仕事量が増えて、どうにもこうにも、メールの処理も、仕事も終わらないという状況になって、「手放さなければ、自分がつぶれる」というのを実感してからは、手放すということが徐々にできるようになってきました。
あと、最近、強く実感していることがあります。
それは、ポジティブな言葉は、自分に対してもエネルギーを与えるということ。
ネガティブな言葉を発するのって、誰の為にもなりません。
思いのほか、自分で発するネガティブな言葉って、ブーメランのように自分に返ってきて、自分自身の言葉で自滅するというか、エネルギーを吸い取られます。
なので、どんな小さなことでもいいから、前向きな言葉を発することが、結果的に、自分に元気を与え、自分自身を幸せにしてくれます。
小さなことの積み重ねが大事
日々の小さなことの積み重ねが大事。
とても実感してます。
朝の挨拶「おはよう~」
挨拶しても、まともに挨拶しないスタッフがいます。
それでも、わたしは、「おはようー」と声かけることを決めてます。
きっと、彼は、これからも挨拶しないと思いますが、それでも、自分は挨拶しようと思います。
それは、わたしの中で大事にしたいと思うことだからです。
小さなことを小出しに褒める。
これも、周りの人にするようにしてます。
「その服、かわいいね、新しいの?」
「髪切った?いいね」
「いつも、ありがとね」
など。
ほんと、些細なことですが、特に、「ありがとう」は、多く発するように心がけてます。
こういったちょっとしたことが、疲れた時に、上手くいかない時に、自分の励みになるように思います。
もちろん、時には愚痴も出る。
そして、時には、怒る(癇癪)。
でも、人間だから、それはしょうがない。
だけど、ずるずるいかない、引きずらない。
そうすることで、前を向けるし、明るく生きられるかなと。
自分を幸せにするのは、自分次第。
どこにいたって、何をしていたって、自分を幸せにするのは自分。
さ、今週も頑張るか!
それでは、みなさま、have a nice day
by ちびまる