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事実ベースの情報収集の難しさ フェイクニュース混在の情報社会との向き合う

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何をもって信憑性を判断するのか

 

インターネットが普及し、SNS: ソーシャルネット・ワークキング・サービスが生活の一部に溶け込み、膨大な情報に囲まれて生活するわたしたち。

 

SNSの普及とともに、一般人の誰もが、自由に自分の考えや思い、そしてあらゆる情報をまとめて、インターネット上で発信できる現代。

 

そういうわたしも、こうやって、自分が思ったことを、「ブログ」というツールを使って、好きなことを自由に、文字に落としてアウトプットをしている訳なのですが、自分の価値観、自分の経験ベースの知識、自分が考えている方向性、世間から収集した情報ベースの結論に関して、あくまでも、「わたしの考え・わたしの結論」であって、それが正なのか否かについては答えは出ず、また、わたし以外の誰かにとって、賛同いただけるものなのか否かも、わからない。

 

もちろん、わたし自身は、わたしが信じる道を生きていくわけなのですが、わたしの生き方や考え方を、他の誰かに押し付けるのは筋違いというもので、自分の人生に責任を持てるのは自分だけなのだから、他の人の人生はそれぞれ彼らのものであって、彼らの自由と責任のもと、生きているということを、忘れてはならないと思いながら、アウトプットをしています。

 

まずは、自分のアウトプットした情報を含めて、個人の主観が大きく反映されているということを認識しつつ、日々自分自身が囲まれている膨大な情報の中から、情報の信憑性について、どのように自分なりに見極めていくか、とても重要なことでもあり、また、とても難儀なことでもあるとも考えています。

 

MBAコースで学んでいる時にはじめて、情報発信を生業としているマスメディア、それも、ゴシップ雑誌ではなく、ビジネスマンが日々目を通すであろう「新聞社」が毎日発信するニュースであっても、それを発信する企業の特徴により、偏った目線の情報になっているということを知りました。

 

もちろん、どこの新聞社や情報を商材として取扱う企業においても、事実確認をした上で、嘘ではない情報発信をするのが基本かもしれませんが、その情報を発信する時の言葉の選び方、文章のニュアンスによって、同じトピックスの情報を伝えてはいても、真逆の印象を受ける可能性さえあることを学びました。

 

言葉は、使いようで、いかようにもできる、要するに「伝え方・表現の仕方」によって、人を熱狂させることもできるだろうし、感動させることもできるだろうし、逆に怒らせてしまったり、関心を寄せてもらえないなど、言葉遣い次第で他人への影響力が変わってきます。

 

わたしの中で、「情報の信ぴょう性」を判断するための答えは、明確には出ないのですが、情報収集する際には、下記のことを念頭に置きつつ、情報に触れるようにしています。

 

〇発信元が企業か個人か

〇発信者の身元確認の可否

〇発信者の情報発信の傾向

〇文章表現の過激度合い

〇文章から感じ取る執筆者の人柄

〇考えの根拠となる参考情報元

〇多角的な考え方かどうか

〇情報発信の目的が誠実かどうか

 

など、でしょうか。

 

結局のところ、世の中に存在する情報というのは、何が真実で、何が虚かという判断は、裁判においても冤罪があるように、見極めるのは非常に難しいものと理解しつつ、さまざまな角度の情報と向き合う必要があるのだろうと思います。

 

今の時代、フェイクニュースというのが当たり前のように、自分のまわりに存在しますが、それは、悪意のあるもの、そうでないもの(本人も信じているが真実ではないもの)など、いろいろです。

 

フェイクニュースや誤った情報から、逃れることは、今のところ難しそうです。

 

フェイクニュース、および個人の主観で偏った情報に、自分がさらされているということを認識しつつ、自分なりの評価の指標をもって、情報の取捨選択をし、自分の仕事や生活に役立てていくのが大切だと思います。

  

事実の裏側を考える

 

わたしは、ライフバイオサイエンスの業界で仕事をしています。

 

ライフバイオサイエンスの学術的なバックグラウンドを持っていないので、なかなか、細かいところの研究について、理解するのは困難な場合が多々あるのですが、関連分野(例えば、アルツハイマー病、老化、糖尿病、腎臓病、動脈硬化など)の自社製品に関する市場調査目的にて、海外の研究者が発表した論文を読む機会があります。

 

研究論文というのは、毎年、膨大に発表されており、研究社会においても、その良し悪し、データ取りの信ぴょう性というのが、「うーん、これはどうなんだろう???」と思うものがあります。

 

理由は、研究そのものへの疑問というより、実証データ蓄積に使われている資材の品質に対しての疑問です。

 

研究のプロセス、実験自体は、しっかりと設計され、トレースもできるものであっても、その実験を行う際に使うツールの良し悪しまで、どれだけ精査して、実験スタートしているのだろうと、疑問に思うものがあります。

 

論文の中には、Method and Materials といった説明書きがあり、どこのメーカーのどの製品を使用して、どんな方法やプロセスを踏んで、実験を行ったのか、という説明が記載されている箇所があります。

 

そのMaterials = 使用ツール、例えば、タンパク質を定量するためのツールだとか、検知するためのツール(判定ツール)が、どれだけ正確性が高く、ロット間差も低く、一貫性のあるアウトプットができる性能を持ったものなのかを、事前に評価(Validation)をどれだけやっているのか、そのあたりが不明瞭な場合がほとんどです。

 

使用ツール(購入物)の選定には、多くの要因が絡んできます。

 

一番大きいのが予算の問題。

 

できるならば、安価な材料を使いたいと思うのは、どこの世界でも一緒。

 

また、できるならば、多くの人が使っているもの(ブランド)を選んだ方が安全そうだと思うのも、どこの世界も一緒。

 

一般商材(一般人が消費するもの)の場合は、多くの人が使っているブランド(例えば食品など)を使うというのは、どことなく安心感を得やすいですし、また、長年、大きな市場を占めている企業の製品は信頼性が高いのが常です。

 

市場を占めている製品は、多くの場合、先発品(市場に一番乗りで入ってきたもの)で、ブランディングに成功したものですが、例えば、その製品を有する企業が特許を持っている場合、競合他社の市場への参入は認められません。

 

そうなると、1社独占的な市場となり、「使う側も、1つしか選択肢がないので比較検証のしようがない」となり、その製品の本当の良し悪しを判断できぬまま、採用するしかないという状況が発生します。

 

また、どんなに先行品の性能に疑問があっても、後発品の品質が良いものであっても、ブランド力が低く、後発品の場合は、市場参入がとても難しく、先行品の市場をひっくり返すのは至難の業です。

 

先発品で、市場には競合品がない場合、その1製品にて、実験データの蓄積がなされ、そのデータ蓄積の結果をもとに、結論付けをされていく場合、仮に、その製品の性能(正確性、再現性)が実はイマイチ・・・だったとしたら、本当は「正」ではないかもしれない科学的なデータに裏付けされている情報が、専門家の正の結論として世の中に拡散されるというリスクがあります。

 

また、科学の世界においても、使用する試料や資材の入札=お金が絡む=利権も絡むという状況があるので、一概に、サイエンティフィックに公表された情報であったとしても、それを100%信じるわけにはいかない、と考えています。

 

大半の世論が右が正しいという方向性でも、それが本当に正しいかどうかは、誰にも分らない。

 

もしかしたら、少数派の世論のほうが、真理をついているのかもしれません。

 

結局、真実を語るというのは宗教を語るのと同じく難しい問題であり、人によって、正と捉える見方が異なることもあるため、最後は、自分の信じる道を、自分の5感で見極めて進むしかないと考えています。

 

だからこそ、いろんな角度からの意見や情報をまずは集めて、その中から、総合的に、「わたしは、こう思う」という選択をしていく必要があるのかなと、思います。

 

過剰なタイトル、キャッチコピーなどに、惑わされないよう、地味線で取捨選択していこうというのが、今のところ私の結論です^^

 

では、have a nice day

 

byちびまる

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